けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

白井聡の講演会に参加して

2018-05-28 13:55:02 | 集会
 5月25日(金)。白井聡の講演会に参加。場所は京都大学文学部の新棟第3講義室。テーマは「日本の政治はなぜ劣化するのか」。主催は「安倍9条改憲NO!左京市民アクション」。
 白井氏が提示したテーマは「タテカン・改憲・国体」。京大で今ホットな「立て看」強制撤去問題を、最新の仕事「国体論-菊と星条旗」の話に絡め、自由自在に論じた。


 「便所めし」を知っているか、という話からスタート。昼食を一人で寂しそうに食べる姿を見られたくないので、トイレの個室にこもって昼食を食べることだと。
 白井氏が早稲田の学生だった頃に各所にあったサークルの拠点。学生サロンの椅子一つでさえも既成事実として特定のサークルの拠り所になっていた。それがこの10数年で当局に消されてしまい学生が仲間と繋がる「居場所」が奪われてきた。当局はなぜそんなことをするのか。

 「立て看」撤去問題は、立て看の言論内容自体の否定と共に、メタメッセージとして「校内に自由な言論空間の存在を許さない」という大学当局の意思を示唆している。
 現在、大学の中にコンビニやブランドショップが進出することが当たり前になっている。新自由主義にとっては「消費にとりつかれ考えない人間」を量産することが自らが生き伸びる道だ。
 確かに人間は常時真剣ではいられない。しかしたまには真面目に社会のことを考えることも必要。「正気に帰れ!」と呼びかける「立て看」は、正気に「帰って欲しくない」ネオリベにとって邪魔者なのだ。
 「立て看」撤去問題のように、学生にとっての「公共のスペース」を排除する動きは、学内全てを管理し、それを「資本にとっての公共空間」として提供したい大学当局の「茶坊主ども」の仕業だ。京大はそうした「茶坊主ども」の跳梁跋扈を許し、自由な学風を捨て去って「鄙びた三流大学」を目指したいのかと一喝。共感した。

 国体論については、白井氏の「国体論-菊と星条旗」(集英社新書)をぜひ参照されたい。

 質疑応答も活発だった。
 Q「国体論の構造は江戸期も同様では?」A「その考えも有り得るが、救いがないので自分は取らない」
 Q「日本の官僚の欺瞞性の起源は?」A「日本の官僚は歴史の審判にさらされる覚悟がない」
 Q「自分たちが自由を勝ち取る方法は?」A「国体は二度死ぬしかない。破滅はこれからではない。すでに破滅している」
 Q「改憲問題は?」A「(安保条約・日米地位協定が憲法の上位である以上)護憲も改憲もできない。「戦後レジーム」(=異常な対米従属)をより強める安倍改憲はストップせねばならない。が、その後どうするか。日米安保をどう変えるか。9条をどうするか。政権についた時の社会党の轍を踏まないよう、野党は安倍政権後にどんな日本国家像を描いているのかが問われる。同感だ。

 最後に「立て看文化を愛する会」の方から「23日に京都市長に申し入れ済。31日に京大当局に申し入れする。10:30正門入った楠木前に集合を」の呼びかけがなされた。


 講演の前に京大生協・中央食堂に入った。場所は昔通り。だが中は大きく様変わりしていた。特に3分の1位のテーブルに、中央を仕切る衝立が設置されていた。ため息。
 外に出る。文学部の辺りで出会った学生に(講演会のある)文学部新棟の場所を聞いた。4人聞いたが誰も知らない。「自分は法学部なので…」etc. 最後に聞いた学生が後から追いかけて来て「ここに文学部と書いてあります」と教えてくれた。何と狭い世界に暮らしているのだろう…。時代が変わったと感じた。





 友人と食事の後、百万遍のバス停に。おお、タテカン!学生の皆さん。負けずに頑張って欲しい。映画『ペンタゴン・ペーパーズ』に出てきた言葉を送りたい。「自由を守るには自由を行使し続けるしかない」応援します!


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