
お堀を見つめる太田道灌像、今は以前都庁舎があった有楽町の国際フォーラムに移設されてる。今日たまたま前を通りかかり、そういえば何度となく前を通りかかりながらも、一度も撮影してなかったなぁ~と、パチリ。隣に立ててある説明には、開幕150年前に江戸城を築いたのが扇谷上杉氏の家臣の太田道灌(1432-1486)であり、それ以降徳川家康が江戸幕府を開いて以来、今日に至るまで江戸=東京は日本の中心として栄えた。江戸時代にはこのあたりには江戸時代に土佐藩と阿波藩の上屋敷があった、とある。

この像そのものは1957年に開都500年を記念して旧都庁の丸の内第一庁舎の鍛冶屋橋通り沿いに設置し、新宿への移転に伴い一緒に移動し、1997年に東京フォーラムが竣工した時に再び戻ってきた、とある。なるほど~
台座の説明はこちら

この像そのものは1957年に開都500年を記念して旧都庁の丸の内第一庁舎の鍛冶屋橋通り沿いに設置し、新宿への移転に伴い一緒に移動し、1997年に東京フォーラムが竣工した時に再び戻ってきた、とある。なるほど~
ウィキペディアでみたら 覚えきれないほどのすごい情報が出てきました。
江戸城を築城したと言うくらいしか 知識がなかったです。
ありがとうございます。
そうなんです、太田道灌は名前は知ってても、全然想像できない人でした。
しかも開幕よりも150年も前に江戸城を作ったなんて知りませんでした。
ブログがなかったら知らなかったトリビアな知識です(笑)
淡路島は、阿波の国に含まれていたのです
幕末のころ、島の稲田家ともめまして、今は兵庫県になって
おります
「北のO年(吉永小百合)」が当時の事をモチーフにした映画です
築城の名人であったそうですが、彼は武将であるし建築現場の人を動かすのがうまかった、ということでしょうか。
設計図も専門家が筆で書いただろうし。城作りそのものが茫漠としています。
blogにアップするといろいろ教えて頂けてうれしいな
残念、うち貧乏だからみのもないんだも~ん
の件。