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Crónica de los mudos

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サンティアゴ・ガルシア、ハビエル・オリバレス『ラス・メニーナス』

2018-11-08 | グラフィックノベル

2017-9-26 投稿)

スペイン文学概論という講義で今年もベラスケスを語った。今回はパワーポイントというものを使用して実際の絵を見ながら解説することにした。大学ではもはやラテンアメリカ文学のラの字も語らず、絵や正義論の話ばかりしている。なぜ?と自分に問いたい。今回は歴史的背景に焦点を絞り、特にルーベンスとの関係について人体模写のリアリズムという観点から詳しい説明を試みた。かつてはフーコーの『言葉と物』、さらにそれを受けて書かれたダニエル・アラスの『何も見ていない』、あとは雑誌や研究書からとても退屈で地味な宮廷人としての人物像を説明する資料を抜き出し、そこからは想像もつかないほど豊穣なその芸術世界、それは近代的な独創性や芸術というカテゴリーとは違う何かなのだ…と話した記憶があるが、その種のことを学生は記憶にとどめたりしない。絵を見せて語るほうが効果的だ。

 それはともかく、本書は実は、そのフーコーから始まる。フーコーがホテルでベラスケスをめぐるあの文章を書いていた時の描写から。

 原案者のサンティアゴ・ガルシアは1968年生まれ、私が教科書代わりにしているスペインコミックアンソロジーの序文も書いている。いろいろな描き手と組んでいるらしく、このハビエル・オリバレスとも『ジキルとハイド』の翻案に続いて本書が2作目。1964年生まれのオリバレスは『ゼンダ城の虜』、『バスカヴィルの犬』、『野生の呼び声』、ディケンズ短篇集等、文学作品の翻案を手がけてきた。

 ベラスケスをベラスケス以外の人々に語らせるという、どちらかというと教育的配慮の行き届いた構成で、プラド美術館の土産コーナーでも売られているようだ。全体としてはベラスケス自身の人生もコミックとして描き込んでいるのだが、そこには想像がかなり入り込まざるを得ない。なので、事実を提示するというのではなく、同時代の証言者や文学者、あるいは後世の芸術家や思想家たちが、この稀代の天才からいかに影響を受けてきたかという「傍証」を列挙し、それによってベラスケスという歴史的虚構を様々な角度から読み直すというスタイルに仕上げている。

 また、ラス・メニーナスの自画像の赤い十字は、晩年にいたってサンティアゴ騎士団に入会するという念願を果たしたベラスケス自身が描いたとされるが、本書はそこへ大胆な解釈を導入している。あるいは巻末にけっこうな数の研究書が参照文献として列挙されているから、最近の研究で指摘され始めているのかもしれない。ボデゴンと呼ばれる静物画、あるいは矮人等の世俗イメージを積極的に絵画に取り込んだベラスケスは果たして単なる宮廷画家だったのか。二度のイタリア体験は彼になにをもたらしたのか。この辺りにやや近代的な解釈をもちこんで、17世紀に彼が背負ったひとつの宿命を最後にむけて描き込んでいる。

 同時代の証言者にはイタリアの師ともいえるスパニョレットことホセ・デ・リベラ、助手にして弟子のフアン・デ・パレーダ、ベラスケスに題材を得て詩を書いた作家フランシスコ・デ・ケベード、後世の人間では同じ宮廷画家のフランシスコ・ゴヤ、若き頃のパブロ・ピカソ、検閲下でラス・メニーナスをテーマに戯曲を書いたアントニオ・ブエロ・バリェホ、自分と古今東西の画家との勝敗表で唯一ベラスケスに負けを認めていたというサルバドール・ダリ、そして絵画の神学がナポレオン戦争後に辿った数奇な運命。これらが180-181ページのすばらしい見開きに集結する。

 説教臭さがご愛敬だが、文学等も含めた「ベラスケスのスペイン」という大きなイメージを提供してくれたという意味では、とてもありがたい本だ。

Santiago García, Javier Olivares, Las meninas. Astiberri, 2015, pp.192.(英訳あり:The Ladies in Wating. Fantagraphic Books, 2017.)

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