

本堂

縁結び地蔵





釈迦如来像




春の花のブログを続けて出していましたが一段落しましたので3月に出かけた西国のお寺巡りに戻ります。
聖徳太子が建立したと伝わる古刹。平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集めました。
参道の石段が険しいことで知られ、西国三十三カ所の中でも最大の難所といわれてきて後回しになっていました。
表参道は石段1200段。駐車場からでも石段400段上らなければなりません。
ところが山頂まで有料登山道600円を使い車で行けると教わり行って来ました。それでも駐車場からは足はやに
10分以上の道を歩いて本堂へ。とうとうこれたなといのが実感でした。
琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂南側の標高370メートル付近、観音寺城の跡に位置
しているのがこのお寺だそうです。
佐々木六角氏は、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで近江守護を勤めた名門で、この六角氏が戦国時代に居城とした
のが観音寺城です。寺は大いに栄え子院が33もありました。しかし戦国の世になり佐々木氏が信長に滅ぼされ焼失し
1606年に伽藍が復興されました。
帰りのタクシーの中でここ近江の地で「楽市楽座」の史跡が一際目立ったので帰ってから調べてみました。
ドライバーさんは知りませんねとの答えでしたが。
信長よりだいぶ前に楽市楽座を施行していた戦国武将がいたことは以前から知られていたそうですよ。
南近江の戦国大名六角定頼(さだより)が居城観音寺城下の石寺新市において楽市にすることを天文18年(1549)には
決めていたそうです。。
多くの商人を城下に集約させたことで、石寺は一大商業都市として賑わいました。
今では15世紀の楽市楽座を再現して地元産の新鮮野菜などの販売所が出来たそうです。
二羽なれど囀り響く観音寺
観音正寺は長時間歩くと身構えていたので最後の最後までなかなか訪ねることが出来ませんでした。
以前夫と近くの31番札所の長命寺を参拝した時の帰りによりたかったのですがその時は諦めました。
両方とも階段階段ですからね。
このたびは大学生の孫と一緒だったの安心して行けました。
此方のお寺では「人の一生に厄年はない躍進の(やく)と考えよ」という札を頂きました。
私たちの年齢では厄年はとっくに卒業しましたが。
いいお言葉でしたね。
質素なお寺でしたが印象深い訪問になりました。
コメントありがとうございました。