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今日のコラム

2014-03-31 06:25:03 | 日記
☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

3月31日松下幸之助 一日一話(松下幸之助.COM)

道は無限にある

 お互い人間というものは、常にみずから新しいものをよび起こしつつ、なすべきことをなしてゆくという態度を忘れてはならないと思います。お互いが、日々の生活、仕事の上において、そういう心構えを持ち続けている限り、一年前と今日の姿にはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょうし、また一年先、五年先にはさらに新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、個人にしろ事業にしろ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。

 大切なことは、そういうことを強く感じて、熱意をもって事に当たるという姿勢だと思います。そうすればまさに“道は無限にある”という感じがします。


【コラム】筆洗

2014年3月30日 東京新聞TOKYOWeb

▼日本には連合国軍総司令官のマッカーサー元帥の名を持った道路が、過去を含め複数存在する。その一つ、東京都心と臨海部をつなぐ、環状2号の新橋-虎ノ門間が二十九日開通した

▼戦後復興のため一九四六(昭和二十一)年に都市計画決定され、六十八年かかったというから長い長い「一・四キロ」である

▼マッカーサーが建設を指示したことから、その名がついたという説はあまり当てにならない。起居した在日米国大使館が虎ノ門にあったためという説の方が有力だろう。ひょっとしたら建設を急ぐため、誰かが「権力者」の名を勝手に持ち出したのかもしれぬ。用地買収が難しかった事情を思えば、そんな空想もできる

▼もう一つ。広島市中区紙屋町。広島城への道を「マッカーサー道路」とかつて呼んだ。原爆の爆心地に近い。<広島の中心、ここ紙屋町広場の一隅に かたづけ残されころがった 君よ>。詩人、峠三吉の「その日はいつか」にある

▼<此(こ)のなつかしい広島の、広場につづく道がやがてひろげられ マッカーサー道路と名づけられ…>。その名への怒りである。五五年、広島市は鯉城(りじょう)通りと改称している

▼新橋-虎ノ門の方の愛称は「新虎通り」というが、マッカーサーの名を残す手もあるだろう。戦争。敗戦。占領。日本に何があったか。心をギクリとさせる道の名は過去を思い、伝える道具になる。

☆ 今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆

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