ねかはくは花のしたにて春しなん
そのきさらきのもちつきのころ
桜の季節が来ると西行法師のこの歌が思い出されます。
善通寺には玉泉院と出釈迦寺近くの水茎の岡に庵を結ばれていたようです。
西行は願い叶って、1190年2月16日(旧暦)、
73歳の生涯を閉じましたが、
終の棲家は大阪河内の山里の弘川寺の裏山の庵。
生涯に300首ほど恋の歌を詠んだ西行ですが、
元は武家のエリート・北面の武士で、
流鏑馬や蹴鞠の達人でもあったそうです。
桜をこよなく愛した漂泊の歌人西行法師。
でも別な一面が私にはもっと魅力的に思えます。
例えば、おそらく水茎の岡近くで詠まれた
『月見よと芋の子どもの寝入りしを
起しに来たが何か苦しき』
月夜の晩に芋泥棒と間違われたときに詠んだ歌とされていますが、
案外本当に芋を掘りに来ていたと想像したら、
なかなかに愉快な人物像が現れ、
ますます好きになってきます。
それを許す里人もナイスです。
また、西行は人骨を拾い集めてフランケンシュタインの怪物を造ろうとして
いたという記述も残っています。
それ以外にも、実に人間性豊かな苦悩に溢れた生涯だったようで、
そんな人物が善通寺と縁が深いと聞くと、
ワクワクしてくるじゃないですか。