さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

ひまわり

2019-08-31 10:59:59 | 障がい者、介護


母と城崎へ行った帰り、珍しく母から
次の外泊にだんなさんのお母さんと美味しい中華料理店があるから
そこに連れて行ってほしいと言った。

そのお店は、門戸厄神にある職場の人達と行った思い出の場所だったようだ。
母は、腸閉塞になり始め、食べても数日後に嘔吐して、
一日に一回少しのパンか小さなソフト煎餅を食べるのがやっと。
食べられないのに中華料理を希望したのは、楽しかった思い出の為だったのかもしれない。

先週の始めに病院に行くと母が嬉しそうに、
これまで座薬でないと出なかった便が自然に沢山便が出たと話してくれた。

私は、いつか本屋で見たセラピストの本の事を思い出し胸騒ぎがした。
病気で亡くなる人は、その直前頃に大量の便をして自分の体の中を亡くなるまでに綺麗にすると書いていたから。
予感が当たらない事を願いつつ、その日に訪れたビックニュースを母に伝えた。
弟の年金受給がやっと決まった事。
これでもし私が死んでも弟は、何とか生きていけるよねと母に言うと
母は、ありがとうと何故か寂しげに微笑んでいた。
母の足の甲がパンパンに腫れ、尿の回数も減り心配して帰った。

土曜日、仕事を終えて夜遅くに母が飲みたいと言ったインスタントのなすの味噌汁を届けた。
味噌汁を美味しいと3口ほど飲めた。
母の会話が聞き取れず、これまで見た事がない母でイライラと八つ当たりし怒っていました。
これは、翌日先生からの話でせんもうと呼ばれるものだそうです。
後でわかった事だけれど、このときすでに母の左頬が垂れ下がり言葉が話せない状況に近づいていたようです。
機嫌が悪いのは、痛みと薬のせいかなと思い、明日の約束をして帰りました。
これが母との最後の会話となりました。

明け方3時頃に母の様子がおかしいと病院から連絡があり家族で急ぎました。
母は、声をかけても反応が無く昏睡状態になっていました。
時々、右手を上げる動作を眠りながら繰り返していました。

病院からの連絡をもらい丸一日が過ぎようとする頃、母は、家族からの励ましの声を聞きながら
3回深呼吸をし、静かに息が止まり穏やかに旅立ちました。
弟は、小さな子どものように何回もお母さん、お母さんと呼びました。
やっと、母の腕から24時間の麻酔の注射針と器械が取れました。

看護師さんの配慮で明け方母の最後の入浴介助を一緒にすることができました。
母の入浴介助は4ヶ月ぶり。
まるでまだ眠っているような母。
そのときに私は、母のお尻に床擦れの処置をされて紙おしめに変わっていたことを始めて知りました。
おそらく母は、その事を私が知ると心配させる、あるいは
大好きなドライブに行けないかもと思い知らせずにいたのかもしれません。

母と一緒に朝を迎え、化粧嫌いな母でしたが最後なのでお化粧をしてあげました。
少し若返っていました。
遠方から母の弟妹の叔父や叔母と父の妹夫婦が葬儀に参列して下さいました。
頼れる両親がいなくなり、心細い思いでいたので本当に有り難く、母も喜んでいたと思います。
ありがとうございました。
叔父や叔母が来てくれて良かったねとこれまでは、直接、母と話せていたのに
もう話せないんだと母の死を実感しました。
母は、まだまだ生きれると思っていました。
新しい私達の事業所の手伝いを望み、おにぎり作りや黒枝豆のもぎ取りをする!!と言ってました。

成功祈願の折り鶴、1000羽に届かなかったけれど、つないで行こうと思います。
母に関わってくださった全ての方々に心から感謝します。
本当にありがとうございました。



バリアフリー  城崎マリンワールド

2019-08-14 17:02:19 | 障がい者、介護
今日は、久しぶりの母の外泊チャレンジです。
朝早くお忙しい中、点滴や外泊準備で看護師さん、スタッフの皆さん本当にありがとうございました。
遠出の行き先は、城崎マリンワールドと母と決めてました。
あじ釣りをして、そのあじを天ぷらにして食べようと母も楽しみに。



天気は、晴れ女の母らしくやはり晴れでした。
入場券売り場では、車椅子用のマップをくれました。
息子が幼稚園の頃にマリンワールドに来た事があり、
その頃の造りを基本に改装されていました。
3階に入り口があり、
1階から主なゾーンに行けるエレベーターが1台設置されています。
エレベーターは、1回に車椅子なら2台まで、ベビーカーも2台乗れるくらいの広さです。
今日は、お盆休みと台風上陸前とあって物凄く混雑していました。

あじ釣りは、残念ながらスロープがなく、車椅子で釣り堀に近づく事が出来ませんでした。
釣ったあじの天ぷらも40分待ちであまりの暑さで
楽しみにしていた母に申し訳なかったのですがあきらめもらいました。
イルカのライブは、スタッフが車椅子用の場所に案内してくださり
母もしっかりライブショーを楽しみました。日本海の海がバックにあり開放的でした。
ライブショーは、様々なイルカやあしか、セイウチさんなどとスタッフさんたちの演技がおもしろく良かったです。


所々、車椅子では、進めず引き返したり混雑で全部回り切れないところが少し残念。
トイレにユニバーサルシートは見当たらずでした。
混雑時期を避けるほうがいいように思えました。
身体障害者手帳で半額料金になりました。

あじの天ぷらの変わりに京丹後のミルク工房そらさんで
とっても美味しいソフトクリームを食べて帰りました。
お母さん、今日も一緒に行けて本当に良かった。ありがとう、お疲れさま。



千羽鶴

2019-08-13 20:52:34 | 障がい者、介護

昨日の夕方、母の病院の帰りがけドクターヘリが病院から飛び立つ光景を初めて見ました。
写真だと小さな虫さんが飛んでるようですね。
母の部屋は、ヘリポートの下の階でヘリの音はあまり感じませんでした。

母は、自称でべすけと言っていて、私達とのおでかけが命のモチベーションになっていますが、
もうひとつ母の命のモチベーションがあります。
母が西宮のデイサービスに通っていた頃、毎年そのデイサービスのスタッフさんが広島へ千羽鶴を届ける関係で
母は、千羽鶴番長と呼ばれる位、千羽鶴折りをしていたそうです。
母は、不器用な私と違い手先がとても器用で編み物、刺繍、レース編みなど手芸は、ほとんど上手に出来る人です。

母の緩和ケア病棟に入院が決まる前位から
母は、私達の事業所がオープンして成功するように願いを込めて千羽鶴を折り始めていたようです。
抗がん剤の副作用で両手の指がしびれて思うように力が入らず
鶴をひとつ折るのも大変そうでした。
事業所のオープンまで母が生きてくれているのか、千羽鶴の完成も間に合うのか
私も手伝うと言いましたが、意味が無くなると折らせてもらえずでした。
あんなに器用だったt母の折り鶴は、日を増すごとに乱れて小さな子どもさんが折ったような折り鶴になりました。
痛みをこらえての結果だと思います。
母が千羽鶴を折っている事を知る緩和ケアの看護師さん達が
お忙しい中、母の助けをして鶴を時々折ってくださっている事を以前から母から聞いていました。
毎回その事を聞きとても感謝しました。
麻酔の影響で進まなかった千羽鶴を毎日のように沢山の看護師さん達が
多くの患者さんのケアに追われる中、寄り添ってくださっています。
本当に本当にありがとうございます。
今、折り鶴は、752羽になりました。
完成してほしい思いと、完成したあとも生きてほしい。
明日は、久しぶりの外泊にチャレンジします。
母の楽しみの遠出にも思い切って連れて行きます。
台風の影響が少し心配です。


毎日、世話人さん?

2019-08-11 08:34:43 | 障がい者、介護


篠山の名産、ご近所さん黒豆がすくすくと成長しています。
毎日、暑い中草刈り、草抜きなど大変な作業を頑張られています。
台風の影響がないことを心から祈ります。

おとうととの生活も1週間過ぎました。
母の病院通いプラス大人4人の事をするのは、本当にハードでした。
座る時間もない。
ご飯作りやっと終わっても、お姉ちゃんご馳走さま!と早食いのおとうとがお皿を下げに来ます。
グループホームの世話人をしてきましたが、
職場では、いつも心優しい気遣いのあるスタッフさん達がフォローしてくれていたので
何とかやって来れましたが。
毎日、世話人さんやってるような気分です。

生活習慣が違っている中、たまに私の息子に愚痴を言っているようですが、
本当によく我慢してくれています。
一緒の生活を始めて3日間ほど、おとうとのすること全てが気になり
注意や注文を細かく筆談で伝える自分がまるでシンデレラに出てくる意地悪な継母のようで
正直悩み、精神的にしんどくなりました。
言われて私達の生活に合わせようと努力するおとうとは、
楽しみの大阪にも行けず、逃げ場もなく
もっとしんどくなっていたに違いないでしょう。
職場では、してはいけないとわかっていた利用者さんへの押し付けを
身内だからとついつい忘れてしていたと思います。
それに気がつき、おとうとに申し訳なかったです。

障がいのある人のご家族の大変さは、想像していましたが、
お気持ちは、同じ立場になり今回初めてわかりました。
むかし、障がいのある小さな子どもさんを道ずれに死のうとされたお話しを
アセスメントで聞いた事を思いだしました。
その方は、回りの力を借りてちゃんと前向きに進まれています。
私もおとうとのこれからを思うと正直途方にくれます。
もっと早めに両親がおとうとの障がいに気づき、将来の為の段取りをしていてくれたならと思う事も。
私が亡き後の事を遅い位ですが考えてしまいます。
進むしかないですね。

母の誕生日 バリアフリー三木フォースランド

2019-08-08 08:18:24 | 障がい者、介護

昨日の母の誕生日、三木市に外出で母を連れて行こうと届け出をしていた。
車に乗せる事が出来るか不安でした。
ヘルパーとしての介護技術が先週末は、パニックで完全に飛んでました。
母の誕生日、何がなんでも頑張って行く。
私一人で移乗出来ない時は、だんなさんと息子にお願いするように準備して。
麻酔の器械が増えているため慎重さも必要でした。
何とか母を一人で移乗させる事が出来ました。

三木市にある三木フォースランド手前にあるバイキングで
母は、食べたい物を一口ずつ選びました。店内は、空いていて広い空間でした。
100種類のメニューから食べれなくなった母は、
豆ご飯のおにぎり、卯の花、千切り大根、素麺、らっきょう、梅干し、沢庵、スイカ、水羊羹を選び
一口分位を喜んで食べました。水羊羹は、血糖値を気にして食べずでした。
息子のフライドポテト1本もらって食べてました。
料金に見会わない量ですが、私達が今出来るささやかな楽しみをプレゼントしました。
高齢者の方の料金割引ありました。

そのあと三木フォースランドへ。
ここは、入園料、駐車場無料でスロープもあり、
室内で競技大会がある時は、エレベーターで観覧席に行けるようです。
トイレには、残念ながらユニバーサルシートは、見当たらず。
馬の厩舎にも行けました。
真ん中の広場では、子どもさん達が乗馬体験されていて
母も夏らしくサングラスをつけたポニーのプリンちゃんと写真を撮りました。

平日なので軽食コーナーは、していないようでしたが
レストスペースがクーラーも入って利用出来ました。

帰りにひまわりの丘公園に寄り、母にひまわりを見せてあげました。
水曜日で農産品販売はお休みでした。

ひまわりは、母のような花です。
お母さん、誕生日おめでとう。
看護師さん達からもお祝いの言葉をもらえて、沢山の人に祝ってもらえた最高の誕生日になったね。