川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

小沢屋廃業

2008-06-25 21:37:35 | 出会いの旅
 24日(火)昼前、久しぶりの好天に釣られて北山田の土手までサイクリング。歩くのは無理でも自転車なら大丈夫です。青々とし始めた一面の水田を眺望する桜堤に仰向けに寝て休みます。
 昼食はウナギにしようと落合橋を渡って、川島の小沢屋に行って見ると大変なことになっていました。
 営業をしている風情がないのです。のれんも出ていません。不審に思って玄関に入り声をかけてみました。ややあって女将さんが出て来られ、「廃業」を告げられました。ほんとうにびっくり!。
 ご主人を亡くされたあと息子さんが調理を引き継ぎ、頑張ってこられたのですが歳には勝てないと言うのです。伝統あるこの家も処分し、女将さんはマンション住まいになるようです。

 小沢屋は江戸時代から越辺川(おっぺがわ)と入間川が落ち合う川島町伊草の渡し場で船宿(?)などをしていたのがいつの頃からか川魚料理の店になります。戦前には島崎藤村がたびたび川遊びに来ていたことが写真や色紙から解ります。
 ぼくがここを初めて訪れたのは1966年か67年です。大島高校に就職した年に川越女子高校を学校訪問させて貰ったとき、大学時代の友人たちや先輩が連れてきてくれたのです。図らずも69年からは川越に住むようになり、折に触れて世話になるようになります。
 安くておいしいばかりでなく、時間を気にせずゆっくり過ごすことが出来ます。高知の両親はもとより、川越を訪ねてくれた知友を案内してきました。我が家では「川越の奥座敷」とよんでいます。
 この2月に佐藤勝巳さんをお呼びして「六十路の会」を開いたのが最後になりました。戦後補償を求めて闘った陳さんの奥さんの人生を語っていただいたこともあります。
 小沢屋さんの3代にわたるひとたちに世話になったことになります。なくなるとは考えたことがないので私たちはさしあたって困ります。小沢屋にかわる座敷を近隣に見つけられるとは思えないのです。

 京都からここに嫁いでいつも笑顔で迎えてくれた女将さんに感謝の言葉を伝えて帰途につきました。

 この日、土本典昭さんの訃報がありました。70年代、土本さんが制作した映画『水俣ー患者さんとその世界』を繰り返し繰り返し、授業で上映させて貰いました。川本輝夫さんを偲ぶ集いが東京であったとき、お話を聞いたのが最後になりました。

 追悼新聞記事
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080625-00000248-mailo-l43

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1 コメント

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なぁんと! (たこさん)
2009-10-18 22:17:51
そこは古式手打ち蕎麦屋さんになってます。
今日行ってきましたけど、結構おいしい蕎麦でした。

でわ
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