この写真も数日前に町家の本屋に行った時のものです。福島八幡宮前から百メートルほど北にある町家交流館です。元は造り酒屋で、いまは八女福島の資料館になっています。いつのまにか巡回バスのバス停が設置されていました。
2月、屋内では雛段が飾られ、お茶の接待が行われていました。
交流館前にある矢の工房。弓道に使う矢と飾り矢を製作しています。
矢工房のショーウインドウ。
八幡宮の方を振り返ります。この辺りは白壁が続いていて八女福島らしい風景です。
往還はここから再び写真の右、東へと方向を転じます。角には町の八百屋さん。店主は土間に座って何かに読みふけっています。店の前を通るとまくわ瓜の甘い匂いが流れてきました。梅雨も明けたころ、母親がおやつ代わりによく出してくれました。
古くからの町で醸造業というと日本酒と醤油です。明治25年創業のこの醤油屋はいまは食事処として営業。
民家の軒先で。
往還沿いにある廃墟は「土橋商店街」だった木造のアーケード。商店街の通りは突き当りを右に折れています。土橋付近は昭和30年代までは国道が交差し、久留米間を結ぶ路面電車の発着所になるなど交通の要衝でした。戦後は闇市が蝟集し栄えていた場所です。国道はバイパスが出来て市街地からはずれ、路面電車も廃止されていまは閑散としています。昔はこうしたマーケットが各地にありました。
時代は過ぎて。土橋商店街の側面です。
往還もこの辺りから普通の街並みになるので引き返すことにしました。北を見ると立派な楼門が見えますが、参道は駐車場になっていました。
楼門の向こうは境内なのですが。
楼門をくぐると中は広々とした境内、ではなく店が建て込んでいます。
西側の参道に回ってみました。鳥居と建物の関係はどこかで見た光景。といえば京都の錦天満宮の鳥居と同じです。こちらは建物の中までは貫通していないようにも見えます。正面には「土橋市場」の看板が。先ほどの土橋商店街の真向かいになります。
市場とはいっても呑み屋が多く飲食街の雰囲気です。ここを抜けると土橋八幡宮の社殿があります。店の通りが参道です。境内の西半分を土橋市場が借地しているのです。この市場の成立は戦後の闇市と深い関係があります。まだ多くの店が営業していて、昭和を感じさせる風景がネットでも取り上げられ、知る人ぞ知るスポットになっています。別の機会に稿を改めて紹介したいと思います。
帰り道。角に古い茶舗がありました。前回紹介した古民家ホテルと同じ水引暖簾が掛かっています。茶舗の名前を残したまま、そのホテルの別棟になっているのです。左に折れれば先ほど通った旧八女往還。真っすぐ行けば車を置いている市役所です。
往還を歩いていると色々な風景に出会いました。そのまま古びていく建物もあればヒト・モノ・カネが相まって再生され、命を吹き込まれる建物。以前からの商いを続けている店があります。ふだんは観光客も少なく静かな町ですが、その表情は豊かでした。存外、新しい建物よりも古くからの建物の方がしぶとく生き残るようです。
こうした戦後のマーケットは久留米でもあちこちにあり、商店街組合も出来ました。
今はほとんど無くなりました。
映画館も同様に衰退しましたね。
暑い日が続いています。
ご自愛ください。
土橋商店街の側面が徒然には興味をそそりました
ありがとうございました