kebaneco日記

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とりとめのないこと

2014年03月22日 | チェロ&アート
昨日は「世界水の日」の記念行事として「水とエネルギーのつながり」と題したイベントが、皇太子殿下や太田国土交通大臣の出席のもと国連大学で行われた。「水」を通して見た世界は、ものの見え方が変わる思いがする。

あたしたち日本人にとっては、水を巡る争いや水との戦いは、生まれる前に解決している問題。江戸時代に利根川を東に移して江戸を洪水から守る治水事業が完了し、複数の川が支流が合流する地点では、互いの川の流れのエネルギーをぶつけて弱らせる堤が日本全国でつくられたりした。450年も昔からの「公共事業」である。うちの近所にある芭蕉庵は、芭蕉が神田川の治水事業の担当者であった時代に住んでいた、とされる。

今では高度成長期に効率優先でコンクリートで固めた土手を、自然に戻す作業が始まっていたり、都市のど真ん中にゲリラ豪雨対策の大きな調整池が地下に作られていたりする。そういうたゆまぬ努力が、安全な都市と蛇口をひねればいつでも飲用に耐える衛生的な水が流れ出すこの国の上下水道を支えている。

が、世界には「万人のための衛生と水」「万人のための持続可能なエネルギー」を国連機関がパートナーシップを立ち上げないとやっていけない国が未だに沢山ある。水道が引かれれば、井戸ができれば、子供達が遠くまで水をくみに行く必要がなくなり、就学率(特に女子の)が高まるのに、それがひとりひとりの生活の質向上に限りなく貢献するのに、資金不足や川の上流と下流での水を巡る争いから、なかなか状況が改善しない状態にある。

また、途上国側にも開発援助や資金援助をあてにして、保守や修理に国内の人材では対応できないような高度な技術をいきなり要求するという問題もある。国際河川になると状況はさらに深刻だったりする。また、国によっては水道の有料化に失敗したところもあり、日本では考えられないような状況をみるにつけ、日本ができるのは「技術援助」だけではなくて、こつこつと着実に今よりいい状況に改善してきた歴史を、その国の文化的社会的状況に合わせて説明し、出来るところで協力することではないかと思えた。必ずしも「ハイテク・最先端」が「最善の」解決策ではないことや、日本だって一足飛びにここまで到達した訳じゃないことを納得してもらわないと始まらない世界を感じた。もちろん受け手側が「途上国だから最先端をくれない」と思うようではアウトだけど・・・。

とは対照的な写真。アンディ・ウォーホル展。森美術館で開催中。このコマーシャリズム、ぶっちゃけ拝金主義を地でいくようなアーティスト、あたしは全くもって好きになれない。なんとかラッセンとかいうインテリア・アーティストといったいどこが違うのか?と思っていた。なのに有名、なのに熱狂的ファンが多い。セレブがこぞってお金を払って肖像画を描いてもらうという。意味不明、この人の作品が良いと言う人すら嫌いになれそうなくらい(笑)

なんでかな?と思っているアーティストに限って、仕事が舞い込むんだよね~(苦笑)。しかたないので(?)先日仕事直前に美術展を見た。アンディがこんなにドローイングを残しているとは知らなかった。正直シルクスクリーンで大量生産された作品よりも、彼が「アーティスト」になる前、ニューヨークでコマーシャル・イラストレータをしていた時代の作品には、素敵なイラストだなと思える作品がいくつかあった。

その後ピッツバーグにある、アンディ・ウォーホル美術館館長のお話しで、彼の人となり、彼の作品に対する思いなどを「ほえ~」と聞きつつ一日を終えた。限られた情報だけで、ある人や物を嫌いと判断すると、それ以上は知ろうとしないあたし、いかんいかん、と思ったのでありました。東京のように、普通に生活しているだけでいろんな物が向こうからやってくる場所に住んでるのだから、食わず嫌いはもったいないと、改めて思い知らされたでござる。この仕事は、部分的に4月6日のNHKの日曜美術館の中で使われる。あたしにしては珍しい「人の目に触れる」仕事(あくまでも仕事の結果であって、あたし自身ではない)となった。

ってなはなしをある方にしていたら、「そうよね、あなたアートな人だったわよね。これ、もらってくださる」と手渡された。書くまでもないと思いつつも念のため書き添えると、あたしは決してアートな人ではない。アートな人はアンディ・ウォーホルを商業主義の権化たぁ思わんだろ~(笑)。

頂いたのは宮城まり子さんの、ねむの木学園の子どもたちとまり子さんの美術展のチケットとチラシ。その方はねむの木学園の関係者に知り合いがいて、チケットを多めに購入して配っているという。


1968年に日本初の肢体不自由児のための療養施設を作られた宮城まり子さん。宮城まり子さんの「すべての人々に対し、その能力を生かし人として正しい生活を送ることができるようにするのが福祉ならば、福祉は文化であり文化は福祉にある」という理念、権利だとか義務だとか責任だと声高に叫ぶのと違って、心の深いところにすとんと落ち着く。我が身を思うとちょっと痛みも感じるけど。

子どもたちの作品の前に立って、いろいろと吸収してこよう。

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4 コメント

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 (ようちゃんばあば)
2014-03-22 20:42:32
難しい問題です。
稲作をするお百姓にとって 水は いまでも きりのない問題が たくさんあります。
うちの集落では たった4軒の農家で 譲りあって うまくやりくりしていた農業用水も 
一人の方が亡くなって 去年のひと夏 その息子さんが 通いで稲作を引き継いだとたん
もうめちゃくちゃで(自分中心に水を使い放題)残りの3軒が ふりまわされ 疲れ果てました。
どんなに水利設備が改善されても 使う人間の意識がちゃんとしていないと また新たな問題が生まれることを実感しました。  
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ようちゃんばあばさま (keba)
2014-03-22 21:07:40
そうなんですね~
ハードとソフトの問題は、日本でも未だに未解決
っていうか、これから世代交代で顕在化しそうですね。

農業用水の問題でいうと、
農産品の輸入=バーチャルな水の輸入でもあり
水で戦争が起こる可能性のあるというわれる21世紀
食糧自給率がここまで低くていいのか?という問題もあります。

農業だけで生活が成り立つ社会に
立て直す必要があるのかもしれません。
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A・ウォーホル… (まろ)
2014-03-22 23:30:03
作品の実物も見たことがないのでコメントは出来ませんが。
わが国の水道水の質の良さは、誇らしいものだそうです。
蛇口から水を飲める、てすばらしいです。
どこだったですか、ただの水道水をペットボトルに詰めて売ってますよね。
今時、水は買いだめに走らなくてもいいんじゃないのかな。と言いつつ、母の分だけ少し買いました。(笑)
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まろさま (keba)
2014-03-22 23:56:12
東京も水道水をボトルに入れて売ってます。
もっとすごいのは熊本市です。
水道水が全部地下水という、日本で唯一の都市です。
天然ミネラルウォーターですよ凄すぎです
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