朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

私の両親⑬(最終話)

2020-11-27 17:16:21 | 毒親のこと

私は父に「お母さんと離婚してほしい」と言いました。

もうお母さんを支えていけない。

このままでは家族全員破産してしまう。

私は苦しい胸のうちを父に切々と訴えました。

今まで父に何かを訴えたり、頼みごとをしたことはありませんでした。幼いころから「お父さんが悪い」と聞いて育ってきましたから、「お母さんがダメっていってるものは、どうせお父さんもダメだろう」と思ってました。進学も就職も…何もかも母にダメ出しをされている私の姿を見ているはずなのに、いつも父は何も言ってきませんでした。父は私に興味がないと思っていました。

私の訴えを聞いた父は「ごめんな。けめこ、もう家に帰っておいで」

そして「お母さんとしっかり話し合うから」と言ってくれました。

私はアパートを引き払い、実家で生活をすることになりました。

両親の間でどのような話し合いがあったかわかりません。

数日度、市役所から離婚を受理した知らせが届きました。

そして、母は家を出ました。

 

母は福祉の協力の基、一人で生活をすることになりました。

実家から車で20分ほどの隣町にあるアパートです。

母が一人で生活をするようになってからも、私は週1程度に母の様子を見に行きました。母も特に変わりなく私を部屋に招き入れてくれていたので、離れて暮らしてみてよかったな…このままうまく距離をとって付き合っていけたらいいな…と思いました。

母と離れて自分の時間が出来た私は、以前から興味があった福祉系の資格の勉強をしたり、勤めている会社が工場だったので工業系の資格を取ったりしました。そして「高卒の女性でも家を買うことはできるのかな…」とぼんやりとですが考えたりしました。やっと自分で自分の道を切り開ける!と思っていた矢先…。また母から仕事中に電話がかかってきました。いつもの「お金を貸してほしい」との電話でした。私は「忙しいからまたあとで」と詳しい話を聞かず電話を切りました。

 

仕事帰り、母のアパートへ行くと「なんで(電話の対応を)邪険に扱うんだ!!」と怒る母。

私は「パチンコに行くお母さんより、借金を一生懸命返しているお父さんを支えていきたい」と言いました。

すると母が「“子はかすがい”と言うのに!!親不孝者!!薄情者!!」

そして、

「これがあんたの宿命なの!!」

私は背筋が凍り付きました。親の借金…しかもパチンコで負けた借金を払うのが私の宿命???

25歳過ぎた娘に言うこと???周りを見てみなよ…結婚して子供を産んでる人もいる。バリバリ働いている人もいる。夢に向かって頑張っている人もいる。それなのに、私は、私は、母の借金を払うために生まれてきたのか!!どこまで私を追い詰めれば気が済むの!!

今まで様々なことを否定され、母の言うとおりに従ってきた私ですが、この言葉だけは受け入れることができませんでした。

その日を境に私は母との接触を一切断つことにしました。

電話も、メールも一切無視しました。

ある日会社の守衛室から「けめこさんのお荷物を預かっています。」と内線があり守衛室に行くと

「お借りしていたものをお返しします。〇〇(母の旧姓)より」と書いてある小包を受け取りました。

中を開けると、母に貸していた本やDVDが入っていました。母はわざわざ私の会社の守衛室まで持ってきたのです。

そのような気味の悪いことがあっても私は母を無視し続けました。とことん無視し続けました。

しばらくすると母からも連絡が来なくなりました。

私は母の言う通り「親不孝」なのかもしれません。母を見捨てたのです。

否定され、貶され、決して認めてくれなかった母。

でも…いまでも、何か違う方法で接していたらここまで崩壊しなかったのでは…と自問してしまいます。

褒めてもらいたかった、認めてもらいたかった、そして…甘えたかった。

私はいま、2人の子供を育てています。

母を反面教師…と思って日々過ごしていますが、なかなか上手くいかない時もあります。

血は争えない。

蛙の子は蛙。

母のようになりたくないのに。

四苦八苦する日々をブログに書いていきたいと思います。

 

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毒っけのある親御さんのもとで育った方、今現在一緒に生活している方、環境は人それぞれ違いますが、どうかどうかみなさんの「自分の道を自分で切り開く権利」が奪われませんように…と願っております