昨夜は遅くまで起きて各地の人と電話で交信しました。近頃の僕はこれがなかなかの仕事です。風呂に入り夕食をすませると眠くなって電話どころではなくなってしまうからです。それに子機が故障して炬燵に入ったままというわけにも行かなくなりました。だから決心して電話作戦に挑んだのです。
まずは先日のクラス会の時出席出来ないからとみんなにアシタバとキヌサヤの種を届けてくれた大島の雅義くんにお礼の電話。不在でしたが暫く後に返信がありました。11月2日の駅伝大会を前に夫婦がそれぞれのティームに別れて夜の練習に励んでいたのです。そういえば雅義くんのみんなへのメッセージの中にこんな文章があります。
11月2日、駅伝大会があります。ティームのアンカーで岡田から泉津まで走ります。もう参加選手の中では最年長の世代になってしまいました。走り終わった帰りに豊(とよ)の墓参りをしてきます。もう一年経ってしまった。
夜、練習で走っていたときにやす子さん、秀子さんに会った。あのときから一年です。つらい複雑な気分です。
今年も駅伝や農業祭のシーズンが来て世話役としての活動が忙しくなったのでしょう。日程が重なって同窓会にでられなくなったがみんなに会いたいと結ばれています。
駅伝に参加してきた雅義くんのティームはいったんは解散を決めていたと言います。しかし、再結集して今年も大会に参加することになりました。雅義くんが一人一人のメンバーを説得して歩いたのです。
高齢化が進む大島で自死の道を選んだ同世代が二人もいたそうです。そんな状況の中でティームを一つ無くしてしまうことはそれだけ人と人のつながりの道をなくしてしまうことです。
数年前、雅義くん自身も離婚などを経験して深く落ち込んだことがあります。百姓仕事にも精が入らなくなっていました。そんなときにマラソン仲間の今のお連れ合いに出会ったのです。
昨年訪ねた雅義くんたちの農場には新しいビニールハウスが建ち活気が蘇っていました。都会生活から大島にやってきて自分に納得のいく農業に挑戦するひとみ夫人の生き生きした姿がありました。雅義くんの笑顔も昔と変わりません。ヤルキに余裕が加わったように見えました。人生には浮き沈みがあり、人はまことに出会いによって元気づけられるものです。
雅義くんが駅伝ティーム再建に動いたのには自分自身の体験に基づく人々への思いがあったからでしょう。
そういえばBくんがクラス会に顔を出したのも本当にひさしぶりです。闊達に旧友たちと語り合っていました。彼もまた離婚などを体験し挫折感を深く味わった時期があります。大島に帰って閉じこもっていたBくんを飲み屋に誘っては元気づけたのはMくんです。中学からの同級生です。性格も生き方も対照的に見える二人ですがMくんにとっては本当に大切な友達だったのでしょう。
マラソンといい、飲み屋といい、それぞれが自分にあったところで友達を大切にしています。それによって助け、助けられているのです。それをとてもいいなあと思います。
彼らより2年上の還暦同窓会にTくんの姿が無かったので翌日くらいに電話をして留守電にメッセージをいれたのですが返事がありません。交流のあるYさんに聞いてみました。同窓会に手を変え品を換え誘ってみたと言います。小さいときから仲良しだったヒデキくんにも応答がないようです。
病気や離婚を体験してTくんは自分にスッカリ自信を失っているのではないかと思われます。「クマ(熊)」といっていたマサヨシくんや「ヒデキ」のぬくもりを忘れてしまったのでしょうか。若い頃、川越にもよく遊びに来てくれました。僕や家族に馴染んでくれた生徒の第一号かもしれません。
YさんはTくんと会う機会をつくるようやってみると言ってくれました。Tくんのことはずうっと気にしていることなのです。
彼女は今回の還暦同窓会に出て良かったなあと思っています。昔、好きになれなかったクラスメートの変化に気づいたりして新たな喜びがあったのです。60年の人生をやっているうちにたいていは、お互い知らず知らずに学びがあり身に付いていくものがあるのです。少なくとも僕が出会う大島や池商の卒業生についてはいえることです。
TくんにYさんやクマやヒデキやボンチャンの心が伝わってまた馬鹿笑いが出来る日が近いことを期待しています。
還暦同窓会の幹事から名簿や写真、会計報告と共にメッセージが届きました。行き届いた配慮に感謝します。
まずは先日のクラス会の時出席出来ないからとみんなにアシタバとキヌサヤの種を届けてくれた大島の雅義くんにお礼の電話。不在でしたが暫く後に返信がありました。11月2日の駅伝大会を前に夫婦がそれぞれのティームに別れて夜の練習に励んでいたのです。そういえば雅義くんのみんなへのメッセージの中にこんな文章があります。
11月2日、駅伝大会があります。ティームのアンカーで岡田から泉津まで走ります。もう参加選手の中では最年長の世代になってしまいました。走り終わった帰りに豊(とよ)の墓参りをしてきます。もう一年経ってしまった。
夜、練習で走っていたときにやす子さん、秀子さんに会った。あのときから一年です。つらい複雑な気分です。
今年も駅伝や農業祭のシーズンが来て世話役としての活動が忙しくなったのでしょう。日程が重なって同窓会にでられなくなったがみんなに会いたいと結ばれています。
駅伝に参加してきた雅義くんのティームはいったんは解散を決めていたと言います。しかし、再結集して今年も大会に参加することになりました。雅義くんが一人一人のメンバーを説得して歩いたのです。
高齢化が進む大島で自死の道を選んだ同世代が二人もいたそうです。そんな状況の中でティームを一つ無くしてしまうことはそれだけ人と人のつながりの道をなくしてしまうことです。
数年前、雅義くん自身も離婚などを経験して深く落ち込んだことがあります。百姓仕事にも精が入らなくなっていました。そんなときにマラソン仲間の今のお連れ合いに出会ったのです。
昨年訪ねた雅義くんたちの農場には新しいビニールハウスが建ち活気が蘇っていました。都会生活から大島にやってきて自分に納得のいく農業に挑戦するひとみ夫人の生き生きした姿がありました。雅義くんの笑顔も昔と変わりません。ヤルキに余裕が加わったように見えました。人生には浮き沈みがあり、人はまことに出会いによって元気づけられるものです。
雅義くんが駅伝ティーム再建に動いたのには自分自身の体験に基づく人々への思いがあったからでしょう。
そういえばBくんがクラス会に顔を出したのも本当にひさしぶりです。闊達に旧友たちと語り合っていました。彼もまた離婚などを体験し挫折感を深く味わった時期があります。大島に帰って閉じこもっていたBくんを飲み屋に誘っては元気づけたのはMくんです。中学からの同級生です。性格も生き方も対照的に見える二人ですがMくんにとっては本当に大切な友達だったのでしょう。
マラソンといい、飲み屋といい、それぞれが自分にあったところで友達を大切にしています。それによって助け、助けられているのです。それをとてもいいなあと思います。
彼らより2年上の還暦同窓会にTくんの姿が無かったので翌日くらいに電話をして留守電にメッセージをいれたのですが返事がありません。交流のあるYさんに聞いてみました。同窓会に手を変え品を換え誘ってみたと言います。小さいときから仲良しだったヒデキくんにも応答がないようです。
病気や離婚を体験してTくんは自分にスッカリ自信を失っているのではないかと思われます。「クマ(熊)」といっていたマサヨシくんや「ヒデキ」のぬくもりを忘れてしまったのでしょうか。若い頃、川越にもよく遊びに来てくれました。僕や家族に馴染んでくれた生徒の第一号かもしれません。
YさんはTくんと会う機会をつくるようやってみると言ってくれました。Tくんのことはずうっと気にしていることなのです。
彼女は今回の還暦同窓会に出て良かったなあと思っています。昔、好きになれなかったクラスメートの変化に気づいたりして新たな喜びがあったのです。60年の人生をやっているうちにたいていは、お互い知らず知らずに学びがあり身に付いていくものがあるのです。少なくとも僕が出会う大島や池商の卒業生についてはいえることです。
TくんにYさんやクマやヒデキやボンチャンの心が伝わってまた馬鹿笑いが出来る日が近いことを期待しています。
還暦同窓会の幹事から名簿や写真、会計報告と共にメッセージが届きました。行き届いた配慮に感謝します。