川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

闘いのときが来た

2013-04-11 08:05:54 | 韓国・北朝鮮

4月10日(水)晴

久しぶりの我が家です。コリンゴがはなざかり。

 写真: 我が家ではコリンゴの花盛り

午後、飯能の病院に義母を見舞いました。順調な恢復で顔の表情も豊かになってきました。


 

先日の新聞記事です。遅まきながら紹介します。

大沼校長は遠い昔、僕の生徒だった人です。

教員や校長は何をしなければならないか、どういうことができるか。

一つの見本を見せてくれました。

理屈をこねまわすこととは無縁な人です。

姉弟はこういう人に出会うことができてラッキーだったと思います。

「ふたつの国がいい関係になる」ためには独裁との不退転の闘いが不可欠です。

僕は何をしなければならないのか、どういうことができるか。

気力だけは充実してきたように感じます。


 

 


「朝日新聞」2013年(平成25年)4月4日(木) 


転校生は北朝鮮から

高層マンションが立ち並ぶ東京都江東区。4年前の冬、区立豊洲北小学校にやせ
細った姉と弟が仲間入りした。始業式の日、校長は全校児童を前にこう紹介した。
「北朝鮮から来た転校生です」


学校、生活物資募り支援

5年生に入った朴さんと3年生の朴くん(仮名)。北朝鮮で生まれ育ち、国の将来
に失望した母親(42)に連れられて国境を越え、日本にたどりついた。父親は事
情があって、いまも北朝鮮にいる。
日本での身寄りは、先に脱北していた祖母(69)だけ。日本語もほとんどできず、
着の身着のままだった。関係者の依頼で当時の大沼謙一校長(62)が、学校を挙
げての支援を引き受けた。大沼校長のつてでアパートを借りた。教職員や保護者
から、不要になった服や電気製品が集まった。

朴さんの担任は、川辺章絵教諭(41)。教科書にぴっしりと読み仮名を振り、予
習をしてくる姿に驚いた。
なぜそんなに一生懸命なの、と尋ねると、朴さんは言った。「勉強する時間があ
るのはうれしい。それに日本にはなんでもある」
北朝鮮の地方では、電力不足で夜すぐに暗くなる。鉛筆もノートも粗悪だった。
「北朝鮮から来たと言うと、特別な目で見られ、プライドが傷つくことがあった。
勉強で負けたくない気持ちもありました」と、朴さんは振り返る。

弟の朴くんが5年生だった秋、悔し泣きして家に帰ったことがある。友達に「な
んだよ、北朝鮮のくせに生意気だ」と言われた。この年も担任だった川辺教諭は、
授業時間をつぶし、全員を厳しく諭した。
「私たちが友達になるときに、どこの国の人だからって選ぶかな?悪いイメージ
の国だからといって、それで人を判断するのは間違っているよ」
 級友の心ない言葉は次第に病んだ。
朴くんはたくさんの仲間をつくり、そして卒業していった。

法律を学び、同胞救いたい

姉弟は中学では、「韓国から来た」ということで通すことにした。迷ったけれど、
北朝鮮のことをいちいち説明するのはわずらわしい、と考えたからだ。

朴さんはこの春、都立高校に進む。将来は法律を学び、北朝鮮の人たちの支援に
かかわるのが夢。中2になる朴くんは部活に明け暮れる日々だ。2人とも社会人
になったら、正直に名乗るつもりという。

拉致問題、核保有、「戦時状況突入」。母国のニュースが流れない日はない。
2人は時々、昔見た北朝鮮のアニメや映画をインターネットで探し、懐かしむ。

4年前、姉弟を受け入れた大沼校長は「大人になるころには、二つの国がいい関
係になっているかもしれない。両国の懸け橋になれるような国際人に育ってほし
い」と話している。(石橋英昭)


日本の脱北者
 北朝鮮から中国に脱出した人のうち、かつて帰還事業で北朝鮮に渡った在日朝
鮮人や日本人配偶者、その子孫らについて、日本政府は受け入れている。199
0年代後半から増え、現在は200人ほど。2006年にできた北朝鮮人権侵害
対処法は保護や支援策を政府に求めているが、日本到着後の生活の世話はNGOや親
族に委ねられているのが現状。日朝両国の赤十字による帰還事業では、59~8
4年に9万3千人余が渡った。



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