閉店した他店の在庫が回ってきて、段ボールの中から出てきた一冊。
この一冊は、大学時代のことを思い出させました。
もう16年も前のこと。見知らぬ女性からクリスマスカードが届きました。
その後たしか文通して、一度お会いしましょうということになって、宮城県立美術館のカフェでお話しした。
その人は、私が出した詩集を買って、在学中だと知り、教務に問い合わせて私の住所を知ったそうです。
専攻はドイツ文学で、ヘルダーリンが好きだと言っていたのでした。
一度読んだだけだと、神の世界の賞賛ばかり目に付くのですが、読み返すとそんな天上世界の反対もまた見えてきました。
仏教でいえば極楽浄土への憧れ。それは、血みどろの死闘を嫌というほど味わったからこそ出てくる。そんな感覚に近いかもしれません。
1770年生まれの人。同期にヘーゲルがいたといってもぴんと来ないかもしれません。ベートーヴェンも1770年生まれと言われています。
いかにもヨーロッパの宗教画を思わせる作風。恍惚感や高揚を思わせます。
が、一方で人は弱く、小さく、有限で、むごたらしく死んでいくという現実がある。
この対比がすさまじい。
おそらく彼自身も耐えられなくなったのかもしれません。
晩年は、一読者の庇護のもと、精神科医療からも見放されて幽閉生活を送ったそうです。
当時暮らした場所は、今でもヘルダーリンの搭と呼ばれてあるようです。
ウィキペディアでは統合失調症とされています。
高村光太郎の奥様、智恵子やゴッホを連想させます。
ともかく一つ、引用しましょう。
夕べの幻想
わが家の前の物影に控えて おだやかに
農夫は座る 分を知る者のかまどに煙は立つ。
親しげに 旅人の耳にひびく
平和な村の 教会の夕べの鐘は。
今 舟人も港へ帰る
遠い街では 市の陽気なざわめきが
鎮まっていく 静かな園亭では
打ちとけた食事の席が 友らを照らす。
私はどこへ行くのか? 人間は働き
報酬を得て生きる。労苦と休息が入れ代わり
誰もが満足している。なぜ私にばかり
胸にささった棘が眠らない?
夕空に春は花ひらき
数限りなくバラは咲き おだやかに
金色の世界は光を放つ。おお私を引きさらえ
深紅の雲よ! その高みに消えよかし
光と風に包まれて わが愛もわが悩みも!
しかし愚かな願いに追いやられ
魔法は逃げ去る 闇は深まり
大空の下 私はいつものように ひとり立つ。
いざ来たれ 甘い眠りよ! 心は多くを
望みすぎる。しかしいつかは燃えつきる
休みなく夢想にふける若さとて。
やがて来る老いは 平和で晴れやかだ。 (33頁-35頁)
比較的わかる詩かもしれません。
自分は漂泊の詩人で、寄る辺を持たない。自分にだけ棘が刺さったままで、その痛みは消えない。
なんか、引きこもっている人の心情というか。
今でも心打たれる人たちがいるのがわかります。
救いは、ヘルダーリンが73歳まで生きたということ。
友を大事にできる人だったからこそ、友に大事にされ続けたのでしょう。
一度読むと忘れられません。ヘルダーリンを比べることはできないのです。
住んだ世界は狭かったかもしれません。
でも、個人の内面の充実、想像の翼は、どこまでも高く、広く飛んだ。
ヘルダーリン著/川村二郎訳/岩波文庫/2002
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