かつて銀昆で…

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休日の過ごし方

2024-03-08 22:26:28 | 日常の素描

 

休みの日の過ごし方。

請求書を作成して郵送する。溜まった書類を処分する。コンビニでプリントアウトする。レターパックで原稿を送る。書店で本を買う。新刊書が多くて迷いながら選ぶ。文芸書と評論類の割合は3:7。ほんと小説を読まなくなった。家電店で乾電池を買う。単三単四リチウム電池などなど。

そして、よく行く珈琲店で濃いめの一杯を。カップの下に鳳凰がいた。
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今日は風が冷たく寒い。すれ違う人々はみなコートの前をきちんと閉じている。もう風呂屋が開いている時刻なので銭湯へ。この近在では天神橋筋商店街にある。幼い頃の湯は豊桜湯というところだった。その頃はまだシャワーなどなく、湯客は押し栓の蛇口からの湯と水で適温にしたり、直接湯舟から盥で湯を掬い取っていた。
 
関西の風呂屋は、湯舟の周辺に座るところがあって、そこで体や髪を洗う人もいた。幼い自分もそうしていたと思う。木製の椅子に座ることもなかった。カランからの湯と水は子供には使えない感じだった。
 
石垣りんさんの随筆にこういう話があった。
 
ある夜、風呂屋に行くと、となりの女に「襟首を剃ってほしい」と頼まれる。カミソリを使ったことがないので断るが、「大丈夫、あてるだけで剃れます」と言われ、石垣さんは剃ってやる。剃られながら女は、「明日、花嫁になる」と言ったそうだ。驚きながらも石垣さんは、街に親族も知り合いもいない働く女だと考える。神奈川県の農家に嫁に行くと。嫁入り前の不安を語る知り合いもいない。美容院へも行かないと石垣さんは想像する。見も知らぬ人に襟首を剃ってもらう。彼女はいろいろ苦労して来たこと、30になって結婚することなどを話したとか。かなり昔の話で、石垣さんは彼女の行く末をふと気にしている。
 
もう一度、ちゃんとこの随筆を読まなければ。

「森ノ宮には何があった?」

2024-03-08 14:59:32 | お勉強
 

3月2日の土曜日、大阪歴史博物館で「森ノ宮には何があった?」という講演会があり、近所の者としては気になるので、予約申し込みをして参加してきた。博物館の四階の講堂には多くの人々が詰めかけていて満席状態であった。費用は2000円ながら、これだけ多くの人が参加したのかとちょっと驚いた。後ろの方の席に座ったのだが、見渡すと見事に白髪と禿げ頭の高齢者ばかり。夫婦連れもいたが、単独老人が圧倒的に多い。おれもその一員であろう。

 
正式には「博学連携講演会」と銘打たれていて、大阪公立大学、大阪市博物館機構、大阪市文化財協会の博物連携事業の一環である。「森ノ宮には何があった?—大阪の「ヒガシ」の歴史をさぐる―」8人の先生方が登場して持ち時間40分程度の講演をするのである。なかなかの迫力である。
 
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★大阪平野地下の地層構成と上町台地 
  大阪公立大学・大学院理学研究科教授 都市科学・防災研究センター 三田村宗樹氏
★自然と共生した縄文・弥生時代の森の宮遺跡の人々
  大阪市文化財協会学芸員 大庭重信氏
★難波宮を東に降るー上町台地東辺の歴史的環境ー
  大阪歴史博物館学芸員 李陽浩氏
★戦国時代の森村と木村(このむら)
  大阪公立大学大学院文学研究科教授 仁木宏氏
★大坂城惣構東南部の姿
  元大阪城天守閣館長 松尾信裕氏
★絵図・絵画にみる江戸時代の森ノ宮-武家の地と都市民の行楽地ー
  大阪歴史博物館館長 大澤研一氏
★砲兵工廠の建設と生産
  武庫川女子大学名誉教授 三宅宏司氏
★国鉄・地下鉄森ノ宮駅の開業と周辺開発
  大阪公立大学都市科学・防災研究センター特任講師 櫻田和也氏
 
というラインナップなのだが、昼休憩(おれは自宅まで食べに帰った)を挟んで、午前10時から午後5時前までの、まさに連続する講演会なのであった。
 
いやはや勉強になりました。古代から中世、近世、近現代まで時間にして約2500~5000年くらいの流れのなか、森ノ宮はどう変化してきたのかを地学、歴史学、文化史、都市論などから見る。とりわけ興味深かったのは、仁木教授の「戦国時代の森村と木村」で、天王寺領木村住人七郎男らが、港の利用料・通行料を兵庫津で取ると大山崎神人に言い、荏胡麻を押し取ってしまうという話がある。何の話かわからないだろう。京都府乙訓の大山崎の者は、対岸にある石清水八幡宮に仕える神人の住まい地で、そこで「荏胡麻油」の独占販売権を持っていた。荏胡麻油は照明用の油である。独占販売をしていることを知った天王寺領木村住人七郎男らが、兵庫津あたりを通行しようとした大山崎神人にイヤガラセをしたという記録があるのだ。木村は、このむらと読み、天王寺界隈にあった地名だとか。
 
そして、森村とは森ノ宮の西側一帯で、大坂寺内、大坂城から出て暗峠越え奈良街道に至る道に接するあたり。天王寺の木村(このむら)から北上し、上町台地東縁辺部を北上する道に接する?ということらしいのだが、ここに荘園があったのかもしれない。志宜庄という地名があり、これは「鴫」で、現在の鴫野のあたりになるのか。ここは荘園で、京都の相国寺鹿苑院の荘園だったといわれている。
 
これらは戦国時代の話である。
 
また、砲兵工廠の建設と生産の話も面白かった。武庫川女子大学名誉教授である三宅宏司氏の話のなかで、アメリカの空爆した際、終戦近くの時期は高度を下げて爆撃をしていて、目標を外すことはなかったのに、京橋駅を爆撃し多くの被害者を出した。終戦の前日、8月14日のことである。1万メートル上空から一屯爆弾を投下していたのなら外れるだろうが、終戦前のこの時期は、戦闘機のパイロットと目が合うくらい低空飛行で、大阪砲兵工廠を狙い撃つことは問題ないのだが、あえて人が大勢行き交う国鉄片町線京橋駅の建物に爆弾を投下した。また、三宅先生は大阪城公園内に残るレンガ造りの建物、「化学分析場」と「守衛室」「水門」などは是非とも残すべきだと力説された。特に「守衛室」は全国的にみても、最も古いレンガ造建築物だそうだ。
 
テキストを読み返しながら、再学に勤しもう。

文庫本を買う

2024-03-08 09:45:11 | 日記

 

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石垣りんさんの随筆「花嫁」のことをかつて書いた。
うろ覚えだったので、ちゃんと読みたいな、と思った。
『朝のあかり』という文庫新刊になっていた。
 
文庫本の棚をまわっていると、先ごろ亡くなった山田太一さんの随筆を見つけた。
氏の本は割とよく読んでいる。
戦前生まれの矜持とストイックさ、独特のダンディズムも感じる作家。
寺山修司と同級生だった。
青森生まれの才気溢れる少年と、浅草生まれの都会っ子の文学青年の交歓。
そこが気になるのだった。
 
さらに、マンディアルグの文庫本。
『オートバイ』は若い頃に読んだな。
悦楽の小説。
しかし、ミシェル・フーコーの講義でこう聞いた。
1960年代後半の学生運動の頃、性の改革を進めることが運動の主体となったが、
フランスの若者はセックスに熱心ではなく、
ドイツの若者は真面目にせっせと性に向かったとか。
日本では四畳半の部屋と風呂屋の石鹸箱の音か。
なんだか物悲しいな。
ま、そういうことはね。