朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

私の両親⑫

2020-11-25 21:22:22 | 毒親のこと

再び母と一緒に暮らし始めた年の春頃、父が仕事中に怪我をしました。

入院するほどではなかったのですが、治療に時間がかかる怪我でした。

怪我をした当日の夜、私は仕事帰りに父の様子を見に行きました。1階部分の屋根と繋がってた自転車小屋の屋根がぐにゃりと曲がっていて、母を追い出した日に2階から母の布団や荷物を投げ捨てた形跡が残っていました。

父は元気があまりなさそうでしたが、一緒に夜ご飯を食べたり、洗濯や掃除をして私は自分のアパートへ帰りました。

アパートに帰って母に父の様子を話すと、「この時期は家の固定資産税や自動車税とか諸々の税金を払わなきゃいけないからね。お父さん、お金のことで悩んでいると思う。」と言いました。さらに「私(母)の借金もあるし。」と。

「ねぇ。お父さんの借金を少し払ってあげられない?」(父の借金と言ってますが、元々は母の借金です)

5年かけてやっと肩代わりした借金を払い終えたばかりなのに…

この間も母が父に黙って使い込んだ20万を振り込んだばかりなのに…

また私が払わなければいけないの…

私が何も言えずにいると「薄情者だね」と。

ここで私が何か言い返すと100倍にも200倍にもなって母は暴言を吐きだすことはわかっています。私はもうそれを聞きたくないし、耐えることができません。

 

結局私はその借金を払いました。

そして、とうとう私の貯金は底をつきました。

短大に行きたくて貯めていたお金も、亡くなった祖母からもらったお金も無くなりました。

母は一言「悪いね。でもお父さん助かったと思うよ。」

私は頭がおかしくなりそうでした。もう限界でした。

こんなこと誰にも…誰にも相談できない。友達にも会社の同僚にも相談できない。

もう逃げたい、母の前から消えたい、祖母の所へ行きたいと…絶対に考えてはいけないことがよぎりました。

 

次の日、私は父の住む家に行きました。そして「お母さんと離婚をしてほしい。」と父に言いました。

 

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今思い出しても胸が苦しくなります。どうすれば正解だったのか。たぶん私は一生答えが出せず、頭の片隅にずっとこびり付いたままなんだと思います。