昨日、相模原市城山総合事務所第2別館3階の相模原市立公文書館で開催されている
「軍と計画」と相模原の企画展をチョット関心があったので見に出かけてきた。
この企画展は昭和10年代、陸軍士官学校をはじめ、多くの軍関係施設や民間工場など
が相模原に移転してきた歴史に関する、写真や公文書などを展示しているものです。
陸軍施設の移転、昭和初期、人口3万人が住む広大な原野であった相模原台地に、昭和12年9月、
陸軍士官学校が建設され、東京・市ヶ谷から本科生徒隊が転営してきた。それは前年6月27日
の陸軍から電話連絡で始まった、用地買収交渉から第一期工事完成までわずか1年3ケ月という
突貫工事であった。翌昭和13年には臨時東京陸軍病院、陸軍造幣廠東京工廠相模兵器製造所、
陸軍工科学校が建設され昭和14年には陸軍電信連隊、陸軍通信学校、昭和15年には原町田陸軍
病院と、相模原台地一帯には東京から続々と軍事施設や軍需工場の移転が進み、昭和17年の
陸軍機甲整備学校迄8つの陸軍施設が建設された。これらに関する公文書などが展示されてた。
相模原軍都計画に対応するため、昭和14年9月には市域北部では相模陸軍造幣廠を中心に
「将来に於いて人口十万以上の都市の出現を見るは必至の情勢」という「相模原都市建設企画
整理事業」の事業説明が県議会で行われ、そして同年12月2町6か村による「相模原軍都建設連
絡委員会」が結成され関係軍施設や各町村に意向調査を実施し、インフラ整備の要望、各町村
からの合併の意向が示されて、都市計画法を適用し、道路、交通、住宅、商業などを整備し、
合わせて町村の合併協議が進められ昭和16年4月29日2町6か村が合併し「相模原町」が生まれる。
現在の市役所周辺の整然とした区画や公園、国道16号の40m道路などはこの当時の区画整理事業
によるものである。これらの経過の公文書、写真などが展示されてあります。
当時の陸軍士官学校の写真。
区画整理街路樹(西門)の写真なども。
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