川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

社民党はなぜ「泡沫」となってしまったか

2013-05-03 05:27:36 | 政治・社会

5月3日(祝)

 今日は憲法記念日です。1947年のこの日に施行されたのですから人間なら満66歳になります。

 僕は47年4月に幼稚園に入園、48年4月に小学校入学です。社会生活をこの憲法の下で始めました。「墨塗り教科書」とも縁のない「新憲法」「平和憲法」の落とし子といっても良いでしょう。小学校の先生も試行錯誤の日々だったでしょうが、民主主義の価値観を身につけていく日々をすごしました。

 その憲法の改正がいよいよ現実の政治課題になりそうな気配です。7月の参議院選挙で自民党・維新・みんなの党など改憲派が3分の2の議席を占めそうな勢いだからです。

 1954年鳩山一郎内閣ができたとき、何が何でも「自主憲法」と力んだことがありました。しかし、「55年体制」といわれる時代には「社会党」が3分の1政党であり続けて改憲は政治課題から遠のいていました。

 社会党はアドバルーン政党といわれました。党の実態はひ弱だが「平和憲法」そのものが党の看板で憲法的価値観をよしとする人びとのよりどころとなったからです。

 「民主主義(国民主権主義)」「基本的人権」「非戦非武装」。僕が身につけた政治的価値観です。小学校のうちに徐々に教育されました。多くの友人たちも同様ではないかと思います。憲法の指し示す道の彼方に確実に希望を持っていました。

 僕のような人のほとんどは無党派であっても改憲勢力の自民党に反対し、選挙のたびに社会党に投票しました。

 90年代以降になってそのパターンが崩れてしまいました。そして社会党はなくなり、後継の社民党はいまや泡沫となって潰えていきそうです。

 その原因はどこにあるのか?

 社民党の人たちやその周辺の知識人からは何も聞こえてきません。この人たちは自分は常に正しいと思っているので自己省察の力がないのかと思われます。

 僕の考え。

僕がこの党をはっきり見限ったのは拉致事件が表面化したあとも、北朝鮮や朝鮮総連との関係をきちんと清算せず、あれやこれやと言い訳をしながら、腐れ縁を断たないからです。自分たちが北の独裁政権と親密な関係を維持し、拉致をウソだと言い張ってきた罪を天下に向かって謝罪しないのです。

 2002年9月17日以降になっても彼らが拉致被害者の側に立って集会の一つでも持ったでしょうか。核実験に反対するデモの一つでもやったでしょうか。

「民主主義と人権」の看板が羊頭狗肉だったことがはっきりしたのです。

自民党のやりたい放題には反対しても、信じられないほどの北朝鮮の独裁と人権弾圧には加担して恥じない、それが実態だったのです。(ソ連共産党や中国共産党との関係も同様だったといえるでしょう)。

 最後の輝ける委員長だった土井たか子さんなどがなぜこのような誤りを犯し続けてきたのか?拉致被害者をはじめ、北朝鮮の独裁政権の下で呻吟する人びとの人権に無頓着でいられるのか?

 人間であるのならばきちんと語るべきです。

これらの人びとは「憲法を守れ」だけで生きてきたようなものです。しかし、彼らが守ってきたものは「独裁」だったのです。多くの人びとの餓死や獄死を黙殺してきたのです。

「社会主義」への憧れや植民地支配への贖罪意識やらが現実を見る目を曇らしていたと考えられますが政治指導者としては明らかに失格です。

要するに「護憲」は選挙用の看板・アドバルーンに過ぎなかったのです。

このような似非民主主義者・二重人格者の集団に多くの人が不信を持つのは当然です。「反原発」などの正しい主張をしても耳を傾けなくなります。

 大まかに言えばこれが僕の考えです。

「9条の会」というのがあって誘いを受けたことがありますが、僕は加わりません。理由の多くは上に書いたことと同じです。

 大事なことは民主主義と人権の侵害と日々不断に闘うことです。北朝鮮の独裁政権が日本の領土・領海を侵して、多数の人びとを拉致したのです。多数の在日コリアンと日本人妻を「地上の楽園」だとだまして拉致・監禁しているのです。

このような現実の侵略や人権侵害と闘わずして「9条を守れ」とはどういうことでしょうか?

(これらの人の中には朝鮮学校の実態を何一つ知ろうともしないで朝鮮総連が主導する集会の呼びかけをしたりする人もいるありさまです。)

戦争以外の方法でどうしたら独裁と対決し、拉致被害者や日本人妻の人権を回復できるか、憲法記念日にあたり、わたしたちが真剣に語り合わなければならないテーマです。それが憲法を守り、生かす力にもなるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 


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