なんとも分類しがたい作品だが、短編集というしかないだろう。11編のすべてが作者自身の私生活をモチーフとしている点ではオートフィクションともいえるし、ほぼすべての短編でひとり画家が取り上げられている点では芸術家についてのエッセイであるともいえる。
表紙がすべてをものがたる。
女性のシルエットのなかに一枚の絵。絵はアルフレッド・ド・ドルーの描いた鹿狩り。19世紀フランスの画家で、ナポレオン三世界隈の人物の騎乗画を得意とした。ブエノスアイレスでキュレーションをしている作者の分身と思しき語り手は、海外から訪れる美術マニアを案内している最中、名画をコレクションしている婦人の邸宅でこの絵と遭遇する。絵とドルーに関する記述がいっぽうで、そして途中からある旧友の回想がそこへ混じってくる。パリに移住したその旧友の女性は風変わりな死を遂げるのだが、そこで二人の人物が重なり合う仕掛けになっている（「ドルーの鹿」）。
19世紀の混乱するアルゼンチンで兵士として右手を失ったあと、左手に絵筆を持ち替えて才能を発揮した異色の画家カンディド・ロペス。妊娠中の語り手はカンディドの絵をさがして国立美術館に向かうが、修復中ということで会えない。道中、彼女は、カンディドと同じ旅路をたどった夫の先妻の兄で、精神に異常をきたしたチャーリーのことを思い出す（「グラシアス、チャーリー」）。
ある日、ヨーロッパに旅立ってしまい、その後は音信不通となった親友セシリアの話にかぶせられるのは、こんな島にいたのではどうにもならないと思い、同じくヨーロッパに旅立ち、名前も Foujita に替えた日本人画家。面白いことに日本語の引用もしている。＜フジタは車を降りてドアの前でひしめく群衆をかきわける。身の軽い人々のなかにはひとめその姿を見ようと木に登る者もいる。彼はカフェに入る前に軽くお辞儀をしてから言う「今夜は思いっきり飲むぞ」。誰にも理解できないが、誰もそのことを認めない。フジタというイエローフィーバーで錯乱してるからだ。p.59＞。この短編ではおそらくいま京都でも展示されているはずの猫の絵が取り上げられている（「よき静謐」）。
知り合いの日系人女性がスペイン語の家庭教師としてついたニッサン現地駐在員の妻と娘。どこか寂し気な二人のその後の悲しい顛末は、世紀末の天才ロートレックがたどった悲惨な人生に重ねられる（「猫の通り道で」）。
ほかにもクールベ、エル・グレコなどの人生が語り手の身近な人々にまつわるアネクドートと自然に結び付けられ、この間合いは、スペイン語では知らない新鮮な体験だった。絵好きなら国を越えて楽しめる短編集だといえるだろう。
私の好きな画家が登場して印象深かった短編が、いわゆる「赤と黒の画家」マーク・ロスコを扱った「絵のなかのある生」というもの。ここでは語り手自身が患った目の病についてのエピソードと並行して、眼科の待合室にあったロスコのポスターから絵画の想起が始まる。ロスコの反社会性と例のあの赤黒画に至るまでの道のり。自殺の数日前、治安の悪い街へ夜中に出かけるロスコを心配した守衛が、彼に声をかけた。それにロスコはこう答えた。「私の唯一の気がかりは、いつの日か黒が赤を飲み込みやしないか、ということだ」。語り手は後日、入院した夫を見舞いに訪れたクリニックで出会う娼婦とのやり取りから、その答を知ることになる。
どちらかといえば美術畑の人が小説を書くというケースがラテンアメリカでも増えている。マリオ・ベジャティンのようにあらかじめ兼ねているタイプもいる。アルゼンチンといえばシルビナ・オカンポも画家をやっていた。ハイカルチャーの発信層と受容層が重なりがちな以上は当然で、個人的には望ましい傾向だと思っている。ロスコやポロックを芸術とは認めたがらないバルガス＝リョサの息子たちには気に入らないかもしれないけれど。
私が好きなタイプの本。
いわゆるひとめぼれでしょうか。
人間相手はまず幻想だが、本は裏切らない。
ガインサは今月長編も刊行予定だそう。
こちらも今から期待が高まる。
María Gainza, El nervio óptico. Anagrama, 2017, pp.159（英訳は2019年刊行の予定：Optic Nerve. Translated by Thomas Bunstead, Harvill Secker, 2019.）
