泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

走って10年、そして。

2021-10-18 20:03:49 | フォトエッセイ
 そういえば、走り始めてから10年経ちました。今日、走っていて急に思い出した。
 2011年の夏、でした。どんな靴はいて、どんな格好で走ったのかも覚えてないけど、自分ががむしゃらになって汗だくになるのが心地よかったことは覚えています。
 あれから10年。いろんな大会にも出て、フルマラソンまで出て、たくさんの完走証や記念品を獲得してきた。
 それで思った。自分が一番大事にしてきたのは、走ることによって、自分にとっての無駄を削ぎ落として、自分の中にある物語をより鮮明につかむことだと。
 だから走ることは、文体を作ることでもありました。
 自分は感受性が強いから、影響を受けやすい。そんな自分が、自分の芯を見つけ、強くなるために必須な運動がランニングでした。
 今日もいつもの多摩湖へ。陽を浴びながら湖畔でキラキラ揺れるススキがきれいだった。きれい、美しい、と自分が感じるものをカメラに収め、触発されて文をつづる。これもまた、自分を育てることだったのかもしれない。
 そして、今、温めている物語。それは確かに自分の中にあって、育てられるのを待っている。
 十分に言葉なしで体験した上で、できる限りの鮮度を保ったまま言葉で描写していく。みなさまにもおいしく届けられるように。
 10年、始めはがむしゃらに、ときに厳しく、いつも楽しく、走ってきた。
 書店員は20年。自分でシャツにアイロンをかけながら、今日はその白いシャツを着て働いてきた自分の背中が見えた。シャツの背中を、熱いアイロンでシワを伸ばしながら、自分が自分の背中をそっと支える感覚。
 通勤時には必ず何かを読み、そして日々書いてきた。
 よく生きてきた。
 よく頑張ってきた。
 物語というのは、そんな自分に与えられたプレゼントなのかもしれない。
 今日、青空の中、走っていてそう思った。
 ありがとう。
 今度こそ、ちゃんと取り出して、届けるから。
 失敗しても、何度でも与えてくれる。
 人生は、自分が考えているよりも、もっと大きくて、広かった。
 生きていて、よかった。

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