さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

2019-03-29 08:33:17 | 障がい者、介護


篠山城跡の周りの桜の蕾が少し膨らみ始めてました。
桜祭りの準備始めてました。
都会では、もう桜咲いているのかな?

うちの近所の桜は、都会より遅れて見れます。
少し得した気分になります。

お祭りと言えば、篠山市が5月1日から丹波篠山市に市名変更されます。
なので、5月にお祝いのイベントが多いようです。
それに伴う変更作業、うちの場合、ホームページとか、ゴム印もしないとあかん。(~_~;)

名前変わることだけで終わりにならない事を望みます。
大切なのは、中身がどう変わるか、どう変えて行くかなのだと思いますね。

ご縁

2019-03-26 09:28:10 | 障がい者、介護

今朝もうぐいすのほきょちゃんの上手くなかった囀ずりがよく聴こえています。
トンビのピー太郎も負けずに、ピーひょろーと囀ずりしてました。
今日の篠山は、暖かいです。

今年に入ってから、10年ぶりのご縁が復活している事が多く、
本当に有難い気持ちでいっぱいです。
数年前からウッドデッキが壊れ始め、一時は、はしっこを爪先で歩くほど。(~_~;)
けあぺんを建ててくれた大工さんに無理をお願いして、わざわざ遠方から来てもらい
以前と違うオープンデッキを作ってもらいました。
あ、ペンキは、店主と息子が数日かけて塗りました。
とっても気にいってます。
大工さんは、このけあぺんをたった一人で作りあげてくださり、
家の中の棚や家具、お客様のベッドも大工さんが作ってくださいました。
けあぺんの大救世主さんです。本当にいつもありがとうございます。

先日、昔、けあぺんがオープンした時に新聞記事を読まれ、
私達のテレビ取材で来られたデイレクターさんの娘さんと偶然ある場所で会いました。
その娘さんとは、以前から何度かお会いしていたのですが、
その時にデイレクターさんと同じお名前である事を知り、
デイレクターさんとご関係があるかもとおたずねするとなんと!娘さんでした。
テレビに私達が映る事をためらっていると、
「お店の宣伝になるのだから遠慮せずに使いなさい」と大きな胸を貸してくださった方です。
残念ながら、もうお会い出来ない事を知り胸が痛みましたが、
その方の娘さんとのご縁をまた違った形で残してくださった事に心から感謝しました。

けあぺんの場所を探してくださった不動産屋さんとも、
実家の事や母親と弟を篠山に移住させることでご相談にのって頂き
とても有難いご縁が復活しました。

ご縁って、しばらく遠ざかっていても、不思議とどこかで繋がるのですね。

また、またなごり雪

2019-03-24 17:47:26 | 障がい者、介護


今朝、窓から外を見るとよその屋根がなんだか白い。
よく見ると雪、積もってました。
もう、3月終わりなのになあ。
遅いなごり雪、篠山の春が少し延びたような気がしました。

車のタイヤも先日スタッドレスからノーマルに変えたばかり。(~_~;)
雪は、日の出とともに消えて無くなりました。
はかないなごり雪でした。

やぎのじゅんちゃん

2019-03-20 10:13:53 | 障がい者、介護

今朝も真っ白な霧がしっかり広がってました。
9時過ぎには、雲ひとつない春らしい陽気です。
つくしが上の写真に沢山写ってます。うちの空き地つくしだらけです。
採りたい人いますかね。

洗濯物を干しに玄関を開けて、私は、完全に固まりました。
外にデカイ白い犬???かと、よく見て見ると白いやぎさんとバッチリ目が合いました。
やぎさん、今、目が合ったよね。
やぎさん、私を見てしっぽフリフリ、めえーめえーと鳴いてくれました。


下の田んぼの持ち主さんのやぎさんでした。
前から息子がやぎが下の田んぼで走っていたと言っていたので、
会ってみたいと思ってました。

ねえ、ねえ遊んで!!と言っているのか、私とだんなさんが見ているとめえー、めえーと鳴いてくれます。
人慣れしているのか、しっぽフリフリこっちに寄ってきます。
飼い主さんの名前をお借りして、勝手に「じゅんちゃん」と命名しました。
本名は、また教えてもらいます。
めえーめえーと鳴いているけど、「遊んだげへんよー。(* ̄ー ̄)」と言いながら家の中から
じゅんちゃんの様子をこっそり見てます。草、むしゃむしゃ食べてます。
うぐいすのほきょちゃんも負けずに良い声で鳴いてます。

かぞく おとうと⑩

2019-03-19 08:57:47 | 障がい者、介護
今朝の篠山は、雨です。回りの山に薄い雲が覆っています。

おとうと⑩
おとうとは、聴覚障がいと知的障がいの重複障がい者になりました。
障害者年金は、それぞれの申請をする事になります。
結果がわかるのには、まだまだ先になると思います。

私が彼の事を詳しく書き続けた理由があります。

50歳を過ぎてからの療育手帳の申請は、珍しく私達だけだろうと思い、
それぞれの窓口でお聞きすると、以外なお答えが返って来ました。
ご両親が高齢者となり、それまでは、子どもさんの性格だと思い込み家で面倒を見られていたり、
昔は、障がいを隠されご自宅で守り続けて来られご両親が亡くなられたり等の様々な事情で
ご家族や関係者からの彼のような年齢での相談や申請のケースが多くなっている事を知りました。

ひょっとしたら、目に映らないハンディを持たれる方にも、色々な事情もありますが、
もっと奥深い所で支援が必要な方がいるのではと思いました。

職場で、人間関係やコミュニケーション不足、技術力の問題等で仕事が上手く行かず、
仕事をしたい意欲があるのに退職を選ばないと行けない状況におかれる人もいます。
私は、おとうとの手帳申請は、たまたま、福祉の職場でこれまでの間に
沢山の利用者さんやスタッフの方々からの学ばせて頂いたお陰での気付きだったと思います。

ハンディを抱えていても、それをオープンにする人、オープンにしたくない人も人それぞれだと思います。
手帳申請やハンディのオープンなどは、その人個人の考え方があり必要性もその人の判断だと思います。
その事より、本当に必要な事は、目に映りにくいハンディを抱えた人に
その事に気付いた回りの人の「寄り添う気持ち」だと私は、思います。

出来ない事に腹を立てるのではなく、何故出来ないのかを考え、
その人を理解し、周りの人に寄り添う気持ちがあれば、
少しのフォローや気持ちで仕事が出来る可能性が広がるように思えます。
仕事が出来ないイコール退職ではなく、周りにいる人も目線を変えることで意欲の芽を摘まず、
その人の人生をより良い方向になれるきっかけを作れる可能性につながるように思います。