川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『かぞくのくに』 監督ヤン・ヨンヒさんの話

2012-08-18 10:10:32 | 韓国・北朝鮮

『かぞくのくに』という映画の上映が始まっているようです。「北朝鮮帰国事業」で北に渡った兄の奇跡的な来日の二週間。在日コリアン2世のヤン・ヨンヒさんが自身の体験に基づく劇映画を作ったのだという。

長兄は金日成の還暦のときにお祝いとして北朝鮮に送られた一人だった。この事件については「川越だより」でも何度か紹介したが当事者の家族の話をヤンさんのインタビューで始めて聞いた。勝手ながら紹介させていただく。

出典●アジアプレスネットワークhttp://www.asiapress.org/apn/archives/2012/08/07113726.php

今日はテアトル新宿で映画(2時半~)上映後ヤンさんの話があるという。これから駆けつけます。

「北朝鮮と私、私の家族」 ヤン・ヨンヒ監督インタビュー2 ~長兄の帰国は組織の決定だった

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北朝鮮に帰国した兄が奇跡的に日本にやってきた。兄滞在中のドラマを描いた映画「かぞくのくに」のヤン監督へのロングインタビュー第二弾。なぜ三人の兄は、北朝鮮に渡ったのか。(聞き手 石丸次郎/アジアプレス)

◆サイキンキコクシャ

石丸:今日本に200人ちょっとの脱北者がいます。皆、元在日の帰国者と北朝鮮生まれのその子どもたちです。韓国にも大体200人くらいの帰国者が脱北して入っているんです。

ヤン:その人たちも元在日ということですよね。北に行って脱北して韓国にいる人。

石丸:僕はその「脱北帰国者」に50人ぐらい会っています。その中には70年代に北朝鮮に渡って、後に脱北して来た人たちもいます。そのうちの一人で、東京朝鮮高校の出身で70年代半ばに一家で帰った人がいる。彼女は北朝鮮に着いた後、60年代に先に渡っていた帰国者から、「何で今頃帰国して来たの?朝鮮がどんな所か、まだわかってなかったの?」と言われたというんです。

ヤン:私らはしょうがないけど、70年代に帰国するなんてあんたらはアホやみたいな感じですよね。

石丸:彼女に言わせると、70年代の帰国者は、60年代に先に帰国した人たちから「サイキンキコクシャ=最近帰国者」と呼ばれたそうです。

ヤン:あぁ、ニューカマーのニューカマーだ。

石丸:そう。ヤンさんのお兄さんたちのように71、72年の帰国者も「サイキンキコクシャ」なわけですよ。流れからいうと、62年ぐらいまでが熱気の中で帰った。

ヤン:中断しますよね、帰国事業が。

石丸:はい。68年から70年まで中断してます。

ヤン:その中断した時に、総連の決まり文句というか、「祖国へ帰る権利を取り戻そう!」となるじゃないですか。

石丸:帰国希望者が激減したので日本政府が事業を延長しなかった。ところが、それに総連が反発して運動を展開し、再開されることになったわけです。

ヤン:あれで帰国事業が終わっていればよかった。少なくとも兄たちは行っていなかったですね。

 

ヤン・ヨンヒ監督と石丸次郎 (撮影ナム・ジョンハク/アジアプレス)
◆長兄は金日成の還暦プレゼントとして北朝鮮に

 

石丸:72年に長兄さんも帰ってますね?

ヤン:72年の3月に金日成の60回目の誕生日の「プレゼント」として行きました。朝鮮大学校で200人を帰国させようとしたそうなんですが、そのうち100人が断わったので、どうしても残りの100人を確保せなあかんということで、総連組織が長男を指名したんです。だから、下の二人と長兄の帰国は完全に別だったと思います。上のオッパ(兄)を帰す時に、どれだけうちの両親が抵抗したか、勘弁してくれ!みたいなことを言ったかという話を、最近オモニ(お母さん)がし始めたんですよ。昨日の夜もまさしくその話で。

石丸:組織に対して?

ヤン:そう。

石丸:一人は残したいと?

ヤン:長兄の朝鮮大学校時代の同級生たちと会った事があります。兄が向こうに行って躁うつ病になったと聞いてびっくりしている人もいました。死んだことも全然知らない人もいて。オッパが北朝鮮行きを指名されたときの話を聞きました。当時、やっぱり儒教的なこともあるのか、金日成主席の60回目の誕生日、つまり還暦祝いのプレゼントとして、帰国する学生を指名することになったんですが、長男と一人息子は指名しないという了解があって、クラスで女の子が何人か指名されたらしいんです。で、うちのオッパの場合は長男だし、ましてや下の弟が先に、それもつい数か月前に行ったばかりなので、オッパが指名されたときには全員が、「嘘だろ!あり得ない」とびっくりしたと言うんですよ。

石丸:ふーむ。長兄さんの同級生がそう言ったわけだ。

ヤン:うちのアボジ(お父さん)はああいう性格で、万歳!も叫びつつ、「こういうところが組織のあかんとこや」と率直に言う人だったので、組織の中では、もうめちゃくちゃうざったく思われてたので有名だったんです。だから、ヤン・コノ、つまりオッパは、うちのアボジを黙らせるための決定的な人質だと。子供3人も行ったらさすがのヤンさんもおとなしくなるだろう、みたいなことが理由だったというわけです。「大げさに言ったらそういうこともあるのかな」じゃないですよ。「間違いない」ってオッパの同級生たちが言うんです。もう私は本当にめまいがするくらいびっくりして。いったいどんな時代だったのか、当時の朝鮮大学校って、今なんかは問題にならないくらい左寄りというか、文革みたいなもんじゃないですか。

石丸:そんなことがあったんだ......。

ヤン:うちのオッパはどんなつもりで北朝鮮に行ったんかなと思って。死んじゃいましたけどねえ。

石丸:お兄さんが指名されとき、ご両親はどんな反応だったんですか?

ヤン:さすがに長男が指名されたときに、「なんでや?」っていうことになって、アボジもオモニもびっくりして。下二人行かせたあと、長男は朝鮮大学校を出て、総連の仕事をするだろうから、趣味で音楽聴いて、クラッシック喫茶行ければええやみたいに考えてたと思うんですよ。だから最初指名されたときは、「総連の仕事をさせますんで長男だけは勘弁してくれ、一人ぐらい残させてくれ」って、総連の中央にアボジも一生懸命電話したって言うんですよ。人にも会いに行ったし。でもことごとく、「(幹部としての)模範を見せろ、アカン」という感じで。

石丸:組織決定に従わされたわけですね。

ヤン:当時グリル喫茶して商売してたオモニは、ノイローゼになりそうだったと言うてました。なんでそこまで言われなあかんのやろうって。総連組織の仕事を私らここまでがんばってるやないかと。長男を出せというのは、二人ではまだ足らないのかと。結局、問答無用みたいな感じで言われて、もうオモニは、準備が間に合わへんと。オッパに何も持たせず船に連れていかれて乗せられるようなことは出来ないので、泣きながらオッパが持っていく布団縫ってたんです。

「祖国訪問」を終えて日本に帰る時。ウオンサン港を離れた船のデッキから、港で見送る息子たちに手を振るヤン監督のお母さん。2001年。

(続く)

 

※8/4から封切りされたヤン・ヨンヒ監督作品「かぞくのくに」の上映情報です。
http://kazokunokuni.com/theaters/index.php

※在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業
1959年から1984年までに9万3000人あまりの在日朝鮮人と日本人家族が、日朝赤十字社間で結ばれた帰還協定に基づいて北朝鮮に永住帰国した。その数は当時の在日朝鮮人の7.5人に1人に及んだ。背景には、日本社会の厳しい朝鮮人差別と貧困があったこと、南北朝鮮の対立下、社会主義の優越性を誇示・宣伝するために、北朝鮮政府と在日朝鮮総連が、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝して、積極的に在日の帰国を組織したことがある。朝鮮人を祖国に帰すのは人道的措置だとして、自民党から共産党までのほぼすべての政党、地方自治体、労組、知識人、マスメディアも積極的にこれを支援した。

ヤン・ヨンヒ(梁英姫)
映画監督。64年11月11日大阪市生まれ。在日コリアン2世。済州島出身の父は大阪の朝鮮総連幹部を務めた。朝鮮大学校を卒業後、大阪朝鮮高校の教師、劇団女優を経てラジオパーソナリティーに。95年から映像作家として「What Is ちまちょごり?」「揺れる心」「キャメラを持ったコモ」などを制作、NHKなどに発表。97年から渡米、6年間NYで過ごす。ニュースクール大学大学院メディア学科にて修士号取得。日本に住む両親と北朝鮮に渡った兄の家族を追ったドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(05年)、「愛しのソナ」(09年)を監督。著書に『ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや』(アートン新社・06年)、『北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ』(聴き手 佐高信・七つ森書館・09年)、『兄―かぞくのくに』(小学館・2012年)。

「ディア・ピョンヤン」で、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波部門特別賞、ベルリン国際映画祭フォーラム部門最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭審査員特別賞、第8回スペイン・バルセロナ アジア映画祭最優秀デジタル映画賞(D-CINEMAAWARD)を受賞。

「かぞくのくに」で、ベルリン国際映画祭アートシアター連盟賞、パリ映画祭人気ブロガー推薦作品賞を受賞、他現在も各国の映画祭から招待が続いている


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1 コメント

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素敵な人です! (非凡)
2012-10-17 19:48:31
テレビでコメンテーターをされているヤン・ヨンヒさんを何度か拝見しました。

真っ直ぐに見つめて、奇をてらわずに発言する人と感じました。孫正義さんもそうですが、新しい時代の人に大いに期待しています。
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