人は、それぞれに分相応の領域で生きてゆくことが自然の理に適っている。
勿論、高い志や目標を持ち、それに向かって日々精進、研鑽を積むことも大事。
目には捉えられない程の変化で少しずつ向上しているのが望ましいし、自然だと思う。
武豊、
僅か十代後半でデビューしたこの若者の20年にも及ぶ快進撃は、
自然の営みから大きく乖離している。
それを人は天才と賞賛をおくる。
しかし、それは人の手で意図的に作られた、JRA競馬の巨大装置で動くロボットに過ぎない。
そして、若いが故に本人も大きな勘違いを引き起こす。
傲慢さ、思い上がり、人を見下す。
20数年の長きにわたり、そんな環境に身を置けば誰もがそうなるであろう。
彼に非はない。
レース結果は、JRA職員が確固たる意思をもって描く壮大なフィクションプログラムである。
JRA競馬の繁栄と、騎手、調教師の不正排除に、この手法を用いている。
しかし、これは自然の理から逸脱している。
実力勝負のレースを施行し、それらの対策、仕組みづくりが本来のJRA職員の仕事ではなかろうか。
歪んだ人為は、一時は良くとも必ず自然の裁きにあう。
人々に大いなる幸せをもたらしたとか、世に大きな功があるとか。
十代の鼻垂れ小僧に、そんな徳分など有るはずもない。
得た名声と本人の徳分が極端にアンバランスな状態が続いていた。
表面的には社台グループの存在となるが、いま正しく自然の浄化作用が働いている。。。