市川の泉養寺
芭蕉塚 わずかに読める桃青居士とは芭蕉のこと
深川稲荷尊天
泉養寺紋は「いも洗い紋」で開基である深川市の家紋
深川猿江の泉養寺境内にあった蓮池
先日、芭蕉の孫弟子に当たる田中千梅が芭蕉の50回忌(1743年 寛保3年)に造立したという芭蕉塚を訪ねました。松戸駅から京成バスで15分栗山バス停近くに芭蕉塚がある泉養寺はありました。泉養寺は深川を開拓した深川八郎右衛門を開基とする天台宗の寺院で、元々深川の地にありました。この寺は猿江の蓮寺と言われて文人墨客が珍しい蓮の花を見に多数訪れたそうで江戸名所図会にも掲載されています。
その後お寺は何度も火災や洪水にあい大正12年の関東大震災の後、昭和2年に丁度松戸市と市川市の境界地点となっている市川市の高台に移転して来ました。お寺の移転と共に芭蕉塚も移されていましたが残念なことに災害の影響を受けて半分かけていました。
現在都営新宿線森下駅近くにある深川神明宮は明治維新まで泉養寺の別当であったそうで芭蕉記念館からも近いです。次回はその近くを訪ねてみます。
春浅き触れたる塚の重きかな
郷土の歴史に造詣が深い和子さんに慕われた芭蕉も、あの世で微笑んで居ることでしょうね、
時代を超えても、俳句の世界のつながりを感じます、
ありがとう御座いました、、
初めて訪ねたお寺でバス停を降りてそのまま進むと前方にお寺の閉まった門があり、手前には泉養寺の大駐車場がありました。今日はお休み?まさかお寺がお休み等という体験もありませんが通りがかりの人に聞いたらいつもこの扉はしまっていますよとの返事。駐車場をぐるっと回っても入り口は見あたらず仕方なくメモ書きをしておいたお寺に電話しました。閉まっている門からしばらく歩くとやっと左手に入り口があって中に入れました。お寺は正門から入るのが常識と思っていたので初めての体験でした。
芭蕉塚に出会えて良かったです。
このお寺の一軒おいたお隣には両国にある回向院がやはり同じ時期の昭和2年に市川に別院を建てました。回向院はお寺とも思えないコンクリートの建物でギャラリーとカフェテラスもあり石庭のお庭は見応えがありましたした。
コメント有り難うございました。
松尾芭蕉関連の本を読んでいた時偶然にこの泉養寺が松戸と市川の境界線の高台にあることを知り訪ねてみました。最初は芭蕉塚の裏に俳句が書いてあるのかと思って探しましたがありませんでした。今もって解りません。
正門が閉ざされていたことをコメントに書いていて昔のことを急におもいだしました。花巻市のあるお寺に桂の巨樹があると市の巨樹巡りパンフレットで知り早速訪ねたことがありました。所が工事中で肝心な桂の樹に工事道具が立てかけてあり写真にはなりませんでした。がっかりしてすごすご門まで帰ってきたところで寺の御住職に誰の断りで中に入ったのかとすごい剣幕で怒られてしまいました。以前あちこち日本中の桂の巨木を撮り歩いていた頃の話ですが後にも先にもこんなことは初めてです。その日の夕方次に訪ねた花巻市のお寺では遠いところまで撮影に来てくれて有り難うと感謝されたり世の中色々ですね。何か学ぶものがありました。
コメント有り難うございました。
住職さんと楽しくお話できることもあります。そんなときは、本当に心がすっきりしますね!
花巻市での昔のことを思い出し今ではお笑い話ですがお寺も神社も拝観料を取っていないところはいつも自由に入っていますよね。
お参りがてら隅々見て歩くのが好きなので裏手の方までいつもぐるっと回っては思わぬ発見があると嬉しくなります。関係者の方に質問をすれば色々親切に教えてくれますし。
コメント有り難うございました。