川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

ぼくの朝鮮認識 1960年(18歳)

2013-04-21 10:27:47 | 韓国・北朝鮮

4月20日(土)雨 寒い

韓国の学生革命の記事を書いた後、1960年4月の僕の日記を読んでみました。東京教育大学の入試に失敗して室戸岬の生家に帰っていました。おかげで「安保闘争」に直接巻き込まれることなく、四国の東南端から世界を見ていました。悶々の日々でした。


 

1960・4・21(木) 南ア 韓国 日本 北鮮(原文のまま)

   (9Pに及ぶ日記の一部)

 帰還朝鮮人の伝える北鮮はすばらしい祖国だという。第一、青年に夢があるという。金日成首相が国民の圧倒的支持を受けて社会主義建設に邁進しているという。視察に行った自民党員でさえ驚いているのだから嘘ではあるまい。

 夢があり、希望がある国には発達がある。そして、北鮮に帰った人たちは、日本に追いつき追い越せという祖国の旗の下に毎日が本当に楽しいという。日本とも仲良くなるように努力するだろう。今でも北鮮との通商を拒絶しているのは岸首相である。日本である。

 全朝鮮を統一する国家が暗黒の李政権であるか、民主政治といわれる北鮮の人民たちか、明白であろう。米韓条約で米軍が駐在しているので韓国の独立は保たれているに過ぎない。韓国人民の意志は在韓アメリカ軍のために無視されているのかもしれない。アメリカ軍がいなければ朝鮮は恐らく統一されていることだろう。民主主義が守られる社会ができつつあったはずである。

 社会主義と資本主義は、どちらがいいとは簡単にはいえないし、自分たちにはなおわからない。しかし、夢があり希望がある社会がいいに決まっている。一つの壁を越えればその希望に達することができるなら、壁を越える苦労は喜んでするに決まっている。

 現在の資本主義国に夢や希望があるか。ないからこそ、青少年が不健全化しているのではないか。暴力と汚職と貧乏が、この国の発展を阻止しているのではないか。

 でも、また、それだからこそ夢を持たねばならないのかもしれない。この壁を越えて自分たちが夢を持てる社会をきづく夢を持つことが必要なのかも知れない。夢のない中に夢を持つ、大変なことだ。(略)革命を前提とすることになるだろうか。それならば夢のない社会に夢を持つことは大きな勇気のいることだ。韓国の立ち上がった人々はその勇気を示したことになる。

(略)アメリカは民主主義の国である。自分はそう信じる。(略)しかし、米は自分たちの信ずるデモクラシーのみを正しいと信じ、他のデモクラシーを認めない。そして自分の民主主義を守るために各地に軍隊を駐留させているのではあるまいか。時にはそれが各国の民主的傾向を阻害しながら。日米安保条約、米韓条約…。

 アメリカの共産圏を恐れる政策が韓国や日本ではその為政者の利益に結びついて、内政にも大きな干渉をする結果となっている。アメリカは民主主義を守るためだろうけれど、かえって、韓国や日本で民主主義が守られなくなっていくばかりである。共産圏の脅威からたとえ韓日を守っていると考えるとしても、韓国や日本で民主主義が守られないとしたら何の役に立とう。


僕は同級生の中では社会的関心が強く、社会科は得意な科目だった。県立高校とは違って政治的には保守的な学校だったから「社会主義」的傾向を有する先生には出会わなかった。

僕の社会的思考の資料は教科書・授業で培った知識と新聞・NHK(ラジオ)と映画ぐらいであった。春夏冬の休みには室戸岬の生家で父の購読する雑誌『世界』『文芸春秋』を読むこともあったからこれらの影響も受けているだろう。

在日コリアンの北朝鮮帰還は前年(1959)の12月に始まって怒涛のような勢いで進んでいた。新聞やラジオが伝える「北」の情報がどんなものだったか、この高校生の日記からも推し量ることができる。

僕は今北朝鮮から脱出してきたKさんの話を聞く機会が多い。60年に高校生の身で「社会主義」にあこがれて「北」にわたった。日本の中学でも朝鮮高校でも飛びぬけた優等生だった。

船に乗り、「北」の地に着いたそのときから、だまされたことに気づき、「自分」を押し殺して生きる決意をしたという。

 「北」の宣伝に明け暮れ帰還運動を推進した朝鮮総連や共産党の責任はいうまでもないが日本のマスコミや政治家たちの言動の罪も深い。

判断力の乏しい僕のような高校生の世界観形成に大きな影響を与えたのである。恐ろしいことにその影響は僕の人生のかなりの期間に及んだ。

僕は2002年9月17日を期して、北朝鮮王朝とその追随者たちにはっきりと立ち向かうことにした。その結果としてKさんたちとの出会いもあった。それまでにどれだけ多くの人びとの苦難と犠牲を見過ごしてきたことか。

僕が見ている限り、2013年の今になっても高校生や大学生だった60年代に植えつけられた朝鮮観・世界観から自由になれない人が少なくないような気がする。それらの人びとは相変わらず朝鮮総連の随伴者となって「朝鮮学校を差別するな」などと本質とは離れた宣伝に和している。僕には偽善者の最たるものに見える。

青年期に受けた思想的影響から自由になることは困難だ。まして、幼少期から特定の宗教やドグマに縛られて育ったらどういうことになるのか。その罪の深さに慄然とするばかりだ。

(日記では「北朝鮮」を「北鮮」と書いています。当時の新聞やNHKの受け売りをそのままに書いたものと思われます。「朝鮮人」を「鮮人」などと表現するのと同様で植民地支配の時代に由来する侮蔑的表現と考えられます。)

 

 

 


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