武豊の凋落は、自然の摂理に沿ったものだと解釈している。
現実界では、 『武豊は社台グループから干されていた』ということになるが、
自然の理を前にして、人為など跪くしかない。
では、自然の理とは?
JRA競馬は、馬の実力では決着していない。
これまで何度と繰り返し書いているが、
JRA職員が事前に着順を支配し、騎手はそれを役者として具現化しているに過ぎない。
つまり、馬も騎手も実力を反映出来ない世界なのだ。
興行主として、半永久的な繁栄を描けば、それが最善ということだろう。
また、八百長の温床となる騎手を管理する上でも都合がいい。
ガチンコの実力勝負は、低配当が続き、やがては閑古鳥に。
こんな原理原則を念頭に置き、スター騎手を作り上げることは定石でもある。
白羽の矢を立てられた武豊。
その記録ラッシュは彼の実力などではなく、JRA職員の人為で作り上げられたもの。
しかし、局面は変わった。
競馬界最大勢力社台グループの存在。
『武豊は社台グループから干されていた』
武豊への騎乗依頼は激減、皆無か。
これでは、流石のJRA職員も、スター騎手の絵に書いた餅を描けない。
痔エンド、お尻かいーの。。。あ~久々にまた書いちゃった。。。
武豊デビューから20数年、
現況をみれば、それまで築き上げたものは砂上の城となった。
自然の理とは、こういうことだと思う。
JRA職員が自ら考えた運営手法は、歪んでいると。
人様の人生を狂わしている、武豊に非はない。
実力勝負を回避した、これまでの運営に問題がある。
JRA職員のちっぽけな人為は、自然の摂理に裁かれているといっていい。
そうJRAの不条理な部分に対して、我々は何も手を出さなくとも自然が裁く。
悪事、自然の摂理に沿わないものは、自然に自然と追い込まれてゆく。。。