序章 「昭和三十年村」という夢
■不思議な人物
最初にその人物と対面したのは、東京・五反田の、あるビルの一室だった。中年になった「のび太くん」のような顔のその人物は、しかし、実直そうな顔とは裏腹に、いきなり何度もこちらの度肝を抜いてくれたのだった。
まず、差し出された名刺だ。やけに分厚い、三つ折りになっていて、開くとオルゴールが鳴りだし、その人物が経営している会社のCMソングが流れる仕掛けになっているのだ。
「すごいでしょ。これ、一枚500円」
嬉しそうにニッコリと笑う。そこで、まず「何なんだ?この人は」とけげんな顔をしていると、いきなり取り出してきたのがビデオカメラだ。
「きょう誰と会ったか、記録に残しておきたいから」
とこちらに向けてビデオを回し始めたのに、また驚く。不思議な人だな、と思う間もなく、その話の中身も、雲をつかむようで、いささか胡散臭い。
「原子はすべてのものの始まりです。原子核の回りを電子が取り囲んで、原子核内には陽子と中性子の間に中間子があって、それらはつながっています」
会社の経営者のはずなのに、いきなり原子物理学の話を始めるのだ。
「原子からエネルギーが生まれ、宇宙はすべて、エネルギーによって動いています」
ますます、何をいいたいのかわからない。
「わからないかな。人間という存在は、物質としての肉体と、精神エネルギーでできている。それらは宇宙的に互いに連動しているから、精神エネルギーが強力だと、物質、つまり具体的な形となって出てくるんですよ」
昔騒がれた「超能力」なども、まさしくそれだという。スプーンよ、曲がれ、と本気で信じて念じれば、精神エネ~ギーが物質に影響を与えて現実にスプーンは曲がってしまう。その人物は、それを信じているだけでなく、実際によくみんなにやってみせる。キャバクラなどに行って本当に手に持ったカギを曲げると、女のコが大喜びしてくれるらしい。
「つまり、本当に信じて念ずれば、思いは形になる。たとえどんな夢物語でも、実現を信じて突き進めば、現実になるんです」
そう、力強く宣言した「その人物」こそ、ツカサの川又三智彦社長だったのだ。
話を聞きにいった場所は、そのツカサの五反田本社ビル。川又社長といえば、テレビのCMでよくご存知の方も多いだろう。
「あ、あの、イヌを抱いて、『ヨンヨンマルマル、ワンワンワン』 ってやってた社長?」
正解! あの社長だ。かつて、「ウィークリーマンション」という、それ以前にはまったくなかった新たなサービスを作り上げて一時代を築いた「伝説の人物」。
テレビで見ていても、いきなりイヌを抱いて出てくるなんて、ちょっとヘンな人だな、と思ったが、現実はさらにへンな人だった。500円名刺に、ビデオに、原子物理学か…。こちらの頭が混乱している中で、川又社長は、原子物理学の話の後に、やおら自らのビジネス哲学を語り始めた。
「ビジネスとは、決して単なる金儲けではありません。働く機会を求めつつ満たされない人や、楽しみを求めつつ満たされない人たちの二-ズを満たして、その結果として金が儲かればいい。つまり、金を儲ける前に、まず社会のニーズが大切なんです。しかも、そういうビジネスの成功は、ほんの些細なキッカケと、夢は念じれば必ず実現する、と信じる心から生まれる」
やっぱりまた、「信じれば実現する」か…。ウィークリーマンションの成功もまた、その哲学の中から生み出された、と社長は語る。一方に、1-2週間は東京に泊まりたいが、ホテルは高いし、泊めてくれる知り合いもいないと困っている地方の人がいて、また一方に、借り主が減って困っていた木造アパートの大家さんたちがいる。その困った両方を結びつけることで、ニーズを満たしつつ、ビジネスとしても新たな分野を開拓した。世の中の人たちに便利さと幸せとを与えてこそ、事業を行なう意味がある。こうして自分の夢は叶ったのだ、と社長は振り返る。
確かに、その成功は華々しかった。
だが、現実には、そんなジャパニーズ・ドリームみたいな話は長く続かなかった。早い話、社長はウィークリーマンションの成功によって、時価1000億の資産、つまり物件を持つ大資産家になったのも束の間、バブルの崩壊による土地、建物の価格下落によって、今度は逆に1000億の借金王に転落。ウィークリーマンションの権利も外資系企業に売り渡した末、貸事務所「SOHO」の経営成功などで、ようやく再起の途上にあるところではないか。
一度は実現した「夢」も破れ、自分が作りあげたビジネスモデルも他人の手に渡り、それでも社長は「願えば夢は叶う」と本気で信じられるのだろうか?「信じられる」社長は言いきった。しかも、今はウィークリーマンションよりももっと大規模で、もっと世の中の人たちに幸せを与えられる「究極の理想のプロジェクト」が進行中だという。
おいおい、大丈夫なのかな?また、何千億も借金するんじゃないだろうな。
今度こそ再起不能になるのではないか、と他人事ながら、少し心配になる。
そんな社長が進める「究極の理想のプロジェクト」、それが「昭和三十年村」計画だったのだ。