朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

放っておいていいんです。

2022-08-08 23:50:26 | 毒親のこと

気持ちが沈んでいた7月。

心療内科の受診日がありました。(2週間に1度通院しています。)

服用しているお薬を卒業できるよう、今年の春から少しずつ減らしています。

焦らずゆっくり進めていこう。

最近では診察の際“心の病”の話より“世間話”的な会話の方が増えてきていました。“卒業”に向けていい感じでした。

先日の受診日のとき。

仕事も普通に行けてるし、夜も眠れてます。

だけど、あのニュースが衝撃すぎて気持ちが沈みます。

あの人がしたことは到底許されることではありません。

だけど、自分と重ねて見てしまい…辛いです。

 

心療内科の先生には「今」の生活環境について話すことはありましたが、「母」について話した事がありませんでした。

私はその日初めて「母」のことを先生に話しました。

母がギャンブル依存であること。

私が母を捨てて自分の幸せ(結婚)を選んだこと。

疎遠になっている母から定期的にヒステリックな電話がかかってくること。

正直、母に会いたくない。声も聞きたくない。

だけど最後は私が“娘の責任”を取るつもりでいます。

 

私の話を聞いていた先生が一言。

「放っておいていいんです。」

 

穏やかで物腰も柔らかな先生です。

いつも「うん。うん。そうなの。」と優しく話を聞いてくれる先生です。

そんな先生がキッパリと仰った「放っておいていいんです。」

 

そんなにハッキリ言っちゃって良いんですか💦

私はちょっと驚きました。

ニュースを見ないようにしていたとはいえ、心がのまれそうになっていました。

法律上の親子の縁は切れません。最後はキチンと役目を果たすつもりです。

でも、私は自分を犠牲にしなくてもいい。

私は私の人生を歩んでいいんだ。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

私が心療内科に通うきっかけは「コロナ」でした。

学校が休校になってしまったのに、私も夫も仕事に出なければいけなかったこと。

家で過ごす子どもたちの“学び”や“今まで頑張ってきたこと”をどう継続させればいいか不安でたまらなかったこと。

“大丈夫だよ!どんまい!”って明るいお母さんでいたいのにイライラして、自分で自分を抑えられなくなったこと。

 

まだまだまだまだ終わりが見えないコロナ。

だけど、夏休みの思い出をたくさん作ってあげたい。

自由研究のお手伝いがしたい!

一緒に読書感想文の本を選びたい!(毎年大苦戦💦)

私の時間は私と私の大切な人のために使いたい。


母と祖父の話④

2022-06-29 20:45:42 | 毒親のこと

祖父の車を廃車にしてくれた業者さんに向かう車の中でも祖父と母は言い争います。
母はまるで今まで祖父の面倒を見てきたかのような口振りで祖父を責め立てました。
しかし、今まで祖父の身の回りの世話をしてきたのは亡くなった祖母と同居している“いとこちゃんのお母さん”です。
母は実の両親、義理の両親、双方と同居をしたこともなければ、所謂“介護”などもしたことがありません。
“小姑が居ては兄貴に嫁さんがこない”と理由をつけて“できちゃった結婚”をした母。
“お父さんの実家からは何の援助も受けてない”、“お父さんは中学しか出てない”と父に対していつも文句をいいますが、限界集落で生まれ育った6人兄弟の父。
確かに裕福な家庭ではありませんが、逆を言えば“煩わしさ”もありません。実際母には同居も介護の心配もありませんでした。さらに父の親族を“毛嫌い”していた母。離婚するずーっと前から父の親族には会っていません。
自分達の生活だけを考え、守っていけばよかったのに…

廃車工場に到着後、業者の方に祖父の車の場所まで案内をしていただきました。「解体する前でよかったですね~」と業者さん。
一昨日、父や伯父さんと来たときには気付きませんでしたが、改めて祖父の車を見ると車体のアチコチに大小様々な傷やへこみがついていました。
車の運転が大好きだった祖父。
祖父の車はいつもピカピカで、車内もゴミひとつ落ちていない記憶があります。暇さえあれば車のマットを外してパンパンとはらっていました。一昨日も「けめこの車はリッター何キロ走るんだ?」など車に関する話題を話しました。そんな祖父の車が傷だらけ…
祖父から車を取り上げるのは本当に残念ですが、伯父さんの判断は正しかったと思います。
そして、肝心の“お金”ですが…
なんと祖父の言うとおり本当にお金が出てきました。
マットの下
座席の隙間
トランクのドアの窪み
まるで“ヘソクリ”ですΣ(゚ロ゚;)
祖父は悲しい声で「直せば乗れるのに」と言いながら車内のアチコチから“ヘソクリ”を取り出していました。
母は宝さがしでもしてるかのようにキャッキャと興奮しながらお金を探していました。ここに来るまでの争いがウソのようです。

祖父が満足するまで車の中を捜索し、別れを惜しむように廃車工場を後にしました。
時間はお昼を少し過ぎていました。
私は伯父さんに連絡を入れ、祖父をどのように帰すか相談しました。伯父さんは「駅まで俺が迎えに行くから新幹線に乗せちゃって」と言いました。
「おじいちゃん一人で乗せちゃって大丈夫ですか?」
「大丈夫。探したい物も見つかって満足してるから心配ない。ホームで待ってるから乗った時間と座席を後で教えて」

伯父さんとの電話を終えた後、私たちは駅の近くの中華料理店で食事をしました。
ここで私は母の“嫌なところ”を見ます。
3人それぞれ違うメニューを頼み、料理が運ばれてきました。
この時わたしが注文した料理のお肉がほんの少しだけ“冷凍焼け”のような臭いがしました。
ちょっと臭うかな?…でもまぁ、いっか…と思いながら食べていると、私の異変に気づいた母が「どうしたの?」と聞いてきました。
「お肉が少し臭うんだけど、でも大丈夫。」
その会話を聞いていた祖父が「なんだ?なんだ?」と聞いてきましたが、面倒なトラブルは起こしたくないと思い「なんでもないよ。大丈夫だよ。」と答えました。
食べ終わって会計をする時、レジで財布からお金を出してる私に向かって「あのことを言ったら?」と母が言いました。
お店の方が「なにかありましたか?」と尋ねてきたので「お肉が少し“冷凍焼け”のような臭いがしました。でも大丈夫でした(食べられました)」と伝えました。
祖父はこの会話が聞き取れたのか「悪くなった物をだすのか!」と怒りのスイッチが入ってしまいました。迎えに行ったファーストフード店同様、このままでは収拾がつかなくなります。
お店の方もオロオロしています。
私の後ろにはお会計を待っている人がいます。
私は「おじいちゃん大丈夫だから」と宥めている時、ふと母の顔を見ると、母は上目遣いでニヤニヤと“さぁどうするの?”といった表情で店員さんを見つめていました。
本当に嫌な表情でした。
わが母ながら残念すぎる表情でした。
料理を食べたのは私
大丈夫と言ったのも私
会計を支払うのも私です。
私が“大丈夫”と言ってるのだから、これ以上“おおごと”にしたくないのに。
祖父を連れて先に駐車場に行って欲しいのに。
仕事中の私を呼び出し、早退させ、自分の実家、自分の親のことなのに伯父への連絡も何もかも私に丸投げ。なのに祖父に対して“私はおじいちゃんに尽くしてきた”と言う母。
いまこうして当時を振り返っても母の言動が理解できません。
そしてオロオロする店員さんをニヤニヤ見つめる母の表情が脳裏にこびりついて離れません。私も自分が気付かないうちにあんな表情をしてるのかな…本当に嫌だ。


ブログをご覧いただきありがとうございます。
その後祖父を新幹線に乗せ、伯父さんと連絡をとり、祖父は無事に帰宅できました。
車を廃車し、運転免許を返納した祖父は認知症が進行し家の留守を任せることが出来なくなったそうです。間もなく施設に入居しました。
大好きな祖母もいません。
道に迷いながら会いにいった母は祖父の気持ちに応えませんでした。
祖父の“命の灯”はどんどん小さくなってしまったのかもしれません。
桜の花がチラチラと散り始めた季節に祖父は空へと旅立ちました。
母は祖父の葬儀には来ませんでした。


母と祖父の話③

2022-06-25 15:26:50 | 毒親のこと

祖父と伯父さんが帰った日の翌日。
仕事終わりの私の携帯電話が鳴りました。
着信画面には「おばあちゃんち」の文字が…
電話は伯父さんのお嫁さんからでした。(続柄的には“伯母”なのですが、母とお嫁さんは折り合いが悪く、母からお嫁さんの悪口を沢山聞かされていた私は伯父さん以上にお嫁さんに懐きませんでした💦“伯母さん”と呼んだこともなく、“いとこちゃんのお母さん”と呼んでいます。)

「けめこちゃん、一昨日はありがとうね。」
「いえ、こちらこそ…うちの事でおじいちゃんに心配かけてすみません。」
「あのね、おじいちゃんの事なんだけど、さっき○○駅の近くにあるお店から電話をもらってね…」
え!?○○駅!?○○駅は私の家の最寄り駅です。
いとこちゃんのお母さんの話によると…
・伯父さんといとこちゃんのお母さんが仕事に行っている間に祖父が一人で外出。
・電車に乗って私の家の最寄り駅まで来たけど、その先どうしたらいいか分からなくなって駅の近くの飲食店に行く。
・飲食店で「孫の家まで行きたいけど連絡先がわからない」と助けを求める。
・親切な店員さんが祖父から自宅の電話番号を聞き出し、いとこちゃんのお母さんに連絡がいく。
・店員さんは祖父の家族と無事に連絡が取れたため、警察への“保護”の連絡をやめたそう。

「けめこちゃん。本当に申し訳ないんだけど、おじいちゃんを迎えに行ってくれるかな?」
「もちろんですよ。今すぐ行きます!また連絡します。」

私は会社から○○駅の近くにある飲食店に行きました。
「すみません。祖父がご迷惑をおかけしました。」
私に気付いた祖父が「あ、孫です。」
一昨日の警察署の時と同じく呑気な声で言う祖父。状況がよくわかっていないようです。
するとお店の人が「お孫さんに会えて良かったですね~。おじいちゃん、○○から来たって言ってるけど本当?」
私は祖父は耳が遠く、認知機能が低下していることを話しました。
「そうみたいね。無事にここまで来れて良かったわ~」
お店の方にお礼を言って祖父を連れて帰りました。
「おじいちゃん、どうしてまた来ちゃったの?」そう尋ねると、
「車のなかにお金が入っているから取りに来た」と答える祖父。
一昨日、伯父さんと一緒に廃車業者に行ったときはそんな話はしていませんでした。

家に着いて、まずは伯父さんに連絡します。
「廃車した車の中にお金が入っていると言ってるから、おじいちゃんを連れて見に行ってみます。」
伯父さんは「申し訳ない」と言いました。

しかし私は翌日会社の棚卸しがあるため仕事を休めませんでした。
私が勤めていた会社の棚卸しは二人一組になって棚卸しをします。
事前にペアは決まっていて1日かけて工場中の備品、製品の棚卸しをします。突然休んで会社に迷惑をかけられません。
仕事が終わったら廃車の手続きをした業者さんに祖父を連れていってあげようと思い、それまでの間祖父を母にお願いしました。(もちろん母には祖父が再びこっちに来た事情を伝えました。)
会社に行く前に祖父を母のアパートへ送り届け出社。
棚卸しが始まり、私はペアを組んでいる人と黙々と作業をしていました。
暫くたった頃「けめこさーん!電話ですよー!」と呼ばれました。

母からの電話でした。
電話の向こうからざわざわとした音が聞こえてきたので外出先から電話をかけてきたんだな…とすぐにわかりました。
興奮した大声で母が喋りだします。

「おじいちゃんがどうしても今すぐ車を見たいって言うから駅まで来たんだけど、全然話が通じなくて困ってる!!ちょっとあんた今すぐ駅まで来てよ!!」

えーーーー(;-Д-)

私はいま棚卸しの真っ最中です。
ペアを組んでる人にも迷惑をかけるし。
一旦アパートに戻れないの?と提案しましたが、電話の向こうで母と祖父が大声で言い争っています。

「駅の近くの○○(ファーストフード店)にいるから来てよ!」
私の都合や会社での立場なんてお構い無しです。
しかし、このまま放っておくわけにはいかないので私は上司に相談して会社を早退させてもらいました。(棚卸しのペアを組んでいる人にもお詫びしました。)

仕事着のまま母と祖父を迎えに行き、ファーストフード店に入ると店内は異様な雰囲気でした。店員さん、お客さんの目が母達に向けられていたのです。
何あれ?
どうしたの?
大丈夫なの?
みなさんそんな目で母達を見ていました。
母と祖父はまだ大声で言い争っています。
私は「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた店員さんに会釈をし、母達の元に駆け寄りました。
興奮している祖父の顔は真っ赤です。
「おじいちゃん、全然耳が聞こえてないから話が通じない!」
母の手元をみるとメモ書きがありました。
そこには母の字で「車」や「廃車」、廃車をお願いした地域の知名などが書かれていました。さらに「耳聞こえてないの?」や「頭がおかしい」などが文字が…
どうやら祖父は「頭がおかしい」と書かれた事に腹を立てているようでした。
「おじいちゃん、大丈夫だから。車を見に行こう。」
私は祖父の肩に手を乗せ、大きな声でゆっくりと祖父に話しかけました。
祖父はまだブツブツ言って怒っていましたが、私の手を取り立ち上がりました。母からは「来てくれてありがとう」の言葉はありません。とにかく店を出るまで背中に痛い視線を浴びました💦

ブログをご覧いただきありがとうございます。
「母と祖父の話」予想以上に長くなっています(^^;
2、3日で起きた出来事なのに、こうして思い出して書き出すとなかなかのボリュームでした。当時の私は気力、体力があったんだな…。
あともう少しだけ続きます。よろしかったらお付き合いくださいm(_ _)m


母と祖父の話②

2022-06-24 17:09:49 | 毒親のこと

真夜中に母の実家(伯父)から「祖父が車で事故を起こしたので迎えに行って欲しい」と電話があり、父と一緒に迎えにいきました。
警察署に到着し、私の顔を見るなり「あ、孫です。」と、何があったかわかってない表情の祖父。
警察の方が「“おばあちゃんと一緒きた”と仰ってるが、事故当時からおばあさんの姿が見えない」と。
祖母は半年前に亡くなっています。


祖父の言動を見ていた警察の方が「もしかして、おじいさんは少し…」と言葉を濁らせました。
私は「祖母は半年程前に亡くなっています。祖父に会うのは葬儀以来ですが、半年前もこのような感じでした。」と答えました。
祖父の言動と事故の状況を見た警察の方が「大きな事故にならなくて本当に良かった。おじいさんがここまで辿り着けたのは奇跡です。ですが、今後の運転はやめた方が…」と仰いました。
私は「伯父にもキチンと伝えます。」と言いました。

その後、パトカーに先導されながら事故現場へ。
真っ暗闇の農道。
私も一度も通った事のない道でした。
一番近くのインターチェンジからも離れていて、どこを通ったらこの道に辿り着くの?と、まったく想像が出来ない場所でした。
真っ暗で街灯もない道。祖父の車は緩やかなカーブを曲がりきれず頭から畑に突っ込んだ状態で停まっていました。
たまたま通りかかったトラックの運転手さんが事故に気付き、車の近くでポツンと立ち尽くしていた祖父を“保護”してくださったそうです。
レッカーを手配し、祖父の車を引き上げてもらいました。祖父は「直せばまだ乗れる」と言っていましたが、伯父さんと電話で話し合い、祖父の車を廃車にすることにしました。
車を引き取ってもらう業者の連絡先、そして畑の所有者の連絡先も教えてもらい、祖父を連れて帰宅しました。
家に帰る車の中でも「おばあちゃんと一緒にきた」「あの車はまだ乗れる」と言う祖父。でも時々いつもの“お茶目”なおじいちゃんになり、私の手をさすりながらニコニコ笑います。祖父に怪我がなくて本当に良かった。

 

翌朝、私と父は仕事を休みました。午後には伯父が新幹線に乗って祖父を迎えにきてくれます。お世話になった警察署への挨拶、廃車の手続き、そして畑の所有者さん宅へのお詫び。
祖父を連れて一緒に行くことにしました。
その前に祖父を母の所へ連れていかなければなりません。
今回の出来事のきっかけは私たち家族。そして“母”が原因です。
私は朝食を済ませたあと、祖父と二人で母の住むアパートへ行きました。私の家から車で10分ちょっとの所です。
「おっ、けめこは運転上手だな」
「この車はリッター何キロ走るんだ?」
「ここの道は広くしたのか」
いつもと変わらぬ祖父。
久しぶりに私たち家族が住む街に来たのに街の景色をよく覚えていました。
母の住むアパートへ到着。
母も祖父に会うのは祖母の葬儀以来です。
「まったくみんなに迷惑かけて…」
「こんなところ見られたくなかった…」
泣きながら母がぼやきます。
すると祖父が
「お前が全て間違っている」とボソリと呟きました。
いつもニコニコ、茶目っ気があり、穏やかな祖父。
祖父の怒鳴り声も、難しい事を話す真剣な声も聞いたことがありません。
祖母の葬儀の時「私は報われない人生だ!」と母が祖父に嘆いたことがありました。その言葉に対し「お前たちは最初から間違っていたんだ」と祖父がボソリと言いました。
所謂“できちゃった婚”で結婚した私の両親に祖父が“本音”を言ったのです。
ボソリと呟く祖父の声を聞くのはその時以来でした。


私は自分の存在を呪いました。
私がいなければ…
私が生まれてこなければ…
私の存在がみんなに迷惑をかけている…
私の存在のせいでみんな幸せになれない…
やはり私が母の面倒を見た方がいいのか…
母の面倒を見ない私は“不孝者”なのか…

 

「もうここまでドン底の生活に落ちたんだからしょうがないでしょ」と吐き捨てる母。
母のために、母を心配して会いに来てくれた祖父。祖父の気持ちは母に届きませんでした。

 

自宅に帰り、今度は父と一緒に伯父さんを迎えに行きました。
無事に伯父さんと合流後、菓子折りを持って“お詫び行脚”です。
穏やかな祖父に対して、クール過ぎるくらい冷静な伯父。祖父の意向は一切聞かず、淡々と手続きを済ませていきます。
廃車の手続きに納得できない祖父を宥めて、話題を逸らして…。私は祖父の“お世話係”に徹しました。

移動中、伯父さんに母の様子を話しました。
「お母さん、思ってるより元気です。糖尿を患ってるけど、動けるし、食べれるし。“何か新しいことを始めたい”って前向きな事も言ってたし。」

しかし、冷静な伯父さんが言いました。
「あいつは何も変われない」

少し悲しい気持ちになりましたが、伯父さんの言っている事は間違っていません。
私は“何も変われない母”を一番近くで見てきました…

 

祖父と伯父さんが帰った次の日。
仕事終わりの私の携帯電話が鳴りました。


ブログをご覧いただきありがとうございます。
私は伯父さんから冷たい態度を取られた事はありません。(母から伯父さんについての悪口を散々聞かされてきた影響で伯父さんに懐いてはいませんでしたが)

祖父と違ってあまり笑顔を見せない伯父さん。クールだけど、心根は優しい人なんだろうな…と思っています。
伯父さんの子ども(私のいとこ)はとてもしっかりしていて、優しい人たちです。知的で穏やかないとこを見ていると“親に愛されて育った人なんだな”と感じます。


母と祖父の話①

2022-06-23 15:52:38 | 毒親のこと

両親が離婚し、母が福祉のお世話になり始めた頃。

ある日の真夜中、家の電話が鳴りました。

電話は母の実家(伯父)からでした。

「夜中に申し訳ない。いま〇〇警察署から電話があって、おじいちゃんが事故をおこしたみたいなんだ。」

一瞬、理解が出来ませんでした。

真夜中に伯父さんから電話がかかってきたこと。

おじいちゃんが事故をおこしたこと。

そしてその場所が母の実家近くではなく、母の実家から車で数百キロ離れた私の家の近くだったこと。

受話器を持ったまま絶句している私に気付いた伯父さんは事の顛末を話してくれました。

 

「事の顛末」は少し置いといて…

母が福祉のお世話になる際、母を“扶養”できるかの書類が親族に届きます。

まずは母の子であるわたし。

そして母の父である祖父。

さらに母の兄弟である伯父。

私はその書類が母の実家に届くと知った時、迷惑をかけて本当に申し訳ないと思いました。

父も同じ気持ちでした。私たち家族で解決できなかった不甲斐なさで本当に情けないし、恥ずかしかった。

両親が離婚し、母が福祉のお世話になることが決まった時、私は伯父さんに連絡をしました。(伯父さんは母がギャンブルで多額の借金を作ったこと、私が母と一緒に家を出て生活を立て直そうとしたが失敗したことを知っています。)

「お母さん、福祉のお世話になるんだけど、借りたアパートの保証人は私だし、ちょくちょく様子を見に行くから心配しないで下さい。(福祉から届いた書類の件)迷惑かけてごめんなさい。」

「こっちの事は気にしなくていいから、お前も体に気を付けなさい。」

当時、伯父さんとそんな会話をしました。

 

話は真夜中の電話に戻ります。

伯父さんはどうして祖父が事故を起こしたのか事の顛末を話してくれました。

・福祉から母の“扶養”についての手紙が祖父宛にも届いた。

・祖父は大変心配していた。

・伯父さんは祖父に「福祉の世話にはなるが、けめこが様子を見に行ってるらしいから心配はいらない」と話した。

・今日(日付的には昨日)祖父が車で出て行ったきり帰ってこなかった

・地元の警察にも連絡を入れ、待っていたところ〇〇警察から電話がかかってきた

・祖父の事故は単独事故で畑に車ごと突っ込んだらしい

・真夜中の単独事故だったのでけが人はなし。祖父も無事らしい。

 

伯父さんは事の顛末を話し終えると、「申し訳ないんだが、おじいちゃんを迎えに行ってくれるか?」と言いました。

「もちろん行くよ。無事におじいちゃんに会えたらまた電話するから心配しないで。」

私は父と一緒に警察署まで車を走らせました。

母の実家と私の家は数百キロ離れています。普通に高速道路を使って行っても半日はかかる距離です。

この時祖父が事故を起こした場所は、確かに私の家に近い距離の場所でしたが、最寄りのインターチェンジからまだ降りない場所でした。祖父はどこのインターチェンジで降りたのか…どこの道を通っていたのか…。何度も行き来している道なのに…。

私の家から小一時間ほど国道を走り、祖父が“保護”されている警察署につきました。まだまだ真っ暗な真夜中です。

「〇〇です。夜遅くすみません。祖父が大変ご迷惑をおかけしました。」

私の声に気付いた祖父は「あっ、孫です。」と言いました。

「おじいちゃん。心配したよ。大丈夫?」

「・・・」

祖父は何も分かってないような表情をしていました。

すると警察の方が仰います。

「おじいさん、“おばあちゃん一緒にきた”って仰るんですが、事故当時からおばあさんの姿が見当たらなくて…」

 

“おばあちゃんと一緒にきた”

それはありえない話です。

なぜなら祖母は既に半年前に亡くなっているからです。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

祖父はもともと“茶目っ気”のあるおじいちゃんでした。

祖母が亡くなる少し前から認知機能が低下していた祖父。

しかし、もともとの性格もあって「もーぅ!おじいちゃんは“おとぼけ”なんだから~」といとこは思っていたそうです。

日頃の生活も、一人での外出も心配なかったと…

なのに私たち家族・親子のせいで祖父に大きな心配をかけてしまったこと。

これがきっかけで祖父の“認知症”が進行してしまったのかと思うと、本当に私と母は“不孝者”です。

祖母が亡くなった時の話はコチラをご覧ください。

 

私の両親⑩ - 母のようになりたくないのに

不安定な生活が続く中、遠方に住む母方の祖母が亡くなりました。いつも私や両親のことを案じていた祖母。何度も母に「パチンコを辞めなさい、たった一人の娘の為にもしっか...

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