“マッサン”で一馬が出征した昭和18年(1943年)頃
札幌に住んでおり私は国民学校5年生だった
師範学校に通う従兄が軍の幹部候補生の試験を受け合格し
繰り上げ卒業して入った
憧れの士官学校に入りたくて 泳ぎを練習したり 視力が足りないので
視力表を暗記したりと努力をしていた
銭函の海に海水浴に連れて行ってもらったことがあるが
今思うと 泳げるようになるための特訓だったのだろう
あの時の従兄の嬉しそうな顔が浮かぶ
御国のために奉公するのが当たり前
喜んで進んで行った
その頃の札幌駅 現在開拓の村に復元されている
国鉄マンでだった父の職場はその中にあった
従兄は昭和20年5月特攻隊で戦死した
従兄さんの事、以前に少しお聞きしましたが胸が詰まります。
旧札幌停車場は開拓の村で見ましたが、懐かしいです。
あの頃は国民のほとんどの心が麻痺していたのでしょうね。
悲しいことを悲しむことが出来ない時代でした。