夕日をじっくりと見たのはいつ以来だろう?
記憶にないくらい。
仕事帰り、タイミングが合えば、駅のホームや電車の窓から夕焼け空を眺めることはあるけど、日が落ちていく様を見られることはない。
この写真を撮った日は、午前に用事があり、午後は前日の東京マラソンの録画を観戦していた。4時くらいに観戦も終わり、そういえば父が多摩湖からの夕日を見たいと言っていたことを思い出し、日の入りの時間を確認して走りに出た。
多摩湖に着いたときから、太陽の周りに輪っかがあった。
富士山もはっきり写っています(左手の小さな三角)。
光の輪っかはハロという現象で、日暈(ひがさ)や白虹(しろにじ)ともいい、太陽の周りに薄い雲がかかると見える珍しい現象。その後は天気が下り坂になるらしく、実際次の火曜日は朝から霙(みぞれ)が降り、一日曇って冬に戻ったような寒さでした。
で、夕日もいいなあとしみじみ。
今まで、朝日にばかり価値を置いていた気がする。
沖縄に行ったのは2009年の8月。泊まったホテルは東海岸にあり、ばっちり朝日が見えた。朝日が見たくてそのホテルにしたようなものだった。
あれからもう12年と半年が経った。
夕日は英語で「Sunset」。セットと書いて連想したのは、陸上のトラック競技。「セット」と声が掛かれば、選手たちは腰を浮かしてスタートの準備に入る。
いやもしかして「セット」には、もっとたくさん意味があるのかもと思って辞書を開けば、出てくるわ出てくるわ。
置く、据える、する、課する、つける、あてがう、調整する、合わせる、はめ込む、向ける、設定する、組む、卵を抱く、実をつける、植える、獲物の方を向く。まだまだ前置詞とセットになれば、書き留める(down)、旅を始める(forth)、促進する(forward)、出発する(off)、などなど。
夕日の美しさは、一日が無事に終わることへの安堵や感謝も起こす。会えない人たちへの思いも新たになる。何より、今、自分がここに生きてあることを、刻々と沈みゆく太陽を見守ることで実感もできる。
個人的な思いとしては、昨年の今頃、小説の原稿と格闘していた日々を思い出す。3月末で提出したからもう一年になろうとしている。
郵便局に出した日から、もう次の小説の準備は始まっていたのだと今は思う。
まだ、一行も書けていない。
そして、書き始めようとしている。
一年、かかった。
いや、実際はもっとかかっている。
言ってみれば、生まれたときから。
今だからこそ書けるものが確かにある。
自分自身が大きく、強くならなければ掬えない、書けない、届かない、つかみ取れないものたち。
そのときそのときで、全力を尽くして書きつないでいけばいい。
「物語」が必要なのだから。
物語は、受け入れられないものを受け入れ可能なものにしてくれる。
対話があれば、物語は自然に生まれ、人々は生きていける。
対話がなければ、対等な目線で語り合える人がいなければ、人は孤立し、暴挙へのカウントダウンが始まる。
自然との対話もまた、日本人は特に大切にしてきた文化だと思う。
夕日を眺めながら、今日一日を、これまでの人生を見つめ直す時間も、たまには必要なのでしょう。
いい写真はいい時間のことであり、自分と自然が一致した、しあわせな瞬間のことなのかもしれません。
しあわせな瞬間は、人々と分かち合うことができる。
一日が終われば、新しい一日が始まる。日は、また昇る。
しっかり準備はしてきた。いい時間を積み重ね、充電してきた。
小説を書く前に、もう一つ、読んでおきたい大きな作品があります。その世界をもまた十分に味わって、いよいよ。
桜とともに、になるのか。
桜も、散った瞬間から、もう次の開花の準備を始めている。
記憶にないくらい。
仕事帰り、タイミングが合えば、駅のホームや電車の窓から夕焼け空を眺めることはあるけど、日が落ちていく様を見られることはない。
この写真を撮った日は、午前に用事があり、午後は前日の東京マラソンの録画を観戦していた。4時くらいに観戦も終わり、そういえば父が多摩湖からの夕日を見たいと言っていたことを思い出し、日の入りの時間を確認して走りに出た。
多摩湖に着いたときから、太陽の周りに輪っかがあった。
富士山もはっきり写っています(左手の小さな三角)。
光の輪っかはハロという現象で、日暈(ひがさ)や白虹(しろにじ)ともいい、太陽の周りに薄い雲がかかると見える珍しい現象。その後は天気が下り坂になるらしく、実際次の火曜日は朝から霙(みぞれ)が降り、一日曇って冬に戻ったような寒さでした。
で、夕日もいいなあとしみじみ。
今まで、朝日にばかり価値を置いていた気がする。
沖縄に行ったのは2009年の8月。泊まったホテルは東海岸にあり、ばっちり朝日が見えた。朝日が見たくてそのホテルにしたようなものだった。
あれからもう12年と半年が経った。
夕日は英語で「Sunset」。セットと書いて連想したのは、陸上のトラック競技。「セット」と声が掛かれば、選手たちは腰を浮かしてスタートの準備に入る。
いやもしかして「セット」には、もっとたくさん意味があるのかもと思って辞書を開けば、出てくるわ出てくるわ。
置く、据える、する、課する、つける、あてがう、調整する、合わせる、はめ込む、向ける、設定する、組む、卵を抱く、実をつける、植える、獲物の方を向く。まだまだ前置詞とセットになれば、書き留める(down)、旅を始める(forth)、促進する(forward)、出発する(off)、などなど。
夕日の美しさは、一日が無事に終わることへの安堵や感謝も起こす。会えない人たちへの思いも新たになる。何より、今、自分がここに生きてあることを、刻々と沈みゆく太陽を見守ることで実感もできる。
個人的な思いとしては、昨年の今頃、小説の原稿と格闘していた日々を思い出す。3月末で提出したからもう一年になろうとしている。
郵便局に出した日から、もう次の小説の準備は始まっていたのだと今は思う。
まだ、一行も書けていない。
そして、書き始めようとしている。
一年、かかった。
いや、実際はもっとかかっている。
言ってみれば、生まれたときから。
今だからこそ書けるものが確かにある。
自分自身が大きく、強くならなければ掬えない、書けない、届かない、つかみ取れないものたち。
そのときそのときで、全力を尽くして書きつないでいけばいい。
「物語」が必要なのだから。
物語は、受け入れられないものを受け入れ可能なものにしてくれる。
対話があれば、物語は自然に生まれ、人々は生きていける。
対話がなければ、対等な目線で語り合える人がいなければ、人は孤立し、暴挙へのカウントダウンが始まる。
自然との対話もまた、日本人は特に大切にしてきた文化だと思う。
夕日を眺めながら、今日一日を、これまでの人生を見つめ直す時間も、たまには必要なのでしょう。
いい写真はいい時間のことであり、自分と自然が一致した、しあわせな瞬間のことなのかもしれません。
しあわせな瞬間は、人々と分かち合うことができる。
一日が終われば、新しい一日が始まる。日は、また昇る。
しっかり準備はしてきた。いい時間を積み重ね、充電してきた。
小説を書く前に、もう一つ、読んでおきたい大きな作品があります。その世界をもまた十分に味わって、いよいよ。
桜とともに、になるのか。
桜も、散った瞬間から、もう次の開花の準備を始めている。
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