
我が家のミニトマちゃんたち、先日の強風で倒れて色づき始めた実が一つだけ落ちてしまった手前の鉢を含めて、順調に成長している。
主人の実家のことは、地域包括支援センターのサポートは順調なんだけど、対象者である義父母は「必要ありません」というお返事。そういうことは多々あるらしく、センターの職員の方が「お電話では了承いただけなかったけれど、’先日電話した○○です、近所を回っているので立ち寄りました’と、同僚と訪問し、事務所に戻ってから電話でどうだったかご連絡します」とおっしゃってくださった。
誰の面倒にもなっていない、というのが張り合いになっているのは確かなのだけど、裏手に住む主人の同級生が「社会とのつながりが希薄なので、何かした方がいいのではないか」と主人に教えてきてくれたりする。去年は「あれだけ何でもやってたら、介護保険は対象外だね」と言っていた人が、今年はそんなことをいうようになったので、近くで見ている人の目には衰えが目立つのだろう。
いずれにせよ、水曜日の午後に伺いますとのことだったので、明日には客観的にみて介護保険で支援した方がいいのかどうなのかが、ある程度判明することになるでしょう。
実家の両親の場合は、母の認知症が先行したことで、ある程度市政に知識のある父が民間の給食サービスを頼み始め、あたしたちが老人ホームを提案した頃には夫婦だけで24時間一緒にいるのが辛くなり始めてきたころだったから、全てがスムーズだった。当時のことは(自信が揺らぐ時 - kebaneco日記)に書いてある。読み返すと今でも涙が出そうなくらい、父には感謝している。すべてがスムーズだったのは、父があたしたちにスムーズに進めさせてくれたからに他ならない。
うちの父と主人の父は同い年。うちでは8年も前に必要だったことが、まだ必要じゃないってことだけでもすごいことだ。そろそろ他人に頼ってもいいんじゃない?とあたしたちは思っているんだけど、義父母の東北人メンタリティーと本人たちのプライドと意地、驚異的体力(と本人たちが思っているだけ?)によって、話は複雑。思い返せばあたしが台所に立たせてもらえるようになったのは、たかだか5-6年前。そりゃうちに他人が入るのは嫌だろう(苦笑)。
ある程度のところで主人とその兄に引き継ぐために、関係各所とのやりとりは逐一文書化してLINEで共有している。「議事録は作っていません」って言ってみたい〜
口に出すには表現力の無い私には難しい。
4人の親の老いに関わって10年あまり。。。
いろんな事や感情に戸惑いました。
そして今、自分の衰えを感じています。
いつまで自分を保って生きられるでしょうか?
>そういうことは多々あるらしく
そうなんです。
でも、職員の方もあの手この手で辛抱強く接してくださると思います。
身内が言うのとお役所の方が言うのは受け止め方も違いますしね。
自分に置き換えたときに、衰えを自覚した時に今はすんなり受け止めようと思っていますが、歳をとるとそう言うことを受け入れるのも難しくなるのかしら〜〜と危惧しております。
都会だと近所の目はあまり気にならないし、私くらいの世代だと利用できるものは利用します。
自分の時は嫌でも他人の世話になると思います。
というか、その頃、まだ制度が崩壊していなければ良いのですが。
色々ありすぎて結構辛いです。
書いてないと自分の中に溜まりそうで怖い。
自分の両親の時は、母の介護認定が取れたら
父が介護保険の1割負担を使って手摺りをつけたり
積極的に使えるサービスを活用してくれていたので、
義父母のどちらかに要支援が認定されて
ケアマネさんがつけば安心なのに、と思ってるんですが
道は険しいです。
介護保険と生活保護はいっしょくたなのかもしれません。
地域的にも狭い社会なので、よそ者のヨメがやるとさらに面倒になる。
実のの息子たちに主導権を握ってやって欲しいんだけど
長男さんは、懸念は抱いているけどお忙しいのだそうです。
介護保険制度は多分あたしたちの時は瓦礫になってると思うな