こんにちは!
お陰様で、ブログのアクセス数がすごいです。
最近本格始動したばかりで、何の宣伝もしてないこのブログを、
偶然の出会いで、これだけ多くの人にご覧頂けてるというのは、
本当にすごい事だと思います。
というより、偶然ということはなくて、必然の出会いであると言える気がして、仕方ありません。
改めて、ご覧頂けた皆さんに、感謝します。
どうもありがとう。
私に出会って、言葉を拾ってくれて、どうもありがとう。
さて、そんな「偶然、もしくは必然の出会い」で、ごく最近私が出会ったものについて、書きたいと思います。
実は私いま、お腹壊してるんです。
この痛み・症状。。。
そう。初めて経験したのは、タイで生活を始めて間も無くの頃、
激痛で救急窓口に運ばれ、2・3日入院した。。。
その後慣らされる事数回、タイで自然療法や食について学んだり、体そのものが健康になったから、
というのもありますが、今では薬無しの自力で回復できるようになりました。
なので、痛みや症状で、これが「ウィルス性胃腸炎なんだ」ってのは、わかる。
そんなわけで今日は、自力お手当てでベッドに横になりつつ、執筆中。
で、何が「偶然、もしくは必然の出会い」なのかというと、
他ならぬ、このウィルスさん達との出会い。
初めの頃、「人間に寄生したって、どうせ人間に勝てるはずもなく、滅んでいくだけなのに・・・
私達を多少苦しめることはできたとしても、この方々の存在意義がわからない」
なんて、いかにも人間中心なことを考えていたんですが。
今回お腹を壊したことで、少なくとも、自分には意味があるのかも知れない!
って思ったんです。
さっき、サイトすらあまり開けることのない、自分のmixiの過去ログを見てたんです。
前回のウィルス性胃腸炎は、3月上旬・・・(すごく最近だっ)
ちなみに日本では、初めて・・・
で、そこで書いてた内容が、
「ウィルス性胃腸炎のお陰で、身体の中がクリアになったせいか、将来の展望もクリアになった」
という話。
おぉっ。
なんとそれは、今の私と同じような心境ではないか!!
正確に言うと、まだ回復途中なので、そこまでのクリア感は、今まだ無いんです。
でも、昨夜お腹の痛みと熱に耐え、なんとなく朦朧とする中で、
「あ、私今、生みの苦しみっていう感じ・・・
きっとこれを抜けたら、自分が再生して、以前よりもっと素になって、もっといろんなことと繋がって、
もっといろんなことが、わかるようになる気がする」
って、すっごく感じたんです。
最近、これもある出会いから気になってた、『因幡(稲羽)の白兎』の話。
悪いことをした結果、毛を失い、醜く哀れな姿になってしまったウサギが、
大国様(後の大黒様)との出会いと助言によって、素の姿を取り戻し、
「これからは良い行いをします」と言って、改心した話。
実はこのウサギは、ウサギの神様で、大国様へのお礼に、
当時兄達との争い事に巻き込まれていた大国様に対して、
「この国を治めることになるのはあなたでしょう」という預言をしたそうです。
ウサギ科の日本女子と言われる私にとっては、
このウサギの神様の話は、とっても心に残るものがあり。
毛を失って素の姿に戻ったウサギの神様のように、
1つ殻を脱ぐことで、またもう1つ素になった、自分に出会えるような気がしてるんですね。
おこがましいっちゃぁ、おこがましい話なんですけど。
で、最近「緊張」「恥ずかしさ」といった殻を脱ぎつつある私としては。
このウィルスさんによる荒療治を機に、
1つまた開けそうな予感がしてるんです。
しかもなぜか、そういうときは、ウィルスさんだけじゃなくて、
良い知らせが一緒に届いていることが多い。特に友人のおめでた関係。
で、もちろん前回3月も、そうだったんですねー。
どうやら私にとっては、
『ウィルス性胃腸炎+良い知らせ ⇒ 身体クリア・デトックス+吉報(吉方)
⇒ 再生、もう1つ抜ける、開ける、素の自分へ前進』
という図式が成り立つようで、
そういう意味ではウィルスさんたちは、メッセンジャーであり、お手伝いをしてくれてるみたい。
やっぱりどんなものにでも、出会いの意味ってあるもんだと思います。
きっとその解釈に正解・不正解も無くて、
「自分がそれを見出そうとしてるか・受け取っているか・気づいているか」
「自分にとっての正解は、自分がどう感じたか・解釈したか」なのかな、と。
最近読んだ本の中で、宮崎駿アニメの音楽で有名な久石護さんが、
「恥ずかしい、というのは、人目を気にすることからくる利己的な感情で、
それによって自分を制限していては、本当に人のためになる音楽、人を感動させる表現はできない」
と言ってました。(一部私の解釈による表現の違いアリ)
「恥ずかしさが利己的なもの」という点について、私も最近かなり考えていたことだったので、
うんうん、やっぱりそうだよね。と思いました。
なので、あらためて、そこの殻を脱いで、
偶然の出会いの中で、このブログや言葉を拾ってくださる皆さんのために、
私も表現していきたい、と思いました。
やっと「表現していくこと」の、スタート地点に立てたかな。
本当に長文になりましたが、
これからも長いお付き合いをしていただけたら、とってもうれしいです。
気が向いたとき、ふらぁ~っと、立ち寄りに来てください。
そのときは、心を入れ替えた後の、ウサギの神様のように、
あなたに素敵な預言(予言じゃないですよ♪)をお届けする、とお約束します。
どんな出会いも、必然で、意味があるから。
今回も、出会ってくれて、
ここまで読んで、言の葉達を拾ってくれて、
どうもありがとう。
あなたの存在に、支えられています。
あなたの存在に、心から感謝します。
どうもありがとう。
お陰様で、ブログのアクセス数がすごいです。
最近本格始動したばかりで、何の宣伝もしてないこのブログを、
偶然の出会いで、これだけ多くの人にご覧頂けてるというのは、
本当にすごい事だと思います。
というより、偶然ということはなくて、必然の出会いであると言える気がして、仕方ありません。
改めて、ご覧頂けた皆さんに、感謝します。
どうもありがとう。
私に出会って、言葉を拾ってくれて、どうもありがとう。
さて、そんな「偶然、もしくは必然の出会い」で、ごく最近私が出会ったものについて、書きたいと思います。
実は私いま、お腹壊してるんです。
この痛み・症状。。。
そう。初めて経験したのは、タイで生活を始めて間も無くの頃、
激痛で救急窓口に運ばれ、2・3日入院した。。。
その後慣らされる事数回、タイで自然療法や食について学んだり、体そのものが健康になったから、
というのもありますが、今では薬無しの自力で回復できるようになりました。
なので、痛みや症状で、これが「ウィルス性胃腸炎なんだ」ってのは、わかる。
そんなわけで今日は、自力お手当てでベッドに横になりつつ、執筆中。
で、何が「偶然、もしくは必然の出会い」なのかというと、
他ならぬ、このウィルスさん達との出会い。
初めの頃、「人間に寄生したって、どうせ人間に勝てるはずもなく、滅んでいくだけなのに・・・
私達を多少苦しめることはできたとしても、この方々の存在意義がわからない」
なんて、いかにも人間中心なことを考えていたんですが。
今回お腹を壊したことで、少なくとも、自分には意味があるのかも知れない!
って思ったんです。
さっき、サイトすらあまり開けることのない、自分のmixiの過去ログを見てたんです。
前回のウィルス性胃腸炎は、3月上旬・・・(すごく最近だっ)
ちなみに日本では、初めて・・・
で、そこで書いてた内容が、
「ウィルス性胃腸炎のお陰で、身体の中がクリアになったせいか、将来の展望もクリアになった」
という話。
おぉっ。
なんとそれは、今の私と同じような心境ではないか!!
正確に言うと、まだ回復途中なので、そこまでのクリア感は、今まだ無いんです。
でも、昨夜お腹の痛みと熱に耐え、なんとなく朦朧とする中で、
「あ、私今、生みの苦しみっていう感じ・・・
きっとこれを抜けたら、自分が再生して、以前よりもっと素になって、もっといろんなことと繋がって、
もっといろんなことが、わかるようになる気がする」
って、すっごく感じたんです。
最近、これもある出会いから気になってた、『因幡(稲羽)の白兎』の話。
悪いことをした結果、毛を失い、醜く哀れな姿になってしまったウサギが、
大国様(後の大黒様)との出会いと助言によって、素の姿を取り戻し、
「これからは良い行いをします」と言って、改心した話。
実はこのウサギは、ウサギの神様で、大国様へのお礼に、
当時兄達との争い事に巻き込まれていた大国様に対して、
「この国を治めることになるのはあなたでしょう」という預言をしたそうです。
ウサギ科の日本女子と言われる私にとっては、
このウサギの神様の話は、とっても心に残るものがあり。
毛を失って素の姿に戻ったウサギの神様のように、
1つ殻を脱ぐことで、またもう1つ素になった、自分に出会えるような気がしてるんですね。
おこがましいっちゃぁ、おこがましい話なんですけど。
で、最近「緊張」「恥ずかしさ」といった殻を脱ぎつつある私としては。
このウィルスさんによる荒療治を機に、
1つまた開けそうな予感がしてるんです。
しかもなぜか、そういうときは、ウィルスさんだけじゃなくて、
良い知らせが一緒に届いていることが多い。特に友人のおめでた関係。
で、もちろん前回3月も、そうだったんですねー。
どうやら私にとっては、
『ウィルス性胃腸炎+良い知らせ ⇒ 身体クリア・デトックス+吉報(吉方)
⇒ 再生、もう1つ抜ける、開ける、素の自分へ前進』
という図式が成り立つようで、
そういう意味ではウィルスさんたちは、メッセンジャーであり、お手伝いをしてくれてるみたい。
やっぱりどんなものにでも、出会いの意味ってあるもんだと思います。
きっとその解釈に正解・不正解も無くて、
「自分がそれを見出そうとしてるか・受け取っているか・気づいているか」
「自分にとっての正解は、自分がどう感じたか・解釈したか」なのかな、と。
最近読んだ本の中で、宮崎駿アニメの音楽で有名な久石護さんが、
「恥ずかしい、というのは、人目を気にすることからくる利己的な感情で、
それによって自分を制限していては、本当に人のためになる音楽、人を感動させる表現はできない」
と言ってました。(一部私の解釈による表現の違いアリ)
「恥ずかしさが利己的なもの」という点について、私も最近かなり考えていたことだったので、
うんうん、やっぱりそうだよね。と思いました。
なので、あらためて、そこの殻を脱いで、
偶然の出会いの中で、このブログや言葉を拾ってくださる皆さんのために、
私も表現していきたい、と思いました。
やっと「表現していくこと」の、スタート地点に立てたかな。
本当に長文になりましたが、
これからも長いお付き合いをしていただけたら、とってもうれしいです。
気が向いたとき、ふらぁ~っと、立ち寄りに来てください。
そのときは、心を入れ替えた後の、ウサギの神様のように、
あなたに素敵な預言(予言じゃないですよ♪)をお届けする、とお約束します。
どんな出会いも、必然で、意味があるから。
今回も、出会ってくれて、
ここまで読んで、言の葉達を拾ってくれて、
どうもありがとう。
あなたの存在に、支えられています。
あなたの存在に、心から感謝します。
どうもありがとう。