東日本大震災から4年目の日
犠牲になられた方たちに心から祈りを捧げる
今日は遠戚の方の告別式がありご冥福をお祈りしてきた
母の月命日でもあり母のためにも祈る
吹雪模様の荒れた日だったが 沢山祈り
少しでも明るい未来をと願う
氷瀑祭りの夜 月がのぼってきた
月にも幸せを祈った
東日本大震災から4年目の日
犠牲になられた方たちに心から祈りを捧げる
今日は遠戚の方の告別式がありご冥福をお祈りしてきた
母の月命日でもあり母のためにも祈る
吹雪模様の荒れた日だったが 沢山祈り
少しでも明るい未来をと願う
氷瀑祭りの夜 月がのぼってきた
月にも幸せを祈った
2日程温泉に出かけてきた
氷瀑祭りをしておりホテルからも近いので行ってみる
日曜の夜で観光客で賑わっていた
多くは台湾・中国かららしく
氷に触ったり珍しそうにはしゃいでいた
ホテルも満室活気がある
温泉の効果はなかったが
2日のんびりゆったり休息してきた
“マッサン”で一馬が出征した昭和18年(1943年)頃
札幌に住んでおり私は国民学校5年生だった
師範学校に通う従兄が軍の幹部候補生の試験を受け合格し
繰り上げ卒業して入った
憧れの士官学校に入りたくて 泳ぎを練習したり 視力が足りないので
視力表を暗記したりと努力をしていた
銭函の海に海水浴に連れて行ってもらったことがあるが
今思うと 泳げるようになるための特訓だったのだろう
あの時の従兄の嬉しそうな顔が浮かぶ
御国のために奉公するのが当たり前
喜んで進んで行った
その頃の札幌駅 現在開拓の村に復元されている
国鉄マンでだった父の職場はその中にあった
従兄は昭和20年5月特攻隊で戦死した
朝ドラ“マッサン” 今日は一馬の出征場面だったが
最近は抵抗を感じながら見ている
戦時中を知る者として 嘘というかあの頃の人たちは
反戦を人前で決して口に出してはいけなかったし いなかった
又 女性がエマのようにはっきりものが言える時代でなかったし
それよりも お国のために戦い 絶対勝つ戦争だと信じ込まされていた
男性は皆丸刈りの頭 熊虎のように和服を着ている人もいなかった
若い男性はほとんどが一馬のように出征して行き
出征の時は軍歌で見送った
敵国の音楽は禁止されていたが
どういうわけか“蛍の光”だけは卒業式に歌われていた?
国民は勝つと信じ込まされていた(洗脳されていたのだと思っている)
作る側も演じる人たちも戦争を知らない世代になり
観る人も知らない
今日は忙しい日だった
午前はパソコン教室で楽しく遊び
午後は内科受診と 鍼治療
帰宅は4時半を過ぎていた
鍼治療院の先生はこわそうな顔をしているが 親切でユーモアがあり優しい
啓蟄の今日が誕生日とのこと
治療の後は体が温かくなり痛みも少し楽になる
しばらく通院しお世話になろう
今日の詩吟の稽古
8名のうち 独身貴族が6名 皆さん活気に満ちていた
Sさん “金洲城下作” 大分上達した
SAさん 若々しい元気な声で“千島慕情”を吟じる
女性陣も負けてはいない “桜川” “景清の心” など・・・
あっという間の2時間だった
明日は啓蟄 私も冬眠から覚めなければ・・・・
Hさまからいただいたフクジュソウの写真
無くした鍵に着けていたキーホルダー
10年場も前にイタリアのお土産に頂いたものだった
細い皮をマクラメ織のように編んであり カラフルな色をしていた
柔らかな手触りも良くずっと愛用していた
同じようなのが欲しくて ネットで色々探したが見つからない
雰囲気も形も違うが求め今朝届いた
夫に鍵をつけて貰ったが 前の方が良かった
無くしたキーホルダーに未練が残る
2度と鍵を無くさないように気をつけなければ・・・・
毎年ウキウキする雛祭りだが
今年は何もする気にならずご馳走も作らずじまい
画像のお雛さまを飾ただけ
今日は病院受診だった
症状が改善しないので とうとうステロイドが処方になる
Mさまからひな祭りのお菓子をいただく
きれいな美味しそうなお菓子
おやつの時間が楽しみです
今日はタブレットパソコン持参の方が3名
新しいものに挑戦する人が多くなり
私も興味が出てきました