(2017-9-24 投稿)
スペインの外国映画上映は吹き替えが主流。アメリカ人がスペイン語を話す。近ごろは日本の映画館も吹き替え上映が増えた。字幕を読み辛い大人たちのリクエストに応えているのだろう。吹き替えでは、外国の舞台にいる外国人が、私たちの(奇妙に標準化された)母語を話す。もはや違和感を覚えることもない。いっぽう文字小説は、冒険ものやSFなどを除いて、わりとこういうことをしない。つまり、スペインの小説家が、米国を舞台に英語を話しているという想定でスペイン語の台詞を書くことは、あまりない。小説では、実は翻訳を介して、はじめてその種の「言語上の想定」が前景化する。
イメージが物語を作っていくグラフィック・ノベルは映像表現に近いので、この作品にもさほどの違和感は覚えなかった。スペイン特有の俗語が米国英語のどのような表現に相当するのか考えることは多かったけれど。
いわゆるロード・ノベル。
ポリー(右)とモオ(真ん中)とパイター(左)。
モオはスペイン語の黴だが、英語のモーホーなのか黴のモールドなのか、それが上の理由で分からない。いずれにせよモオはあだ名。ポリーのバンドのライブ会場で知り合った腐れ縁の3人が車で旅をする。死んだエクトル(or ヘクター)の遺灰をもって。
エクトルは遺言である海辺の町を指定し、そこで3人の友人の手で散骨するよう指示していたのだ。3人(と一匹の猿)の珍道中に、それぞれの過去の話や、あと一定の間隔で世界の火葬の伝統が紹介されていく。台詞以外の筋回し的な語りがあって、これはパイターの声であることが最初に分かるしかけになっている。そしてこの物語をつくったのもパイターであること、彼の名字がオルティースであることも最後に分かる。途中で現れる謎の女もきちんと最後に回収されて、けっこうかたい小説的構成をもっている本である。ページ数も187とこのジャンルにしては比較的多い。
いろいろな影響を裏表紙が紹介している。
ホテル・エグジステンスはポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』。映画関係ではデヴィッド・リンチ、タランティーノ、あと米国産テレビドラマの数々。私は正面顔がちょこまかと入れ替わるカットわりに小津映画の余波を見た。
作者のアルバロ・オルティスは1983年生まれ。比較的若い世代ということもあってか、経歴を見る限り、グラフィックノベルの専業といってもいい感じである。
グラフィックノベル翻訳の課題は字。
吹き出しも含めて字はすべて手書き。
この字との相性が読みやすさを決める。
アルバロ君の字とは気分があった。
Alvaro Ortiz, Cenizas. Astiberri, 2012, pp.188.