川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

大島・藤倉学園 寅さんのおばちゃん逝く

2012-02-15 08:56:10 | 映画  音楽 美術など

2月14日(火)☂

寒い。一日ベッドで寝たり起きたり。三崎千恵子さんの訃報があった。

「男はつらいよ」のおばちゃん 三崎千恵子さん死去、90歳

三崎千恵子さん
三崎千恵子さん=1997年撮影 
Photo By 共同 

 映画「男はつらいよ」シリーズの「おばちゃん」役などで知られる俳優の三崎千恵子(みさき・ちえこ、本名宮阪トシ=みやさか・とし)さんが13日午後7時15分、老衰のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。90歳。東京都出身。

 葬儀・告別式は19日午後1時半から神奈川県藤沢市藤沢493のカルチャーBONDS藤沢で。喪主は長女柴順子(しば・じゅんこ)さん。

 女学校卒業後、白木屋(現、東急百貨店)に入社。コーラス部に所属し、それがきっかけで歌手となった。戦後、劇団民藝を経て、60年代映画デビュー。後にテレビ、映画で人情味のある役を演じた。

 69年(昭44)スタートの映画「男はつらいよ」シリーズでは、故渥美清さん演じる車寅次郎のおばちゃん役として全作品に出演。シリーズに欠かせないファミリーの一員となった。

 

      車つね●http://www.tora-san.jp/about/cast_tune.html

 

 

 

 

三崎さんは1920年豊島区西巣鴨生まれだという。寅さん(渥美清・台東区下谷生まれ・96年歿)逝きて15年、おいちゃん(下條正巳・釜山生まれ・04年歿)もおばちゃんも居なくなってしまった。寂しい限りである。

 

御前様(笠智衆・熊本・玉名生まれ 93年没)もタコ社長(太宰久雄・台東区浅草生まれ・98年歿)も‥。

 

葛飾・柴又は寅さんの帰るところだったが私たち多くの寅さんファンの帰るところでもあった。三崎さんをはじめ、倍賞さん(北区滝野川生まれ)を含めて東京の下町生まれの方が多いことに気づく。これらの俳優陣にとっても心を許す「ふるさと」であったのかもしれない。

 

 

  妻は会議で東京に出ているので観客ひとりの「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」(1974年)の追悼上映会を行なった。

 

今回のマドンナ・吉永さゆり(歌子)は夫を失った傷心のただ中で伊豆大島の障害者施設・藤倉学園での再出発を期す。

 

映画の終わり近くに歌子から虎屋に手紙が届く。

 

歌子の手紙


心や体が不自由な子供の面倒を見るのは
想像していたよりも遥かにに大変な仕事です。


大島の施設で歌子がたくさんの子供と働いてる。

歌子の手紙


朝、目が覚ましてから夜寝るまで、
子供たちを相手にまるで戦争です。
毎日が無我夢中の内に過ぎてしまうのです。
皆さんと幸せについて語り合った夜のことを
時々懐かしく思い出します。


歌子、敷地内の農園で茄子を子供たちと一緒にとっている。


                       



歌子


今の私は幸せかどうか
そんな事を考える余裕もありませんが
でも十年先二十年先になって今のことを思い出したときに
ああ、あのころは幸せだったと、そう思えるようにと
願っています。


ところで寅さんはどうしていますか? 今旅先ですか?
私は寅さんがいつかヒョィとこの島に来てくれるような
気がしてなりません。
ああ、本当に来てくれないかなあ

 

出典● http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/13saku.htm 

 

藤倉学園は僕の初任校・都立大島高校の道一つ隔てたところにあった。大島に3年間(66年~69年)世話になったが、藤倉学園について知ろうという精神が僕の中では生まれることはなかった。

後に僕の生徒だった栄光くんが不慮の死を遂げたとき、お姉さんが働いていた藤倉学園を初めて訪ねた。

 

その頃からでももう20年になる。寅さんはヒョイと歌子さんの住む大島を訪ねたのかなあ。栄光くんの姉さんは元気かなあ。

 






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