「なんでパーティやるんですか?」とは、意外に聞かれない質問。
たぶん、ただのパーティ好きと思われているかもしれない、と最近思う。
まぁ、それもいいのですが 笑。
実は18歳から続いてる行動であったりする。
カタチはいろいろ変われど。
わたしは、
人はみんな、それぞれに
やるべきことを与えられて「生」を受けていると信じている。
これは、おばあちゃまの刷り込み。
3つごのたましい、なんとやら。
そして、もうひとつ。
人には出会うべき人というのがいて、
その出会うべき人から受ける影響が、
人のやるべきことのゴールへと 近づけるのだと。
これは、実体験から。
*****
わたしは、以前も書いたように 青春期はほんとイケテない女子高生だった。
いろんな劣等感を一気に感じ、出口の見えない闇の中、
しばらく自暴自棄だった。
特に高校に入学した15歳の春、
その劣等感はピークに達していた。
そこから始まる高校生活には何の興味ももてなかった。
今でも、
あまりに高校の体育をさぼりすぎたせいで
「体育の単位が足りないから、ほんとはまだ卒業してない!」と
体育教師に宣告される悪夢にうなされる。
たびたび「行ってきます」と家を出ては、
後楽園遊園地で日が暮れるまで遊んでいた。
そんな高校1年生のクラスの中に、
いつも教室で、廊下で、
登校の朝、お弁当の昼、放課後の午後・・・
わたしに大声で「よっ!げんき?」と
声をかけてくれる同級生の男の子がいた。
彼は いつも「斜め目線」の私に対し、
「きれいなものを きれいだと言う心をもとう」と諭し、
「君は他の人にはないものを持っているのだ」とかなんとか、
真剣に言い続けてきてくれた。
「君の価値を知るべきだ」と。
しかし、ラテン系の彼からは、
机の横を通ると
「よ。セクシー」と声をかけられ、
英語で「chemical」という単語がでてきて以降は、
大きな声でどこからでも
「けみかる、けみかるぅー」と呼ばれたりした。
15歳のうぶなわたしには、とても恥ずかしかった。
そしてなにより、わたしには彼よりも好きな男の子がいた。
いじけていた私にとって、
存在を認めてくれた彼の存在はとてもありがたく、
心の支えになっていたのは確かだった。
それは感じてはいた。
しかし、クラスメートたちの前で
それらの言動は素直に受け入れることはできなかった。
季節が一巡しわたしたちは高校2年生に進級した。
それでもいつも にこにこと明るく元気に
話しかけてくれる彼に対して
好きな男子の手前、
わたしはついに
「迷惑だ。金輪際、やめてほしい」と友達を介し伝えてしまった。
そのときの彼のこわばった顔は、今でも忘れられない。
*******
高校3年生になり
わたしたちの高校は進学校だったため
みな、一気に受験モードに突入した。
彼とはクラスが離れ2度と会話をすることもなく、
2度と目を合わせることもなく・・・
そのまま 卒業した。
*******
その後、大学に入った私は家を出、自立の道を選択した。
4畳半1間の目白のアパートは、わたしに生きていくことの現実と、
だけどいかにそれまで自分が家族や友達に甘えていたかを思い知らしめた。
そして、いかに自信を喪失し、自暴自棄だった高校時代の
わたしにとって
前述の彼が 心の支えだったかを知り、
同時になんとひどいことをしたのかという後悔にさいなまされた。
大学1年の冬、
胃の中に沈んだ鉛のように、
ずっと重く忘れられずにいた 彼の存在に
「もう一度会ってちゃんと、あやまろう」と決意した。
そして、京都の大学に進んだと聞いていた彼に
年賀状を書いた。
*******
いよいよ勇気を出して投函しよう・・・というその日、
わたしのPHSに1本の電話が入った。
実家の母からだった。
「あなたの高校の連絡網から電話があったわよ。
クラスメートだった○○君、昨日お亡くなりになったそうよ」と。
まさに、それは 年賀状の彼だった。
わたしは 奈落の底に突き落とされた。
******
2度と謝ることも、思いを届けることもできなくなった
冷たく硬直した彼の前で わたしは泣くことしかできなかった。
傍らには 「すげぇ かわいいの♪」といっていた自慢の妹さんが
悲しみに打ちひしがれていた。
はじめて見た妹さんは、ほんとうにかわいかった。
おかあさまにお願いをして、
わたしは詫びと感謝の手紙を棺に入れさせてもらった・・・
******
そのとき、人生が有限であることをはっきりと認識した。
そして、届けたい思いはそのときに伝えないといけないことを思い知った。
その後 彼の死を境に わたしは変わった。
自分がなすべきことは何なのか、
生きた証になにを残したいのか、
人になにを提供できる人間なのか・・・そんなことを考えるようになった。
そして、全ての判断基準が
「明日、命が尽きたとして それでも後悔しないのか」をもとに
GOなのか、NOT GOなのかを考えるようになった。
******
人は人によって、変わる。
出会うべき人に出会うために、さまよっている。
そして
その先に、生まれた理由である使命をまっとうできる日が来るのだと。
******
と、そんな理由で
「やっぱり、人に出会うことって 素敵ぃ♪」と思うのです。
そんな私でも
やっぱりまだ、出会う全ての人からなんらかの影響を受け、
人生を濃くしていっているのだと思います。
そして、
わたしが素敵だと思う人と人の間をつなげられたらと
まじめに思うのです。
そんな出会いがあればと思う人がいたら、
わたしにアウトソースしてくれたらと思うのです。
そんな願いを込めて
えっちらおっちら パーティをやってみたりしています。
なのでよかったら、遊びにきてくださいね~♪
*******
■年内パーティ
次回 11月17日(土)20時~ @銀座
その次 12月1日(土)20時~ @銀座
■BAR1日店長
11月2日(金)20時~@南青山
→この日、スペシャルなプレゼンテーターが来られます!
乞う、ご期待!!
お申し込みはこちら
たぶん、ただのパーティ好きと思われているかもしれない、と最近思う。
まぁ、それもいいのですが 笑。
実は18歳から続いてる行動であったりする。
カタチはいろいろ変われど。
わたしは、
人はみんな、それぞれに
やるべきことを与えられて「生」を受けていると信じている。
これは、おばあちゃまの刷り込み。
3つごのたましい、なんとやら。
そして、もうひとつ。
人には出会うべき人というのがいて、
その出会うべき人から受ける影響が、
人のやるべきことのゴールへと 近づけるのだと。
これは、実体験から。
*****
わたしは、以前も書いたように 青春期はほんとイケテない女子高生だった。
いろんな劣等感を一気に感じ、出口の見えない闇の中、
しばらく自暴自棄だった。
特に高校に入学した15歳の春、
その劣等感はピークに達していた。
そこから始まる高校生活には何の興味ももてなかった。
今でも、
あまりに高校の体育をさぼりすぎたせいで
「体育の単位が足りないから、ほんとはまだ卒業してない!」と
体育教師に宣告される悪夢にうなされる。
たびたび「行ってきます」と家を出ては、
後楽園遊園地で日が暮れるまで遊んでいた。
そんな高校1年生のクラスの中に、
いつも教室で、廊下で、
登校の朝、お弁当の昼、放課後の午後・・・
わたしに大声で「よっ!げんき?」と
声をかけてくれる同級生の男の子がいた。
彼は いつも「斜め目線」の私に対し、
「きれいなものを きれいだと言う心をもとう」と諭し、
「君は他の人にはないものを持っているのだ」とかなんとか、
真剣に言い続けてきてくれた。
「君の価値を知るべきだ」と。
しかし、ラテン系の彼からは、
机の横を通ると
「よ。セクシー」と声をかけられ、
英語で「chemical」という単語がでてきて以降は、
大きな声でどこからでも
「けみかる、けみかるぅー」と呼ばれたりした。
15歳のうぶなわたしには、とても恥ずかしかった。
そしてなにより、わたしには彼よりも好きな男の子がいた。
いじけていた私にとって、
存在を認めてくれた彼の存在はとてもありがたく、
心の支えになっていたのは確かだった。
それは感じてはいた。
しかし、クラスメートたちの前で
それらの言動は素直に受け入れることはできなかった。
季節が一巡しわたしたちは高校2年生に進級した。
それでもいつも にこにこと明るく元気に
話しかけてくれる彼に対して
好きな男子の手前、
わたしはついに
「迷惑だ。金輪際、やめてほしい」と友達を介し伝えてしまった。
そのときの彼のこわばった顔は、今でも忘れられない。
*******
高校3年生になり
わたしたちの高校は進学校だったため
みな、一気に受験モードに突入した。
彼とはクラスが離れ2度と会話をすることもなく、
2度と目を合わせることもなく・・・
そのまま 卒業した。
*******
その後、大学に入った私は家を出、自立の道を選択した。
4畳半1間の目白のアパートは、わたしに生きていくことの現実と、
だけどいかにそれまで自分が家族や友達に甘えていたかを思い知らしめた。
そして、いかに自信を喪失し、自暴自棄だった高校時代の
わたしにとって
前述の彼が 心の支えだったかを知り、
同時になんとひどいことをしたのかという後悔にさいなまされた。
大学1年の冬、
胃の中に沈んだ鉛のように、
ずっと重く忘れられずにいた 彼の存在に
「もう一度会ってちゃんと、あやまろう」と決意した。
そして、京都の大学に進んだと聞いていた彼に
年賀状を書いた。
*******
いよいよ勇気を出して投函しよう・・・というその日、
わたしのPHSに1本の電話が入った。
実家の母からだった。
「あなたの高校の連絡網から電話があったわよ。
クラスメートだった○○君、昨日お亡くなりになったそうよ」と。
まさに、それは 年賀状の彼だった。
わたしは 奈落の底に突き落とされた。
******
2度と謝ることも、思いを届けることもできなくなった
冷たく硬直した彼の前で わたしは泣くことしかできなかった。
傍らには 「すげぇ かわいいの♪」といっていた自慢の妹さんが
悲しみに打ちひしがれていた。
はじめて見た妹さんは、ほんとうにかわいかった。
おかあさまにお願いをして、
わたしは詫びと感謝の手紙を棺に入れさせてもらった・・・
******
そのとき、人生が有限であることをはっきりと認識した。
そして、届けたい思いはそのときに伝えないといけないことを思い知った。
その後 彼の死を境に わたしは変わった。
自分がなすべきことは何なのか、
生きた証になにを残したいのか、
人になにを提供できる人間なのか・・・そんなことを考えるようになった。
そして、全ての判断基準が
「明日、命が尽きたとして それでも後悔しないのか」をもとに
GOなのか、NOT GOなのかを考えるようになった。
******
人は人によって、変わる。
出会うべき人に出会うために、さまよっている。
そして
その先に、生まれた理由である使命をまっとうできる日が来るのだと。
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と、そんな理由で
「やっぱり、人に出会うことって 素敵ぃ♪」と思うのです。
そんな私でも
やっぱりまだ、出会う全ての人からなんらかの影響を受け、
人生を濃くしていっているのだと思います。
そして、
わたしが素敵だと思う人と人の間をつなげられたらと
まじめに思うのです。
そんな出会いがあればと思う人がいたら、
わたしにアウトソースしてくれたらと思うのです。
そんな願いを込めて
えっちらおっちら パーティをやってみたりしています。
なのでよかったら、遊びにきてくださいね~♪
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■年内パーティ
次回 11月17日(土)20時~ @銀座
その次 12月1日(土)20時~ @銀座
■BAR1日店長
11月2日(金)20時~@南青山
→この日、スペシャルなプレゼンテーターが来られます!
乞う、ご期待!!
お申し込みはこちら
どこかでまた元気にやってる気もするよね!
M井ちゃんも、わたしもあれから変わったよね 笑
いつかどこかで会っても
胸を張れるように生きたいよねー。
うん、いつも笑っている、いい奴だったのにね。
彼の残した意味とかも考えてしまうが、それでもやっぱり早かったよね。
俺たちも来るべき日に備えて、悔いなく進むしかないよね。