朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

オシャレなお下がり

2021-04-28 09:43:53 | 子育てのこと

おはようございます。

今日は仕事が休みです。

家族を送り出し、1回目の洗濯が終わり「おちょやん」を見ながらコーヒーを飲んでいたら宅配便が届きました。

地元の友達(Mちゃん)から届いた宅配便を開けると…

おしゃれで可愛い洋服が沢山入っていました

先日Mちゃんのお子さんが小学校に入学したので、ほんの少しですが入学祝いを送りました。

その時Mちゃんとお互いの近況報告を話し、私は我が家の上の子の服のサイズについて話しました。

上の子は身長も大きく、体つきもガッチリしてます(太ってはいません

「(上の子の)服を買う際に160サイズを買うべきか、レディースのSサイズを買うべきか悩むんだよねー」と何気に話したらMちゃんが「私のお下がりでよければ着ない?」と。(Mちゃんは小柄で可愛らしい人です)

Mちゃんとは高校の時に知り合った友達ですが、当時からオシャレな子でした。

それまで「隠れキリシタン」の如くひっそりと漫画やアニメしか興味がなかった私にそれ以外の“サブカルチャー”を教えてくれたのがMちゃんです。

聴いている音楽のセンスも格好よくて、「BRAHMAN」や「Hi-STANDARD」の曲を聴かせてくれました。

高校を卒業し、お互い別々の道を歩んでも、私が母親に振り回されている時も、Mちゃんが仕事先でいろいろあった時も、そして、お互い結婚し子どもを育てている今も…心地よい距離感でお付き合いをしてくれる大切な友達です。

Mちゃんが送ってくれたお下がりのうち、何点かは私も見覚えのある洋服でした

「あ、この服を着ていた頃のMちゃんを知ってる

一緒にドライブしたり、買い物に出かけたり、おしゃべりしたり…

ディスカウントストアで見つけた格安のキックボードを買って、吉川晃司の「モニカ」を歌いながら地元の公園の遊歩道を走ったよな…とか

まさに青春

箸が転んでもおかしい年頃を一緒に過ごしました。

 

日頃から我が家の子ども達に「〇くんのママ(Mちゃん)はオシャレなんだよ~」と話していたわたし。

こんなに素敵なお下がりをいただけて、上の子も絶対喜ぶと思います

私はさっそくMちゃんにお礼の連絡をしました。

心地よい距離感でお付き合いができるMちゃん、コロナ前は年に数回お互いの家を行き来して会っていました。子ども達同士も仲良しです。

しかしここ1年。LINEでも電話でもやりとりの最後は必ず「早く会える日が来るといいね」です。

写メやテレビ電話で顔を見ることはできるけど…対面でお喋りしたいな。

そんな私たちには夢があります。

「コロナが終息したら、東村山にいって“志村けん”の銅像の前で写真を撮ろうね!」です

高級車を乗り付けて買いに行ったお団子屋さん、チビちゃんと一緒に食べたうどん屋さん、志村けんさんが愛した街を歩いてみたいです

 

ブログをご覧いただきありがとうございます!

Mちゃんから頂いたお下がり。本当にどれもオシャレでした

中には「パジャマにどう?」と某夏フェスのTシャツも入っていました。パジャマにするにはもったいない!学校に着て行ったらROCKじゃん

ちなみに。どうして「モニカ」を歌いながらキックボード?ですが…

「きっくぼーど」→「きっく」→「きっかわこうじ」→「モニカ」

えぇ…これが「箸が転んでもおかしい年頃」ってやつです。


毒親は連鎖するのか。

2021-04-22 22:27:02 | 毒親のこと

私は母の事を「毒親」だと思っています。

母はギャンブル依存症で多額の借金を作りました。私はその借金を肩代わりしました。

そして母は私に「(親の)借金を返すのがあんたの宿命なの!」と言い放ちました。

でも私が母の事を「毒親」と思うことは他にもあります。

私が自分で考え、自分の力で道を切り開こうとする全ての事を母は「反対・否定・批判」してきました。

むしろ母のこのような部分が「毒親」だと思っています。

よく「毒親は連鎖する」と聞きます。

私は絶対に絶対にぜっっっっっったいに!!!!「母のようになりたくない」と思い、ブログ名も「母のようになりたくないのに」と…ちょっと重たいブログ名を付けました。戒めとして付けました。

しかし、時々“私の中の母の部分”が顔を出します。ものすごく自分に対して嫌悪感でいっぱいになります。髪の毛や爪のように切れるものなら切りたいし、かさぶたのように剥がせるものなら…“私の中の母の部分”を切り落としたい、削ぎ落したいです。血を入れ替えて変われるものなら…健康だった10代、20代の頃、献血を何度かしましたが…変われませんよね

ふと“母の母”である祖母は毒親だったのか…と考えました。

私のことをとても大事にしてくれた祖母です。

「たった一人しかいない娘(私)を困らせて…」といつも案じてくれた祖母です。

 

祖母は戦後まもなく女手一つで商売をしていました。(祖父は普通の会社員)田舎の町の小さな商店だったそうです。

日用雑貨や食料品を販売し、夏になるとかき氷、冬はそばを作って食堂みたいなこともしていたそうです。

仕入れも祖母が一人でやっていました。背負子を背負って電車に乗り、大きな町まで仕入れにいっていました。

母はよく言っていました「おばあちゃんがハイカラな生地を仕入れてきて、それで洋服を作ってくれるのが嬉しかった」

「夏になると店でかき氷を売るんだけど、シロップをかけ放題で食べた」「おばあちゃんが商売をしていたから(持ち物など)何不自由なく用意してもらった」

母にしてみれば祖母は「自慢の母」だったのかもしれません。

そんな子供時代をおくっていた母は高校を卒業後、東京に出てきて就職をします。

当初祖母は母の上京を大反対したそうです。

東京で仕事をしている時も祖母から頻繁に手紙や電話がきて母のことを案じていたと。

しかし、母は数年で実家に戻ります。そして地元の会社に就職、父と出会って「できちゃった結婚」をしました。

この話を聞いて私は母に尋ねました。「どうして東京にでたの?」

すると母はこう言います「私が実家にいたらおじさん(母の兄弟)が結婚できないじゃない。小姑がいる家にお嫁さんなんかきてくれないでしょ」

「兄弟のため、実家のため」

母はよくこの言葉を言いますが、正直信じられません。

「できちゃった結婚」をした母は祖父母に全てお金を出してもらって急遽結婚式を挙げました。

新生活に必要な家財道具も全て祖父母が用意しました。

私が生まれた時も上げ膳据え膳で祖母に世話をしてもらいました。

そして幼い私を祖母に預けて働いていました。(保育園のお迎えはいつも祖母でした)

夫婦喧嘩の絶えない両親だったので家の中がひっくり返るくらいの大喧嘩をして何度も、何度も、何度も…数えきれないほど祖父母に泣きついていました。

経済的にも支援してもらっていたと思います。

そんな祖母が「毒親」?

母は祖母に「依存」していたのかもしれません。

いつでも祖母が助けてくれる。祖母は一番私(母)を愛してくれている。

だから母はいつも祖母が私に何かしてくれると(お年玉や成人式の晴れ着など)「私(母)がいるからあんたはおばあちゃんによくしてもらえるのよ」と言っていました。

祖母も自分に「依存」していた娘(母)を見放すことができなかった…

そう考えると、ある意味祖母は母にとって「毒」だったのかもしれません。

毒は毒でも麻薬のような…快楽を与え、それなしでは生きていけない「毒」だったのかもしれません。

私の中にも流れている母のDNAと祖母のDNA。

「猛毒」にもなりたくないし「麻薬」にもなりたくない。

祖母には本当に感謝しています。「私は愛されている」と深く深く感じる事ができました。

しかし本当に「毒親は連鎖する」のならば、この負の連鎖を私が断ち切らねばなりません。

 

いつもブログをご覧いただきありがとうございます!

私が実家にいた頃、母の昔のアルバムを見たことがあります。

白黒やセピア色の写真でもわかるほど、写真の中の母は誰よりも「ハイカラ」な洋服を着ていました。

そしてちょっと気取ったような…ツンとすました表情をしていました。(母は目力が凄いんです

「うわー。自分のクラスにこんな子がいたら絶対に近づきたくないわぁ」と思いました

祖母も母も洋裁が出来ます。私は…正直そんなに得意じゃありません。

そういう「違い」も母にしてみれば私を否定・批判する材料のひとつだったのかもしれません。

とにかく私と祖母の仲を妬む人でした。

戦争中、貧しかったり辛い思いを沢山してきた祖母。

戦後すこし経って日本に活気が戻ってきて、欲しいものが欲しいときに手に入るようになって。

商売をしていたこともあり「最新のもの」が一般の人より先に手に入れることが出来て…そりゃ自分の娘に与えたいと思いますよね。。。


親離れの第一歩。

2021-04-21 22:26:10 | 子育てのこと

上の子の習い事の送り迎えがあるためここずっと下の子の習い事に付き添うことが出来ませんでした。

下の子も「一人で行けるよ!」と言うので“交通安全で!!”と口酸っぱく言い聞かせて行かせていました。

先日、すごーーく久しぶりに下の子の習い事に付き添う機会がありました。

駐輪場に自転車を止めて、建物の中に入ろうとした時。

(付き添っていた頃の癖で)つい下の子と手を繋ごうとしたら…下の子がボソッと一言。

(。´-д-`)ボソッ「…今は手を繋がないよ。」

 

Σ( ̄ロ ̄lll)シマッタ!!

デデデ…デスヨネーーーー

そうか。

そうですよね。

もうお母さんと手を繋いで歩くとか…そういうのは“卒業”ですよね。親離れの第一歩ですよね。

ごめんね。お母さん、まだまだ君を“小さい頃の君”で見ていた。

下の子にも私の知らない「君の世界」が出来ていたんだ。外でお母さんと手を繋いでいるところなんて友達に見られたくないよね。

私は心の底から反省して、以後気を付けようと思いました。

 

また別の日。

上の子がなんだかイライラしている様子です。

下の子に対して厳しい口調で話しかけています。椅子やドアノブの開け閉めも荒く扱います。

あぁ…思春期に突入し始めたんだな…。

でも私は思春期に突入した上の子を見て「よっしゃー!」と内心喜んでしまうんです。

だって、家族(親)に対してありのままの気持ちを見せてくれるから。

私は母に「思春期」特有の感情を見せることが出来ませんでした。

少しでもイラついた感情を見せたら…少しでも口ごたえをしたら…

その何十倍、何百倍も攻撃(口撃)されます。人格を否定され、非難され、批判されます。

私が小学校5,6年生の頃。どうしても納得できないことがあり、母に口ごたえをしたことがありました。

怒り狂った母は私が着ていた服を全部脱がし(まさに“身ぐるみはがす”)素っ裸で外に放り出されました。

夜だったのであたりは真っ暗、田舎で人通りもなく裸身を見られることはありませんでしたが恐怖でただただ「ごめんなさい。家に入れてください。」と小さな声で何度も訴えました。

「私(母)がいなければお前なんて生きていけないくせに」

その出来事があってから私は母に反抗的な態度を見せたことがありません。反抗的な態度を見せたら…この世の終わりだからです。

 

話は我が家の上の子に戻ります。

初めての妊娠出産で産んだ我が子。

情報源はネットと「ひよこくらぶ」です。

「ひよこくらぶ」に載っている赤ちゃんと同じ月齢なのにうちの子はまだ〇〇ができない…どうしよう。

ネットでは〇か月でこんなことが出来るって書いてあるのに、うちの子はまだできない…大丈夫かな…

赤ちゃん用の体重計をレンタルして、上の子が生後6か月になるまで毎日体重を計っていました。

ちゃんと母乳を飲めているのか、ちゃんとおしっこが出ているのか…確認の為に「布おむつ」を使っていました。

「大丈夫かな?」「ちゃんと子育てできているのかな?」まさに石橋を叩くような育児をしていました。

そんな我が子にきちんと「思春期」がやってきて、抑えられない感情を私に見せてくれる。

やった!!順調に成長してる!!

しかし私も経験したことがない「思春期」。

受け止められるか…時にはうまいことスルーできるか…ちょっとドキドキです

 

ブログをご覧いただきありがとうございます!

アグネス・チャンさんの息子さんが「思春期」(反抗期?)を迎えたころ。

「これはあなたのせいでもない。親のせいでもない。ホルモンのせい!」と言って聞かせた。とテレビで話していました。“おもしろいこというなぁ”と感心しちゃった私は子ども達に「この先“思春期”というものがやってきます。自分でも抑えきれないほどイライラしたりするけど、それは誰のせいでもないから。体と心が大人の準備をするためだから。ホルモンのせいだから!」と笑いを交えながら伝えています。上の子にも「(思春期と)うまいこと付き合っていきなさい。お母さんに話しづらいことがあったら、保健室の先生や〇〇先生(上の子がお世話になってる先生)に聞いてもらいなさい。」と話しました。本当なら“おばあちゃん”という存在がいたらいいんですけど。。。

「今は手を繋がないよ」と言った下の子。

家の中ではまだまだ可愛らしいところを見せてくれます


秋葉原と肉の万世

2021-04-18 21:20:01 | 日記

我が家は毎年家族の記念日に「肉の万世」(秋葉原)に行っています

先日“まん延防止なんちゃら”が始まる前にも久しぶりに食事をしてきました。(ご時世柄テーブルには「ますくけーす」が用意してありました

お腹いっぱい食べて(私はご飯のお代わりをひかえました)、「に志かわ」の食パンを買って、運動がてら家まであと数駅のところまで歩きました。結構な距離を歩きましたが、子どもたちがへこたれず歩く姿を見て成長を感じました

「肉の万世」には「まんせいくらぶ」という子供向けのサービスがあり、入会すると食事の際にジュースorソフトクリームを頂くことができます。

また11時30分までに食事の注文をすると目玉焼きのサービスが付きます

そして、ありがたいことにご飯はおかわり無料です。(私はこの先お代わりできないけど…

席の予約もできるので、窓側の席に座れると電車や秋葉原の街並みを見ながら食事ができます。

誕生月にはバースディカードが届いて、カードを持参すると「記念写真」や「お菓子のプレゼント」があります。

子どもの写真は普段からスマホでバシャバシャ撮るけど、自分たちの写真って撮らなくなりますよね。(年を重ねていく己の写真など見たくない…という気持ちもあり

改めて集めてみるとこんなに沢山ありました!!

我が家の「家族写真」はほぼほぼ「肉の万世」で撮っていただいてます

「たまには違うお店で外食したいな」と思った時もありましたが、こうして「家族写真」を見ると、子ども達の成長や、我が家の歴史が積み重なっていくのが見えて幸せを感じます

 

秋葉原は私たち夫婦にとって思い出がたくさんある街です。

初デートも、結婚の話をしたのも、子どもが生まれて初めておでかけしたのも秋葉原です夫婦揃って「オタク気質」なので、秋葉原は本当に楽しい街です。

「街歩き」をしよう!と計画をたてても起点は秋葉原スタートです。「秋葉原からお茶の水方面に歩いてみようか」とか「秋葉原から上野方面に歩いてみようか」とか。その逆もありました。「秋葉原に向かって歩こう!と(笑)

夫は目覚まし時計代わりに昔使ってたガラケーを持っていますが、その待ち受け画面が「秋葉原で初めてガチャガチャを回す上の子」の写真です。(“待ち受けを変える気はない!”と言っていました。)

秋葉原は「電気街」「アニメの聖地」など言われますが、ここ十数年でオシャレなお店も沢山できました。

秋葉原から御徒町方面の高架下にある「2k540」も大好きなアーケードです。

木製雑貨や革製品、草木で染めた優しい色合いの染め物…

職人さんが作る“一点物”を見ると心が癒されます

そして、私も物事に対してひたむきに誠実に向き合わなきゃな!!という気持ちになります。

会社勤めをしていた頃、後輩くん(といっても向こうは大卒)が「革製品の職人になりたい。」といって退職しました。無事に夢を叶えることができたかな

どうやら我が子も「秋葉原大好きっ子」になりそうです。(上の子は漫画やアニメ系、下の子は電子工作系)

これから先、親と一緒に出掛ける回数も減ってくるかもしれません。

でも「秋葉原」と「肉の万世」が家族で出かける機会を繋ぎとめてくれるといいなぁ。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます!

我が家が「肉の万世」に行く日は大抵「家族の記念日近くの日曜日。」

いつもより遅めに起きて、お腹を空かせたまま「肉の万世」へ。

サービスでつけて頂ける「目玉焼き」のトッピングを忘れす(笑)さらにハンバーグの付け合わせの「ナポリタン」を大盛に変えて(そのため私はご飯を減らします

ずーっと「お子様ランチ」だった我が子たちはいつの間にか「キッズハンバーグ」にボリュームUPしました。

お腹が満たされ、お店を出た頃には「歩行者天国」になっています。

ぶらぶらと街ブラをして、ちょっと疲れたら昌平小学校の隣にある公園で遊んで(我が家の子どもたちもこの公園でたくさんの“一期一会の出会い”をしました。いい経験です)、神田達磨のたい焼きを買ったり…買わなかったり。

「2k540」を歩いたり「ちゃばら」で旅行気分を味わったり。ヨドバシカメラLOVEな夫は必ずヨドバシカメラにも立ち寄ります(笑)これが我が家のお出かけの定番です。

あぁ早く以前のように秋葉原の街を歩きたいな。


歯医者さんにて

2021-04-13 23:15:10 | 日記

現在虫歯の治療のため歯医者さんに通っています。

左側の奥歯にずっと違和感を感じて通い始めたのにレントゲンを撮っても「虫歯はありませんね」と。

「逆に右側の奥歯にかなり大きな虫歯が出来ています。今まで痛みはなかったですか?」

えぇー…全然。これっぽっちも痛くなかったです

そんなこんなで治療をしています。

まずはお口の中の状態を見て→全体をクリーニング→虫歯の治療をしていきましょうと。

おぉ…虫歯を2本治療するだけでも結構時間がかかりそうだな。歯は大切にしなくちゃな。

歯茎に麻酔をして治療が始まります。

「痛かったらいってくださいねー」

キュイーーーーン、ガガガガガガ、ズズズズーーーーッ

時々歯医者さんに電話が入ります。保留音が流れます。

♪~~~~~~~~~~~~~~~~

“あれ?この曲知ってる。すごーーーーく聞き覚えがある。とても懐かしくて…なんだっけ?なんだっけ?”

曲名といつどんな場面で聞いてたか思い出せません。

すごく懐かしくて、すごく幸せを感じながら聞いていた感覚だけがよみがえります。

じんわりと胸があったかくなって…やばい…泣きそう。でも今泣いたら「治療が痛いのかな?」って先生が勘違いしちゃう~

私はしわが寄らない程度に強めに目を瞑り、削られていく自分の歯に意識を集中させました。(伝家の宝刀マインドフルネス瞑想です

 

思い出せないままうちに帰り、夕飯の支度をしている時。

リビングで宿題をする上の子の背中を何気に見つめました。

その瞬間思い出しました!!歯医者さんで流れていた電話の保留音を!!

そう!!あの曲は上の子が赤ちゃんの時使っていたメリーさんで流れていた曲じゃん!!

ああああ!!でも曲名がわからないクラシックであることしかわからない有名な曲なのに!!

私は勉強中だった上の子に「お勉強中もうしわけないのですが…」とお詫びをし尋ねました。

「ねぇ、あなたが赤ちゃんの時に使ってたメリーさんの曲名を知りたいんだけど、どうやって調べればいいい?」

我が家のブレーン(上の子)は答えます。

「グーグルに聞けばいいじゃん。」

「でも曲名がわかんないの」

すると上の子はスマホ(私のお下がり。家の中でしか使いません)に向かって

「この曲教えて」と話しかけました。

「こうやって“この曲教えて”って言ってから歌(曲)を聞かせると教えてくれるよ。」

( ゚Д゚)ひょえええええええ~~~!!!!

さすが…我が家のブレーン。。。いつの間にそんなこと覚えるの!?知識を覚えるスピードの速さたるや…!!

どんどん知識を吸収していく上の子に驚きながら、私はグーグルに向かって鼻歌を歌います。何度か失敗、「ラ~♪」でだめなら「フンフ~ン♪」でどうだ!試行錯誤の末、ついに曲名が判明しました!!

 

OGPイメージ

愛の挨拶 - Wikipedia

 

 

 

エルガー作曲の「愛の挨拶」

 

上の子が赤ちゃんだった頃

この曲にあわせてクルクル回るメリーさんを見つめる我が子をずーーーーっと眺めていました。

幸せだな。あったかいな。嬉しいな。愛おしいな。

最初は見つめるだけだったメリーさん。

だんだん大きくなってきて、お座りできるようになってくるとメリーさんについていたお人形に手を伸ばすようになりました。時にはお口に入れて感触を確かめていたり。ブンブンふって「ポイッ」ってするのを楽しんだり。

その子が今では「グーグルに聞けばいいじゃん」(笑)

今の我が子ももちろん可愛いけど、もし1日だけタイムトリップできるなら家事なんてみんな放り投げて、メリーさんを見つめる我が子をただただひたすらずーーーーっと見ていたいな

 

ブログをご覧いただきありがとうございます!

「グーグルに聞けばいいじゃん」発言には本当に驚きました(笑)

柔軟に知識を吸収して…いやもう…すごい!!今どきの子!!(語彙力がどんどん衰える40代)

ちなみに違和感があるのに虫歯じゃなかった左の奥歯。

「どうして虫歯じゃないのに違和感を感じるんですか?」と尋ねたら、「無意識のうちに歯を食いしばったりするとそうなったりしますよ。特に今はコロナの影響で知らず知らずのうちにストレスなどで歯を食いしばってしまうんです。」

おのれコロナこんなところにも影響を及ぼしているのか!!