古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集の「小雨降りしく」歌について

2023年10月07日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 ぬばたまの 黒髪山くろかみやまの 山菅やますげに 小雨こさめ降りしき しくしく思ほゆ〔烏玉黒髪山々草小雨零敷益々所思〕(万2456)
 大野おほのらに 小雨こさめ降りしく もとに 時と寄りね 我がおもふ人〔大野小雨被敷木本時依来我念人〕(万2457)

 ここにあげた「小雨降りしく」の歌は万葉集巻十一にある。「寄物陳思」の部立にあり、万2516番歌の左注に「以前一百四十九首柿本朝臣人麿之謌集出」とあるから人麻呂歌集歌の二首であった。「寄物陳思」は物にことよせて恋情を表現した歌であるとされている。「寄物陳思」の部立のある巻十一と十二は、目録に「古今相聞徃来謌類之上・下」とあるからそう受け取られている。分類として「正述心緒」と対置されるが、その区分は恣意的なものと見られると指摘する向きもある。ただし、「寄物陳思」の歌は必ず物を詠み込んでいて、また、序詞形式がその典型となっている(注1)。万葉集に歌を配置するに当たり、編纂者が区切りを入れて集めた結果として今日の形に成っているのであろう。目録にある「古今相聞往来歌類」は後付けであるかもしれず、その示すところのミソは「類」にあるのだろう。「相聞」とあっても恋の歌を互いにやりとりしているのではなく、一首ずつの断片としてある歌を並べている。そして、上にあげた二首は恋情を表す歌ではないと筆者は考えている(注2)。従来からの通説的な解釈(注3)を、稲岡1998.によって示しながら行論する。

 ぬばたまの 黒髪山くろかみやまの 山菅やますげに 小雨こさめ降りしき しくしく思ほゆ〔烏玉黒髪山々草小雨零敷益々所思〕(万2456)
 (ぬばたまの)黒髪山の山すげに小雨がしきりに降るようにしきりに思われる。(稲岡1998.278頁)

 稲岡1998.の評言に、「類音を繰返す序詞ではあるが、黒髪山の山菅に降りしく雨が象徴的な印象さえ与える。」、「文字以前の声の文化における同音反復の序詞には無かったと思われる巧緻な情調を感じさせる歌である。」(279頁)という(注4)。こういった評価は近代の視点から捉えたものである。疑問点としてまず挙げられるのは、この歌の設定が「黒髪山」になっているが、その理由は奈辺に由来するのか、また、小雨が降りしくところにあるものは何故「山菅」でなければならないのか、といった点である。「黒髪山」は佐保山の一部であるとされているが、その山を知らない人が聞いた時、この歌はほとんどわからないことになる。そこに「山菅」が生えていることを知らない人には、さらにちんぷんかんぷんである。若い女性の黒髪を象徴して「黒髪山」を登場させ、「山菅」もなよなよとした葉が髪のように映ったのだとされているが、スゲの葉には幅があって髪の毛の一本一本を表すものでも、女性の髪の柔らかさを表すものでもないと思われ、他にそのような譬喩の例があるわけでもない。
 筆者の訓みと解釈を以下に述べる。

 ぬばたまの 黒髪山くろかみやまの 山菅やますげに 小雨こさめ降りしき ますます思ほゆ〔烏玉黒髪山々草小雨零敷益々所思〕(万2456)
 (ぬばたまの)黒髪山の山菅に小雨がしきりに降っていて、雨に濡れる私は頭髪を覆う菅笠を被りたくなり、ますます黒髪山の山菅のことが自ずと思われる。

 この歌の音の連なりはシキ(シク)→シクシクにあるのではない。「益々所思」と言って思う対象を別れてきた妻のこととするとされてきた。しかし、そうではなく、「山菅」こそが「益々所思」の対象であり、主題であるのだろう。
 小雨が降り続いているのである。そのとき欲しいのはカサ(傘、笠)である。誰しもそう思う。佐保山の地理に疎い人でもである。当時一般的に使われていたのは頭に被る笠で、材料にはスゲが多く使われていた。菅笠すげがさである。

 真野まのの池の 小菅こすげを笠に はずして 人の遠名とほなを 立つべきものか〔真野池之小菅乎笠尓不縫為而人之遠名乎可立物可〕(万2772)(注5)

 菅笠をかぶって黒髪を覆って雨を防ぐ。だから黒髪山の菅の歌に作られている。それも「山菅」である。ヤマス○○ゲという音には真ん中にマスという音が入っている。だからマス○○マス○○思うと言って正しいのである。自然と思われること、「思ほゆ」ことである。単純明快である。
左:菅笠(喜田川季荘・守貞漫稿、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2592415/1/27をトリミング)、右:カサスゲ(10月)
 文字以前の声の文化における巧緻な頓智が冴えわたる傑作である。恋情を述べたものではなく、物(「山菅」)にことよせて思い(菅笠が欲しい)を表現した「寄物陳思」の歌ということになる。

 大野おほのらに 小雨こさめ降りしく もとに 時と寄りね 我がおもふ人〔大野小雨被敷木本時依来我念人〕(万2457)
 大野に一面に雨が降りしきる。これを良い機会として木の本にお寄り下さい。私の思う人よ。(稲岡1998.279~280頁)

 稲岡氏の訓考に次のようにある。

 「小雨被敷」の「被」の字、万象名義に「皮被反表也具也䨱也加也」とあるように、雨などが降る意を表わす文字ではない。従ってフル意味に用いた例は見られない。前歌にも「小雨零敷」とあった。なぜ「被敷」であって、「零敷」としなかったのか考える必要がある。雅澄の古義に「被敷はフリシクと訓がたし、本居氏、誤字ならむ、といへり、さもあるべし」と宣長の誤字説をあげているのは、むしろ当然の疑問とも考えられる。……「被敷」がフリシクに相当すると言っても「被」をフリに宛てて書いたわけではないのであろう。「オホノラニコサメフリシク」または「オホノラニコサメフリシクコノモトニトキトヨリコネワガオモフヒト」を表意的に漢字で表現しようとすると「大野小雨被敷……」の方がふさわしいと判断されたということである。「小雨敷」だと「山草小雨敷」のように狭い範囲に焦点が搾られ易いが、「小雨敷」だと「被」に覆う意味のあるところから、大野を一面に覆う小雨が想像される。それで「木の本に時とより来ね」という下句の誘いも生きるだろう。さらに言えば、「大野 小雨敷 木本……」とするとオホノラノコサメフリシクコノモトというふうに第二句までが木の修飾語と解される可能性も生ずるが、「敷」だと大野全体にかかわることが明らかなので、二句目に区切れを置いて読まれ、「木」の修飾語とはならないのである。そうした区切れへの配慮も感じられる。(280~281頁)

 我田引水の解釈である。大きな野に小雨が降りしいたという時、それが木の生えているところだけに降り続いている状況は尋常ではない。「小雨被敷」と書いても「小雨零敷」と書いても、声にしたらコサメフリシキ(ク)となる。フリシクという語彙は、「ふりしきる……[ことだが、]シクにはしきりに~する・重ねて~する意も、一面に敷きつめる意もあり、雪フリシクの場合、平らに薄く敷きつめる意にもとれる。」(時代別国語大辞典、644頁)という両義性がはじめからそなわっている。対象によってどちらの意に重きを置くか自ずと決まるもので、思いを込めて文字を選んで書くという意味合いはあっても、借字、義訓、戯書が混淆しているのが万葉集の表記だから、表意性によって歌意を汲むことには必ずリスクが付きまとう(注6)
 「被敷」でフリシクとは訓めないとする考えは、万葉集の鷹揚な義訓表記法と相容れないものである。「被」はカブル、カブリと訓め、前歌に菅笠を被ることを歌にしていたところからその音を借りていると予想がつく。下二音を使ってフリにも当てながら、小雨が大野一面に降り被っていることを表すために「被」字を使っているのだと理解できる。ただそれだけのことで、それ以上の意味は持たないだろう。
 また、「時依来」について、雨宿りをこれ幸いとしてその時に、私のところへ寄って下さいの意として、トキトヨリコネと訓んでいる。「時」をトキドキと訓んでトキドキヨリコ、一定の時ごとに寄って下さい、とする説、ヨリヨリと訓んでヨリヨリヨリコ、その度ごとに寄って下さい、と言葉遊びに類音を繰返しているとする説もある(注7)。いずれにせよ、思い人が自分のところへ寄ることを願って言ったもの、寄物恋歌であると考えられている。大きな野で小雨がしきりに降っていて、なんとか雨宿りになりそうな木を見つけて寄って来るように異性のところへ身を寄せるというのであれば、伊藤1997.のように実景に近く受け取って、「二四五七も山中での実感を漂わせる。人気のない野の木蔭で雨を避けている女の姿が浮かんでくる。この女は、高貴な女、深窓の女ではあるまい。下級官人の娘または労働に従う農村の女性なのであろう。女の息が聞こえてくるような切迫感があって、やはり捨てがたい。」(128頁)と解されたり、それを比喩表現ととっても、伊藤氏の解釈の先にあるのは夜鷹でしかなく、あるいは、付き合い下手で友だちがおらず誰も相手してくれないなか私なら包容力をもって迎えますよ、と言っているということになってしまう。品位からしてそういう歌のはずはないとは言えないが、根本的に読み誤っていると考える。前の歌は菅笠の歌であった。この歌も恋情を歌っている可能性は低い。
 「野」は、山ではないが小高い地形で水がかりが悪く、草や灌木が生い茂っていて開墾して作物を育てようとは思わないところである。放置されて野生動物が棲息し、狩猟の地となっているが、生産性ははなはだ低い。そんなところに「木の本」と呼ぶに値する大きな木が生えていて雨宿りができる。これは可能性がある。植林である。木の苗を植えて育てる(注8)。植え付けの際には水やりに困らないように小雨の時に行き、時々巡回してはうまくいっているか確認する。枯れていたらまた苗を植え、土砂が流されていたら鋤で整え、周囲に雑草木が生えてきたら下刈りし、木が増えすぎていたら間伐し、きれいな用材を得るためには枝打ちする。「なへ(ヘは乙類)」は「もと」である。
庄内藩「曽根原家名子松植付ノ図写」(日本林制史・口絵1頁、国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1242757/1/8をトリミング)
 そして、ナヘ(ヘは乙類)という言葉には、助詞のナヘの意味もある。ナヘニの形でも使われ、……とともに、……と同時に、……につれて、の意である。書き直すと次のような意を隠し持っている。

 大野おほのらに、小雨こさめ降りしくなへに、時々寄りへる人(注9)〔大野小雨被敷〈木本〉時依来我念人〕(万2457改)
 大きな野に小雨が降り続くのにあわせて植えた苗のところに、時々巡回しに来てください、私が望む人よ。

 類歌には次のようなものがある。

 黄葉もみちばを 散らすしぐれの 降るなへに 夜さへそ寒き ひとりし寝れば〔黄葉乎令落四具礼能零苗尓夜副衣寒一之宿者〕(万2237)

 大野おほのらに 小雨こさめ降りしく もとに 時々寄り へる人〔大野小雨被敷木本時依来我念人〕(万2457)
 大野に小雨が降り続く、そこにあるコノモトに時々寄り来てください、我が期待する人よ、その人は、コノモトなるナヘ(苗)を大野に小雨が降り続くナヘ(ととも)に植えては、そこに時々寄り来て見守ってください、そう私が願う人よ。

 類歌としてあげた万2237番歌ともども、助詞のナヘニを用いている。助詞のナヘ、ナヘニについては、大浦2018.に使用法の詳細が検討されている。そこでは、用例を前期万葉と後期万葉とにひとまず分けて論じられている。後期万葉の例から明らかとなっている点について次のように述べている。

 季節歌の用例においては、主体の積極的行為・関与はあまり歌われず、一見すると主体の存在は表現の背後に隠れているようにも見えるが、視覚・聴覚・皮膚感覚等の感覚表現が「なへに」「なへ」によって複合されることによって、それらの現象を受け止め、知覚する主体が、むしろ存在感を伴って立ち現れてくる。……「なへに」「なへ」の語釈が「併行」「偶然継起併存」という説明……自体に誤りはない。「なへに」「なへ」そのものには、因果といった論理的な意味は希薄である。「なへに」「なへ」の語法においては、むしろ、明確な因果関係において捉えられないものとして前件と後件が提示される──ただ提示される──ことによって、かえってその背後にある人知を超えた連動と、それを感じ取り受け止める主体が感得されるのだと言うべきであろう。(77頁)

 万2457番歌を改変を含めて考えている。そこに大浦氏の指摘する「なへに」「なへ」の特徴は見出し得るか。
 前件の「大野おほのらに小雨こさめ降りしく」は、万2237番歌の「黄葉もみちばを散らすしぐれの降る」同様、感覚表現である。後件の「時々寄り」がはたして感覚表現と言えるものなのか、疑問とされる向きもあるだろう。しかし、ここは「時」を確実にトキドキと訓むことにおいて、感覚表現であると見て取ることができる。前件の「大野おほのらに小雨こさめ降りしく」とどのような変化を見るか。土が濡れて色が変わる。そのような光景は海浜においてよく目にする。潮の満ち引きによって砂浜の色が変わる。海水が寄り来ることによって濡れれば濃くなり、反対に引けば乾いて薄くなる。その変化は繰返される。繰返されることを表す「時」は、一定の時間ごとの意であり、トキドキという言葉がふさわしい。そう訓むことによって、「もと」は「なへ(ヘは乙類)」のことであるという頓智はひときわ精彩を放ち、歌全体がまとまりをもって訴えてくることになる。
 この歌では、「陳思」の意味が木を植えて育てる人への思いを陳べることとなっている。もちろん、「木本」はコノモトニと訓まれ、コノモトとは何のことかな? というなぞなぞが仕掛けた歌となっている。なぞなぞを問い掛けることは、聞く人がいなければ行われない。万葉集の歌の何よりの特徴は、聞く人がいるから歌われ、それが記し残されたものであるということである。聞き手不在のモノローグ、日記のような備忘録とは性質を異にしていた。当時の人はそれを「歌」と認識していた。
 この歌では、そのなぞなぞの問いかけとなぞなぞの答えとを「もとに」という句に隠し持たせている。その言葉がカギになっていることは、モトという言葉が「ことのもと」を表すことからも、上代のヤマトコトバの操り手に気づきやすいように仕掛けられている。結果、一つの歌に問いと答えの問答が併せ詠まれている。一つの言葉のつながりのなかで二つの意味を重ね合わせる言語手法は、万葉集の歌では「二重の序」の形式として知られている(注10)。三十一文字(三十一音)で簡潔にして豊富な情報量を盛り込むすべを、上代の人たちはものにしていた。万葉集では助詞の「なへ」「なへに」に「苗」字を当てて書くことがある。それは音声である歌を記し残すために行われた手法である。学校教育のようなものが流行って字義を重視して理解する識字文化に染まったならば、助詞のナヘの意を視覚から理解することは難しくなっていく。この歌は、文字以前の言語コミュニケーションによるもので、その粋を集めたような傑作と言えるのである。恋情を述べたものではなく、物(「木本」)にことよせて思い(植林して欲しい)を表現した「寄物陳思」の歌である。

(注)
(注1)大浦2008.73頁。
(注2)「寄物陳思」の歌は、ほとんど寄物恋歌である。「妹」「君」「吾妹子」「吾が背子」「恋」「逢ふ」「纏く」「相見し」など、キーワードとなる言葉が入っていることが多い。例外として、恋の思いを陳べるのではない歌は他にもある。次の一例も誤解されている。

 大船の 香取かとりの海に いかり下ろし 如何いかなる人か 物思はずあらむ〔大船香取海慍下何有人物不念有〕(万2436)
 ((大船の)香取の海にいかりを下ろしいかなる人が物思いをせずにいられようか。(稲岡1998.233頁)

 「いかり」と「如何いか」とを掛けている。この歌の「物思はずあらむ」は恋に悩むこととは決められない。どのような人が物思いにふけらずにいようか、とは、必ず物思いする人がいるということである。それが誰なのか、実は歌のなかで歌われている。大きな船のカトリの海に碇を下ろしたら、その大きな船に乗っているカトリ(楫取)、すなわち船を漕ぐ水夫たちは、自分はどうしたらよいのかと自己撞着に悩むというのである。楫を漕いでなんぼの人がカトリであるのに、カトリの海にとどまることが強要されてしまっている。冗談じゃないと怒りたいところだが、怒りは下ろしているとされている。物思いせずにはいられないわけである。「寄物陳思」の歌であり、「陳思」の意味が歌の内部へクラインの壺の如く入り込んでいる。論理学的興味から歌が作られている。
(注3)この二首については専論、大島2019.があり、訓みと解釈について問題点がまとめられている。
(注4)稲岡1998.は齋藤1939.669~670頁、鴻巣1932.445頁を引いている。
(注5)スゲ製の笠を詠んだ歌には、他に、万1284・2771・2818・2819・2836・3064・3875番歌がある。埴輪の笠も菅笠を模した可能性がある。
笠を被る男子頭部(埼玉県熊谷市野原古墳出土、古墳時代、6世紀、東博展示品)
(注6)コヒ(恋)を「孤悲」と書いてあるからといって、上代の恋の観念はすべからく一人居して恋い焦がれていることを指すものとはならない。スミノエを「住吉」と書いたら誤読して地名がスミヨシに後に変わることになったとはいえ、往時、その地がスミノエと呼ばれていたことに変わりはない。
(注7)新大系文庫本は、「「よりより」は度ごとにの意。行き来のたびに雨宿りせよと言う。……「時 ヨリ\/」(名義抄)。」(267頁)としている。万葉集中、「時」をヨリヨリと訓む例はこの一例である。トキドキとヨリヨリの違いは、トキドキに一定間隔ごとにの意を持つ例がある点である。
(注8)植林方法としては、苗木を植える方法、種子を播く方法、挿し木を行う方法がある。日本では他の植物が繁茂しやすいので播種や挿し木はあまり行われていない。
(注9)「我念人」は、アガモヘルヒトと訓むべきであるという。鶴1995.194~196頁参照。
(注10)「二重の序」についての通説に飽き足りない点については、拙稿「万葉集の修辞法、「二重の序」について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/3c2715452ef47adf92258c65738460f0参照。

(引用・参考文献)
伊藤1996. 伊藤博『萬葉集釈注 六』集英社、1997年。
稲岡1998. 稲岡耕二『萬葉集全注 巻第十一』有斐閣、平成10年。
大浦2008. 大浦誠士『万葉集の様式と表現─伝達可能な造形としての〈心〉─』笠間書院、平成20年。
大浦2018. 大浦誠士「万葉集「なへに」の表現性」『萬葉集研究 第三十八集』塙書房、平成30年。
大島2019. 大島信生「人麻呂歌集「寄物陳思」歌二首の解釈─巻十一・二四五六番、二四五七番─」毛利正守監修『上代学論叢』和泉書院、令和元年。
鴻巣1932. 鴻巣盛廣『萬葉集全釈 第三冊』大倉廣文堂、昭和7年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(三)』岩波書店(岩波文庫)、2014年。
齋藤1939. 齋藤茂吉『柿本人麿評釈篇巻之下』岩波書店、昭和14年。
鶴1995. 鶴久『万葉集訓法の研究』おうふう、平成7年。
日本林制史 農林省編『日本林制史資料 第十二巻』朝陽会、昭和7年。国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1242757
八木2004. 八木京子「懸詞的用法における文字選択─人麻呂の序詞を中心に─」『美夫君志』第69号、平成16年11月。

※本稿は、2023年10月同月中に埴輪の図版1点、参考文献に八木2004.を加えたものである。

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