ストーリー:
ロサンゼルス。
ハイウェイで一件の自動車事故が起きた。日常的に起きる事故。
しかしその“衝突”の向こうには、誰もが抱える“感情”の爆発が待っていた。
ペルシャ人の雑貨店主人は護身用の銃を購入し、
アフリカ系黒人の若い2人は白人夫婦の車を強奪。
人種差別主義者の白人警官は、裕福な黒人夫婦の車を止めていた。
階層も人種も違う彼らがぶつかり合ったとき、悲しみと憎しみが生まれる。
その先に、あたたかい涙はあるのだろうか。
(goo映画より引用)
出演:
マット・ディロン、サンドラ・ブロック、ブレンダン・フレイザー、
ドン・チードル。テレンス・ハワード、サンディ・ニュートン
監督:
ポール・ハギス
映画は脚本で決まると自分は思っている。
どんな名監督でも、脚本が練られていないと、
印象的な映像を捉えたとしても、その瞬間しか心に残らない。
本当に人の心を掴みたいのならば、奥深いストーリーを作ること。
それが、映画としての完成度を高めると信じている。
で、この『クラッシュ』。脚本が見事である。
LAの2日間の出来事を描いた群像劇であるのだが、
映画の中で、喜びも悲しみも怒りも憎しみも全て曝け出し、
人間の本性をこれでもかと炙り出しているのが興味深い。
更に、印象的なエピソード、セリフ、画の作り方。
そして、音楽。どれもカッコいい。映画に惚れてしまった。
『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本でも知られるポール・ハギス。
今回は脚本のみならず、監督も兼任。この男、末恐ろしい才能の持ち主だ。
描きたいことはストレートだが、手法は捻りを利かせている。
前半は、LAに根付く人種差別の陰惨な光景が繰り返し描かれる。
白人検事夫妻は黒人の姿に怯え、それに怒り猛る黒人は車を盗まれる。
ペルシア人なのにイラク人と間違われ、テロリスト呼ばわりされてしまう。
鍵の修理工は、見かけだけでギャングと間違われて不快な思いをする。
黒人の夫婦の乗る車に職質を掛け、彼らに屈辱的な思いをさせる警官。
正直言って、肌の色や先入観で相手を罵る。その怖さが嫌らしい。
観ている側にも不快な気分にさせられるのだから、当事者はと思うと胸が詰まる。
がしかし、そんな彼らの本当の顔は人間味に溢れている。
車を盗む黒人は、根は素直で、できれば真面目に生きたいという雰囲気がある。
ペルシャ人も妻や娘を愛しているし、
鍵の修理工は「透明マント」の話で娘を抱きしめる。
(「透明マント」の話、とても微笑ましい逸話であります!!)
屈辱的な思いをさせた警官は、家では父親の介護をする姿はとても献身的だ。
ごくありふれた日常生活でも見受けられる姿で、
彼らの本当の人間性はそこにあるのだ。
冒頭のナレーションにもある通り、人は誰かに触れ合いたいのだ。
人間は1人では生きていけない。誰かに支えられながら日々を生きていくのだ。
それは家族でもあり、友人や恋人、職場の人々それは様々だ。
でも、肌の違いや主義主張の違い、
そして、先入観で触れ合いを遮断してしまう。
受け入れる気持ちはある、しかし、そうする一押しが足りない。
その一押しというのが、当事者自身の姿勢にあるように感じる。
歩み寄る姿勢を取る事が、先入観を打ち消すことができる。
結果が良いものであれ、悪いものであれ、一歩を踏み出すことが大切なのだ。
踏み出す相手というのが、捻りの利かせた映画たる所以で、
登場する連中が微妙に絡み合い、細かなエピソードとリンクしていく。
全体が繋がっていくことで、群像劇の面白さを十二分に伝えてくれている。
そこで思う。人間の姿は面白く滑稽なんだということを。
印象的なセリフだとか、偶然すぎる必然とか、出来すぎな気もする。
しかし、これは映画である。偶然から訪れる希望や触れ合いがあって然るべき。
ほんの小さな勇気。それがあれば、人種の壁もあっさり崩れるのかもしれない。
兎に角、希望という単純ではない何かが心を満たしてくれる。
ポール・ハギスの温かくも辛辣な描き方は、本当に見事であった。
ロサンゼルス。
ハイウェイで一件の自動車事故が起きた。日常的に起きる事故。
しかしその“衝突”の向こうには、誰もが抱える“感情”の爆発が待っていた。
ペルシャ人の雑貨店主人は護身用の銃を購入し、
アフリカ系黒人の若い2人は白人夫婦の車を強奪。
人種差別主義者の白人警官は、裕福な黒人夫婦の車を止めていた。
階層も人種も違う彼らがぶつかり合ったとき、悲しみと憎しみが生まれる。
その先に、あたたかい涙はあるのだろうか。
(goo映画より引用)
出演:
マット・ディロン、サンドラ・ブロック、ブレンダン・フレイザー、
ドン・チードル。テレンス・ハワード、サンディ・ニュートン
監督:
ポール・ハギス
映画は脚本で決まると自分は思っている。
どんな名監督でも、脚本が練られていないと、
印象的な映像を捉えたとしても、その瞬間しか心に残らない。
本当に人の心を掴みたいのならば、奥深いストーリーを作ること。
それが、映画としての完成度を高めると信じている。
で、この『クラッシュ』。脚本が見事である。
LAの2日間の出来事を描いた群像劇であるのだが、
映画の中で、喜びも悲しみも怒りも憎しみも全て曝け出し、
人間の本性をこれでもかと炙り出しているのが興味深い。
更に、印象的なエピソード、セリフ、画の作り方。
そして、音楽。どれもカッコいい。映画に惚れてしまった。
『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本でも知られるポール・ハギス。
今回は脚本のみならず、監督も兼任。この男、末恐ろしい才能の持ち主だ。
描きたいことはストレートだが、手法は捻りを利かせている。
前半は、LAに根付く人種差別の陰惨な光景が繰り返し描かれる。
白人検事夫妻は黒人の姿に怯え、それに怒り猛る黒人は車を盗まれる。
ペルシア人なのにイラク人と間違われ、テロリスト呼ばわりされてしまう。
鍵の修理工は、見かけだけでギャングと間違われて不快な思いをする。
黒人の夫婦の乗る車に職質を掛け、彼らに屈辱的な思いをさせる警官。
正直言って、肌の色や先入観で相手を罵る。その怖さが嫌らしい。
観ている側にも不快な気分にさせられるのだから、当事者はと思うと胸が詰まる。
がしかし、そんな彼らの本当の顔は人間味に溢れている。
車を盗む黒人は、根は素直で、できれば真面目に生きたいという雰囲気がある。
ペルシャ人も妻や娘を愛しているし、
鍵の修理工は「透明マント」の話で娘を抱きしめる。
(「透明マント」の話、とても微笑ましい逸話であります!!)
屈辱的な思いをさせた警官は、家では父親の介護をする姿はとても献身的だ。
ごくありふれた日常生活でも見受けられる姿で、
彼らの本当の人間性はそこにあるのだ。
冒頭のナレーションにもある通り、人は誰かに触れ合いたいのだ。
人間は1人では生きていけない。誰かに支えられながら日々を生きていくのだ。
それは家族でもあり、友人や恋人、職場の人々それは様々だ。
でも、肌の違いや主義主張の違い、
そして、先入観で触れ合いを遮断してしまう。
受け入れる気持ちはある、しかし、そうする一押しが足りない。
その一押しというのが、当事者自身の姿勢にあるように感じる。
歩み寄る姿勢を取る事が、先入観を打ち消すことができる。
結果が良いものであれ、悪いものであれ、一歩を踏み出すことが大切なのだ。
踏み出す相手というのが、捻りの利かせた映画たる所以で、
登場する連中が微妙に絡み合い、細かなエピソードとリンクしていく。
全体が繋がっていくことで、群像劇の面白さを十二分に伝えてくれている。
そこで思う。人間の姿は面白く滑稽なんだということを。
印象的なセリフだとか、偶然すぎる必然とか、出来すぎな気もする。
しかし、これは映画である。偶然から訪れる希望や触れ合いがあって然るべき。
ほんの小さな勇気。それがあれば、人種の壁もあっさり崩れるのかもしれない。
兎に角、希望という単純ではない何かが心を満たしてくれる。
ポール・ハギスの温かくも辛辣な描き方は、本当に見事であった。
この難しさを痛感する映画でしたね。
確かに出来すぎな感じもしましたけど、
それでも感動しました。
計算されつくした脚本は、
出来過ぎな気がしなくもないんですけど、
人種問題を的確に捉えた内容であることに違いないです。
そう考えますと、よく出来た作品でした。
アカデミー賞受賞も頷けるはずです。