泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

基本に還る

2021-05-31 21:24:50 | フォトエッセイ
 最近は哲学書を読み、詩集を読み、次の小説は書けずとも、詩を書き始めています。
 鉱物の本も読んだ。地球や気象のことも。
 これらって、自分の基本。
 自分は理系だと思い込み、大学の理学部地学系に入学した。
 地球の科学には今も関心がある。星も月もよく眺めているし、風や雲や太陽や土も、走るようになってより親しみが増している。
 鉱物は地球のかけらだと知って、より興味も湧いている。
 地震も津波も火山も地学のこと。
 何より地球が好きで。
 それでも、自分は文学部に行きたくて仕方なくなってしまった。
 大学3年で編入を受け入れてくれたのが文学部哲学科。
 哲学もまたあらゆる学問の基本。当時は、わからなさすぎて、中途編入ということもあり、劣等感と孤立と自意識過剰の塊。さらに栄養も運動も不足。
 心身を持ち崩し、心理療法やカウンセリングと出会った。そこにものめり込む。
 大学を出て、本屋で働き始めても、カウンセリングは続き、放送大学で学びもした。そこでコラージュと出会った。
 それでもまだ十分でないなか、東日本大震災。どんづまった私は走り始めた。
 走り続けてやっと、自分は十分に自分を生きている感覚をつかめた。
 心身が整った。準備ができた。そして改めて小説に取り組めた。
 初めて小説を書いた後、うつ病になっていくのですが、ずっと書いていたのは詩でした。
 自分を救おうとするかのように、湧いてくる言葉たちを書き留めていた。
 その詩が、また書きたくなってしょうがなくなった。
 近々お見せすることができると思います。
 ああ、詩があったんだよなという懐かしい感じ。
 一方で、小説を書き抜いたことで、確かに書く力量は上がったから、今の自分の力でまた詩を書いてみたいという気持ちもある。
 自分でも不思議な動きだけど、任せよう。
 詩と小説、私には両方必要なのかもしれません。
 思えば、私の好きな作家も、小説だけ書いていたわけじゃなかった。
 夏目漱石も漢詩と親しみ、芥川龍之介も俳句を。武者小路実篤は詩と絵を。ヘッセはもちろん詩人で、水彩画も。画家のシャガールも詩を残している。
 もちろん、宮沢賢治も。賢治は詩も書き、地学の先生でもありました。
 詩ってなんだろう?
 こころの鉱物なのかもしれませんね。
 こころのかけら。
 人間のかけら。
 今年も泥沼からきれいな花菖蒲が咲き始めました。

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