
12月27日の午前中はガイドとともに市内観光して、その後昼食。昼食後しばし休憩してルアンパバンへ飛行機で移動、到着後夕食、というのが大雑把な予定。ホテルの朝食はおかゆをチョイス。8時半にガイドがホテルに迎えに来た。チェックアウトして荷物をホテルに預けて市内観光へ。
まずはワット・シーサケートを見学。




ワット=寺院には僧侶がいて、境内には僧房が併設している。
次に向かったのは、お向かいのワット・ホーパケオ。ビエンチャンに遷都したときエメラルド仏を安置する目的で建立されたけど、タイが侵入してエメラルド仏を持ち去り寺院も破壊したらしい。現在は僧侶がいないので本当は「ワット」ではない。

次に向かったのはタート・ルアン。中に仏舎利が収められている。セーターティラート王がルアンバパンからビエンチャンに遷都したときに建設が始まった、と言われている。国内外から篤い信仰を集めるビエンチャンのシンボルの黄金の塔。塔の突端だけが本物の金で、あとはお金が足りないからひとまず金色に塗っているだけなんだけど、お金ができたら全部金箔にするのがみんなの望みだ、とガイドのポンさんが言っていた。全部金箔にしちゃったらタイのお寺みたいにギンギラギンになってどうなんだろ〜と内心思ったけど、でもみんなの望みがそうなんならとちょっとだけ喜捨してきた。1ミリ角くらいの金箔にはなるかも(笑)。


寺院の前では必ずお供え物とカゴに入った鳥を売っている人がいる。こういう人から鳥を買って放してやることで「善行」となるらしい。お供え物やお祈りは3という数が基本で、供えるお花は3輪、お祈りは3礼、線香は火をつける1本を計算に含めるので2本だけお供えする。


次に向かったのは、戦死した兵士の霊を慰めるためのパトゥーサイ。パリの凱旋門をモデルにしたらしい。が、まだ未完成なんだと、それじゃガウディのサグラダファミリアじゃん(笑)。





ラオス最大級のマーケットのタラート・サオでお土産をゲット。のはずなんだけど、面白い店を教わった。「メイソウ」だって(苦笑)。帰国して調べてみたら文化服装学院出身の三宅という人が創立者とされているものの、中国資本で中国で経営しているという。ダイソーとユニクロと無印をパクって混ぜたみたいな店。主人は爪切りが買いたかったので「話の種に」入ってみた。




というわけで、あたしたちも昼食にしましょうということになった。


食事の後小一時間時間があまったので、マッサージ(主人は全身、私は膝下のみ)を受けて、ホテルに戻り荷物をピックアップして空港送迎の車を待った。心地よい疲れを感じながら、ホテルのWiFiを無料で使わせてもらいブログをアップしたりメールをチェックしたりして過ごす。


空港からホテルは送迎をアレンジしていたので、迎えの車にのってホテルへ。2連泊したのはラオス寺院風の建物の老舗ホテルで、ここもバスタブが付いていて嬉しかった。チェックインのあと市内散策へ、途中迷って見つけたホテルに入って「ここはどこ?ナイトマーケットにはどうやっていけばいいの?」と道案内を頼む事態に陥ったけど、なんとか軌道修正できた。


エレファントという有名なフレンチレストランのセカンドラインのカフェ・バーンワットセーンで、主人はポークの煮込みとワイン、あたしはバゲットサンドイッチとワイン。ちゃんと地図をチェックしてまよわず帰宅して、二日目が終わったのでありました。
まずはワット・シーサケートを見学。


回廊に掘られた小さな穴には2体ずつの仏像が安置されている

本堂。1551年にセーターティラート王が建立を支持したと言われる寺院

ナーカ(龍)はあらゆるお寺で見た
ワット=寺院には僧侶がいて、境内には僧房が併設している。
次に向かったのは、お向かいのワット・ホーパケオ。ビエンチャンに遷都したときエメラルド仏を安置する目的で建立されたけど、タイが侵入してエメラルド仏を持ち去り寺院も破壊したらしい。現在は僧侶がいないので本当は「ワット」ではない。

現在の建物は修復されたもの
次に向かったのはタート・ルアン。中に仏舎利が収められている。セーターティラート王がルアンバパンからビエンチャンに遷都したときに建設が始まった、と言われている。国内外から篤い信仰を集めるビエンチャンのシンボルの黄金の塔。塔の突端だけが本物の金で、あとはお金が足りないからひとまず金色に塗っているだけなんだけど、お金ができたら全部金箔にするのがみんなの望みだ、とガイドのポンさんが言っていた。全部金箔にしちゃったらタイのお寺みたいにギンギラギンになってどうなんだろ〜と内心思ったけど、でもみんなの望みがそうなんならとちょっとだけ喜捨してきた。1ミリ角くらいの金箔にはなるかも(笑)。

真ん中の像が建立を命じたセーターティラート王

寺院の前では必ずお供え物とカゴに入った鳥を売っている人がいる。こういう人から鳥を買って放してやることで「善行」となるらしい。お供え物やお祈りは3という数が基本で、供えるお花は3輪、お祈りは3礼、線香は火をつける1本を計算に含めるので2本だけお供えする。

ここでもナーカ

日本だったらコーナーはびしっとあってますよね、とガイドのポンさんが笑いながら説明してくれた
次に向かったのは、戦死した兵士の霊を慰めるためのパトゥーサイ。パリの凱旋門をモデルにしたらしい。が、まだ未完成なんだと、それじゃガウディのサグラダファミリアじゃん(笑)。


中央の天井部分

アーチ部分はラオスらしいガーゴイル

階段で展望台まで上ると

市内が一望できる
ラオス最大級のマーケットのタラート・サオでお土産をゲット。のはずなんだけど、面白い店を教わった。「メイソウ」だって(苦笑)。帰国して調べてみたら文化服装学院出身の三宅という人が創立者とされているものの、中国資本で中国で経営しているという。ダイソーとユニクロと無印をパクって混ぜたみたいな店。主人は爪切りが買いたかったので「話の種に」入ってみた。


レジはユニクロそのもの(苦笑)

マーケットの古いセクションでは果物も売っている

建物内部では売り子さんがカンターで昼食食べながら仕事中、でも携帯端末は偽物(苦笑)
というわけで、あたしたちも昼食にしましょうということになった。

これで2人分

古代米のもち米。ラオスはもち米が基本形
食事の後小一時間時間があまったので、マッサージ(主人は全身、私は膝下のみ)を受けて、ホテルに戻り荷物をピックアップして空港送迎の車を待った。心地よい疲れを感じながら、ホテルのWiFiを無料で使わせてもらいブログをアップしたりメールをチェックしたりして過ごす。

ビエンチャンからルアンパバンへはラオ航空で45分のフライト

ルアンパバン空港到着時刻はちょうど日没
空港からホテルは送迎をアレンジしていたので、迎えの車にのってホテルへ。2連泊したのはラオス寺院風の建物の老舗ホテルで、ここもバスタブが付いていて嬉しかった。チェックインのあと市内散策へ、途中迷って見つけたホテルに入って「ここはどこ?ナイトマーケットにはどうやっていけばいいの?」と道案内を頼む事態に陥ったけど、なんとか軌道修正できた。

目抜き通りに毎晩あらわれるナイトマーケット

朝と昼はラオス料理だったので、カジュアルなフランス料理で
エレファントという有名なフレンチレストランのセカンドラインのカフェ・バーンワットセーンで、主人はポークの煮込みとワイン、あたしはバゲットサンドイッチとワイン。ちゃんと地図をチェックしてまよわず帰宅して、二日目が終わったのでありました。
多かったですね。
観光客の目から見ると 古くてちょっと怪しいマーケットを見て歩きたいけど。
なんか 癒されますね。
ありえないでしょ〜っていうくらい商品があり
ガイドのポンさんが「正規のお店じゃない場所は全部偽物売ってま〜す」。
めちゃくちゃ怪しいマーケットでした。
一方ルアンパバンのナイトマーケットは工芸品が中心で
ほとんどラオス国内で作ったであろう商品だったので
こっちは「怪しい」感じはしなかったです。
小さい頃夏休みに連れて行ってもらった夜市を思い出させる
懐かしいけどエキゾチック、不思議な雰囲気でした。
そのまた半分を主人が食べる、
ってなかんじでした(笑)