・「もうすぐ農家がいなくなる」長周新聞4/23日号はショッキングな見出しで「農」の現状を訴えていました。
備蓄米の話題も少し冷めてきたようで、米の価格も高止まりのままです。
1960年には農家1人で国民8人を支えていたのが、
2020年には93人の国民を支えている計算になります。(下図参照)
それほど過酷な仕事をしているのに、
生産者米価は1969年を基準にすると、2019年にはわずかに2倍足らずしか上がってません。
この間、大卒初任給は6倍強にまで上がってます。(下図参照)
縄文時代から9000年も続いている稲作。
日本人の遺伝子に確実に刻まれてきた農耕文化を支えてきた農家。
貨幣経済の発展とともに都市に人口は集中し、
新自由主義が主流となると、農村の疲弊は決定的になり、
効率化追求の声の下、限界集落は捨て去られようとしています。
その結果が米不足によるコメ暴騰です。
今スーパーで売られているお米は5㌔で税込み5,000円になっています。
確かに高いと思いますが、ご飯1杯分のお米は65g、5㌔で77杯分。
茶碗一杯分の価格は約65円です。
自販機のペットボトルのお茶で2杯分、ミスタードーナツ1個で約3倍分のご飯が食べられます。
要は50年の間に物価や賃金の上昇にスライドして生産者米価を上げていれば、
米作り農家も守られていただろうし、ここ1年間の暴騰もなかったはずです。
2,000年からの24年間だけでも30万haの水田が消滅しています。
1ha(1町歩)で80人の1年間に食べるお米が穫れます。
24年間で2400万人分のお米が消滅したことになります。
それと同時にその面積の洪水対策用地も失ったわけです。
農地集約化とかスマート農法とかAIやITなどで農業の工業化を推進する向きもあるようですが、
中山間地という地形条件でのインフラや水回りのことなど実情を無視してできる話ではない。
〔以上、長周新聞より抜粋・要約〕
あと5年もすれば現在の75歳以上の米生産の担い手は「農終い」に直面するでしょう。
さらに5年。「日本の農家がいなくなる」がすぐそこに迫っています。
日本人の文化や心情を守り育ててきた食文化・食生活を次世代に繋ぐためにも、
「農」を生産性や効率化だけで判断するのは止めてもらいたい。
五月晴れの下、水田地帯を配達で走っていると農家の庭先に泳ぐ大きな鯉のぼりが当たり前のように観られたのは何年ぐらい前のことだったのかなあ?
むかし、私が小学校の低学年だった頃、
モリエ米店の横を流れる用水路にもメダカやフナやドジョウが普通に泳いでいました。
季節になるとホタルも綺麗な光を放ちながら店の前を飛び交っていたものです。
農薬汚染も話題にされることもなく、プラスティックゴミなどの用水路投棄もなく、
誰もが季節の行事を楽しめる余裕があった。
失ってきたものを懐かしむのは年老いたってことなのでしょうね。
善通寺の中心部で、今も6月の夕暮れにホタルが見られる川があることを知ってますか︖
人知れず川を清掃している人がいます。
せめて、川にゴミを投棄することだけでも止めてほしい。
川べりの名も知らぬ花を振り返るのも楽しいもんですよ。