古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

枕詞「あぢさはふ」について

2024年05月31日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 枕詞「あぢさはふ」は「目」や「夜(昼)」にかかる枕詞である。万葉集では五首に見られる。原文の用字はすべて「味澤相」である。諸例をあげる。

 …… 敷栲しきたへの 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月もちづきの いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向みけむかふ 城上きのへの宮を 常宮とこみやと 定めたまひて あぢさはふ○○○○○ 目言めことも絶えぬ しかれかも〈一に云ふ、そこをしも〉 あやに悲しみ ぬえどりの 片恋づま〈一に云ふ、しつつ〉 朝鳥あさとりの〈一に云ふ、朝霧あさぎりの〉 通はす君が ……〔……敷妙之袖携鏡成雖見不猒三五月之益目頬染所念之君与時々幸而遊賜之御食向木〓(瓦偏に缶)之宮乎常宮跡定賜味澤相目辞毛絶奴然有鴨〈一云所己乎之毛〉綾尓憐宿兄鳥之片戀嬬〈一云為乍〉朝鳥〈一云朝霧〉徃来為君之……〕(万196)
 あぢさはふ○○○○○ いもが目かれて 敷栲しきたへの 枕もまかず 桜皮かには巻き 作れる船に 真楫まかぢ貫き が漕ぎ来れば 淡路の 野島のしまも過ぎ ……〔味澤相妹目不數見而敷細乃枕毛不巻櫻皮纒作流舟二真梶貫吾榜来者淡路乃野嶋毛過……〕(万942)
 朝戸あさとを 早くな開けそ あぢさはふ○○○○○ 目がる君が 今夜来ませる〔旦戸乎速莫開味澤相目之乏流君今夜来座有〕(万2555)
 あぢさはふ○○○○○ 目は飽かざらね たづさはり ことはなくも 苦しくありけり〔味澤相目者非不飽携不問事毛苦勞有来〕(万2934)
 …… 黄泉よみさかひに つたの おのが向き向き 天雲あまくもの 別れし行けば 闇夜やみよなす 思ひまとはひ 射ゆ猪鹿ししの 心を痛み 葦垣あしかきの 思ひ乱れて 春鳥はるとりの のみ泣きつつ あぢさはふ○○○○○ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 嘆き別れぬ〔……黄泉乃界丹蔓都多乃各々向々天雲乃別石徃者闇夜成思迷匍匐所射十六乃意矣痛葦垣之思乱而春鳥能啼耳鳴乍味澤相宵晝不知蜻蜒火之心所燎管悲悽別焉〕(万1804)

 「あぢさはふ」は、多く「目」に掛かっている。万942番歌の場合も「妹が目」の「目」に掛かっている。例外は万1804番歌の「夜(昼)」に掛かる例である。
 鳥のアヂ、アヂガモは、今日、トモエガモと呼ばれる小型のカモの仲間のことをいい、アヂ(味鳧)+サハ(多)+フ(経)の意で、味鳧が夜昼となく群れ飛ぶところから、ムレの約音メにも冠するとする説(冠辞考)、アヂ(味鳧)+サハ(サフの未然形)+フ(継続の助動詞)の意で、味鳧を捕る網を昼夜張っておくところから網の目および「夜昼」にかかるとする説(井手至)が主な説である。
トモエガモ剥製(東京大学総合研究博物館研究部蔵、インターメディアテク展示品)
 井手氏が狩猟方法を視野に入れて検討している点は注目すべきである。なお、網の目から「目」に掛かるというのは一面で、味鳧が網の目がよく見えずに網にかかってしまうこと、つまり、味鳧の目と網の目が合うことの謂いとして「目」を導いているようである。すなわち、アジ(味鳧)+サヘ(障、遮)+アフ(合)の約として「あぢさはふ」という語が造られているとも考えられる。このとき、サヘには助詞のサヘも含意していると考えられる。味鳧でさえ遮られて合うことになるのは、メ(目)だというのである。味鳧は群れを成して騒がしく鳴き、動き回る。群れがざわざわと動くところに統率のとれた集団行動的な秩序は見られず、それぞれが勝手に動いているように見える。雁のように∧型に雁行するのであれば互いにぶつからない理由もわかるが、スクランブル交差点で一斉に歩き始めても接触せずに横断しきるように、味鳧はランダムに動いているようでいてしかもぶつかる気配がない。目がいいからだと思われるそんな味鳧が、皮肉なことにぶつかるものが仕掛けられた網である。この網の様態がどのようなものか、注意が必要である(注1)

 万2555番歌については、四句目の「目之乏流君」の訓が定まっていない。佐佐木1999.によれば、少なくとも「目欲る君が」ではなく「目欲る君が」であるべきで、さらに、「目のかるる君」と訓み、五句目は「今夜来ませり」と訓むのが良いとしている(477~486頁)。カルは「離(放)る」、つまり、離れる、の意である。筆者は、類似の考えをしつつも次のように訓むことが正しいと考える。

 朝戸あさとを 早くな開けそ あぢさはふ 目のあるる君 今夜来ませる〔旦戸乎速莫開味澤相目之乏流君今夜来座有〕(万2555)

 アルは「離(散)る」、はなれるの意で、「あら」の動詞形を表していると考える。味鳧を捕獲するために張ってある網の網目はこまかいものではなく、網の目としてはゆるく大きく粗略に感じられるものである。飛んできた味鳧はそこに身体の一部が引っ掛かって身動きが取れなくなる。蚊が入らないようにした網戸ほど目が詰んでいたら、味鳧はぶつかりはするが羽が引っ掛かることはなく、びっくりするだけで反対側に逃げて行ってしまう。一方、大きな網目の鳥網の場合、味鳧の頸が通ったり広げた翼が引っ掛かってもがくことになる。そんな隙間だらけの網のほうが鳥を捕まえるのに適している。つまり、そのことを恋愛に喩えて、殿方を捕まえるのにも入りやすく出にくい方法をとることが肝要である。よそ見をする浮気性な男性でも一晩を共にし、明るくなる前には帰れないようにしてしまえば、噂が立って他の女のところへは行きづらくなるだろう。そういう罠に嵌めようというのである。
 すなわち、味鳧を粗々な網で捕まえようとすることと、目移りする浮気性の君というのとが掛かるように構成されている。技巧的な修辞のために枕詞「あぢさはふ」が用いられている。一般に言われるように、ただ「目」を導くためにだけに用いられているのではない。
 その点は次の歌にも該当する。
 あぢさはふ 目は飽かざらね たづさはり ことはなくも 苦しくありけり〔味澤相目者非不飽携不問事毛苦勞有来〕(万2934)

 この歌は、見るということで満足しないわけではないが、手を取り合って言葉を交わさないのは苦しいものだ、という意であるとされている。感染症対策のためにアクリル板越しに見つめ合うことはできても、ディスタンスを保って非接触で飛沫が飛ばないように発声しないこととするのは誤解である。通常、手を取り言葉を交わすときに見つめ合わないことは考えにくい。となると、上二句「あぢさはふ目は飽かざらね」で言っているのは、職場で仕事をしている最中に視線が合うことはあり、相手の表情や機嫌の変化などに気づくものの、多忙など事情により、二人だけのデートを楽しむことがなくなっているときのようなことと感じられる。ここでいう「目」は至近距離で見つめ合う「目」ではなく、ある程度距離の離れてしか見ることのない「目」である。このような「目」は、味鳧を捕まえるための網にある「目」が粗々なものであることとよく通じ合う関係にあり、そのための修辞にこの枕詞が用いられていると言える。

 あぢさはふ いもが目かれて 敷栲しきたへの 枕もまかず 桜皮かには巻き 作れる船に 真楫まかぢ貫き が漕ぎ来れば 淡路の 野島のしまも過ぎ ……〔味澤相妹目不數見而敷細乃枕毛不巻櫻皮纒作流舟二真梶貫吾榜来者淡路乃野嶋毛過……〕(万942)

 この歌は、山部赤人の羇旅の歌である。船で瀬戸内海を航行して進んでいる。そのはじめに「あぢさはふ妹が目かれて〔味澤相妹目不數見而〕」とある。「あぢさはふ」はメ(目)にかかる枕詞であり、ここでは「妹が」が挿入されている。原文の「不數見」はしばしばは見ないの意だから、「かれ」(離・放)と訓むとされている。上に見た万2555番歌同様、ここも「あれ」(離・散)と訓むべきであろう。そうすれば、味鳧用の網の目の粗々なことと妹の目から遠ざかっていることが掛かっていることになる。そして、「あれ」は「れ」とも同音で、波風が激しくなることに通じる。船路に就いていることを表す言葉としてふさわしい(注2)
 味鳧は群れをなす。それを「あぢむら」(万3991)と言っている。群れてできた集住の地をムラ(村)と言い、そのムラ(村)のことはアレとも言う。「石村いはれ」(万282)というのは、イハ(石)+アレ(村)の約である。すなわち、味鳧はヤマトコトバのネットワークのなかで、アレという言葉と緊密な関係にあると認識されていたと理解される。この点からも、「あぢさはふ」にまつわって「不數見」とあれば、「あれ」と訓むべきである。

 …… 御食向みけむかふ 城上きのへの宮を 常宮とこみやと 定めたまひて あぢさはふ 目言めことも絶えぬ しかれかも〈一に云ふ、そこをしも〉 ……〔……御食向木〓(瓦偏に缶)之宮乎常宮跡定賜味澤相目辞毛絶奴然有鴨〈一云所己乎之毛〉……〕(万196)

 この歌は柿本人麻呂の明日香皇女挽歌である(注3)。「あぢさはふ」が果たしている役割は、次のメ(目)の導く枕詞にとどまらない。味鳧にはアヂムラの語がついてまわるように、寄り集まって鳴き声を上げてうるさい性質がある。だから、通例のように「あぢさはふ」がメ(目)に掛かるばかりか、その後の「こと」にも関係しているように立ち回っている。味鳧は一斉に鳥網にかかって捕まえられ、一帯から鳴き声は絶えてしまった。明日香皇女の姿も声もなくなってしまい、世界はとても寂しく荒廃している。「れたる都 見れば悲しも」(万33)とあるように、荒れすたれているからアレに関係する「あぢさはふ」という言葉を使っている。
 このように、「あぢさはふ」は、ただ後続の言葉を導く枕詞である以上の機能を果たす修辞語であると考えられる。ところで、「あぢさはふ」には、メ(目)以外の語、「夜昼」にかかる例がある。

 …… 黄泉よみさかひに つたの おのが向き向き 天雲あまくもの 別れし行けば 闇夜やみよなす 思ひまとはひ 射ゆ猪鹿ししの 心を痛み 葦垣あしかきの 思ひ乱れて 春鳥はるとりの のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 嘆き別れぬ〔……黄泉乃界丹蔓都多乃各々向々天雲乃別石徃者闇夜成思迷匍匐所射十六乃意矣痛葦垣之思乱而春鳥能啼耳鳴乍味澤相宵晝不知蜻蜒火之心所燎管悲悽別焉〕(万1804)

 この歌の「あぢさはふ」の後は、元暦校本、藍紙本に「宵晝不知」とあり、「夜昼知らず」と訓まれている。しかし、他の伝本、元暦校本赭書を含め諸本に「宵晝不云」とある(注4)。この校異についてあらかじめ正しておく必要がある。上に見たように、「あぢさはふ」はただ後続の語を導く、いわゆる枕詞だけにとどまらない修辞語と考えられるからである。
 「夜昼」という語は、万葉集では当該1804番歌を含めて6例確認されている。

 常世とこよにと が行かなくに 小金門をかなとに ものがなしらに 思へりし 吾が児の刀自とじを ぬばたまの 夜昼といはず〔夜晝跡不言〕 思ふにし 吾が身はせぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 古郷ふるさとに この月ごろも 有りかつましじ(万723)
 ますらをの うつごころも あれは無し 夜昼といはず〔宵晝不云〕 恋ひし渡れば(万2376)
 思ふらむ その人なれや ぬばたまの 夜昼といはず〔夜晝不云〕 が恋ひ渡る(万2569或本)
 夜昼と いふわき知らず〔夜晝云別不知〕 が恋ふる 心はけだし いめに見えきや(万716)
 が恋は 夜昼かず〔宵晝不別〕 百重ももへなす こころし思へば いたもすべなし(万2902)
 父母が しのまにまに 箸向かふ おとみことは 朝露の やすきいのち 神のむた 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家無みや また還りぬ 遠つ国 黄泉よみさかひに つたの おのが向き向き 天雲の 別れし行けば 闇夜やみよなす 思ひ迷rt>まとはひ 射ゆ猪鹿ししの 心を痛み 葦垣あしかきの 思ひ乱れて 春鳥はるとりの のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず〔宵晝不知〕 かぎろひの 心燃えつつ 嘆き別れぬ(万1804)

 「夜昼といはず」、「夜昼といふわき知らず」、「夜昼かず」とある。当該歌のように「夜昼」の「別」を示さずにいきなり「夜昼知らず」というのは例外的な用法と考えるべきであろう。当該歌の性格は、阿蘇2009.に、「枕詞が多過ぎて、しかも肉親の弟を亡くした悲しみと必然的な結びつきもないような枕詞を無造作に用いており、感情の素直な表出をかえって妨げている感がある」(269頁)とあるのが正当な評価である。枕詞を駆使しすぎるほど駆使していると、互いの表現から新しい表現を溶接することも現れてくる。すなわち、多すぎる枕詞の側から見れば、「宵晝不知」をもって正しいこととなる。
 「あぢさはふ」という枕詞がメ(目)を導くことを当然視するなら、そのメ(目)を「夜昼」のことに拡張させて夜と昼の境目のことを考えていると推測される。万1804番歌では、「夜昼」+否定形の慣用表現をもじる形で「夜昼知らず」と言っている。つまり、夜と昼の境目がわからなくなったことを言おうとしている。だから「あぢさはふ」を枕詞に持ってくることにかなう。「あぢさはふ」こと、味鳧がその飛翔の障害となって引っ掛かり、捕まってしまうことは、鳥網の目が粗々に作られてそれとわからないように作られているためである。それほどまで夜と昼との境目がはっきりしなくなるほどに心をたぎらせて別れを嘆くことだ、と歌っている。「黄泉の界に 延ふ蔦」とすでに出ているように、境目の曖昧化がモチーフである。「夜昼知らず」につづいて「かぎろひの」とあるのも、単にその後ろの「心」にかかる枕詞であるばかりでなく、ゆらゆらと揺らめく陽光は夜から昼への移り変わるとき、それが夜の時間か昼の時間か区別しきれない境の時間帯だからである。自然な流れとなって言葉が続いている。「夜昼といはず」では、夜だ、昼だ、と言うことはなく、という意味で、境界のことに頓着しておらず、かえって機微を伝えないこととなる(注5)

(注)
(注1)井手2009.参照。
 専論として「あぢさはふ」という語を検討したものとしては井手氏以外に見られない。枕詞の掛かり方についての諸説もまとめられている。そして、枕詞の背景、成立の基盤を解き明かそうと、「つのさはふ」という似た言葉ともども探っている。そして、「味」と呼ばれていた味鳧の羅猟法から「あぢさはふ」という言葉が造られたのであろうと推測し、「目」が羅眼、網の目のことを指しているという重要な指摘も行っている。前現代(前近代的に現代において廃れる以前)に行われていた羅猟法、鳥網によって捕獲する方法を引いて論拠を明らかにすることも怠っていない。出色の論考である。
 ただし、鳥網の網の目のあり方、理解の仕方において、井手氏は誤解している。井手氏は羅網の網の目を細かいものと考えている。

(1)巴鴨を羅障によって捕獲するものであること
(2)羅網が夜間もしくは昼夜を問わず張られていること
(3)その猟法が人々の耳目に達する仕掛けであったこと

の三項をほぼ満足せしめ……枕詞「あぢさはふ」から推定される上代の巴鴨猟におおむね該当する猟法の存在が確認されたことは、翻って「あぢ障はふ──網目」「あぢ障はふ──よる(宵昼といはず)」と表現された上代における巴鴨の羅猟の存在の蓋然性を高め、「あぢさはふ」という枕詞を鴨の羅猟と関係づけて解明することが決して無稽な空論ではないことを証するものであると思うのである。(282頁)

 井手氏もあげている図絵を示す。
左:張切羅(農商務省・狩猟図説、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/993625をトリミング)、右:「上州霞網鳧」(一勇斎国芳画・山海めでたい図会・よい夢でも見たい、ボストン美術館https://collections.mfa.org/download/217315をトリミング)
 狩猟図説の図に網にかかっている鳥とほうほうのていで逃げていく鳥とが描かれている。逃げていく鳥の後ろには取れてしまった羽根が数枚ずつ描かれている。一度網に突っ込み、からくも絡まることなく逃れたところを示している。つまり、網に体の一部、特に頸が網に入って抜けなくなるような場合には絡んで捕まるが、翼部分が網に当たるなどしたら羽根は多少失っても戻って逃げ飛ぶことができたことを表している。漁業で言えば刺網漁の原理と同じである。獲物の方から網に刺さり絡まっているのを網ごと引き上げ、魚を一つ一つ網から外して果実とする。対象となる魚類が逃げられないようにそれよりも細かな網をめぐらし、まるごと掬いあげる曳網漁やまき網漁、敷網漁などとは網の目の意図が異なっている。
 すなわち、味鳧猟のやり方として、網によって行く手をさえぎって一網打尽に巻き込んで捕らえるのではなく、獲物が網に絡まることをもって捕獲するのである。罠や罠に準ずる方法、あたり一帯を罠化するものではないということである。図には、籠を持って引っ掛かっている鳥を捕りに行く人の姿が確認される。
 網目が細かすぎると鳥は網に引っ掛からない。狩猟図説の解説では、あみは一寸三分目、二寸目、三寸目ばかり(約4~9㎝)にキ(ヒ)たるものを使っているとしている。ヤマトコトバにおいても、枕詞「あぢさはふ」が「目」に掛かる、その掛かり方が井手氏の考えは違っている。掛かる言葉だけに、網へのかかり方は正確を期さねばならない。網目は味鳧の頸や脚が入るほどに粗い。だからこそ、それが網だと気づかず突入してしまう。よく見えていないのではないかと思えるほどである。結果、味鳧の目が大雑把、粗々だと思うに至っている。粗い目には粗い網目を、という(言語学的)結論に到達している。したがって、「あぢさはふ」が「目」に掛かる枕詞としてばかりでなく、言葉の続き方として「あれ」という語へと連なっていて正しい用法だと当時の人たちは思ったのであろう。用例のように「あぢさはふ」という言葉が、前後に群として用いられている所以である。味鳧は群れなす性質があるだけに前後まで気を配られた使用となっている。
 なお味鳧、すなわちトモエガモは美味なようである。「手賀沼では明治中葉頃まで、何万という大群が押し寄せたという。「それ味鴨(方言)だ!」 鴨網はそっちのけにし、味網を出した。」(堀内1984.431頁)と記されている。
(注2)遠称の代名詞にカレ(彼)があり、それは「れ」とよく対応しているが、音転したアレ(彼)も同じ意を表している。このようにパラレルな対応を示していることは、意味的なつながりではなく単なる音転によるものと考えられるが、上代の基本的に無文字文化のなかにあっては、口頭言語として口に出し、声として聞いた人にとっては重要なことであったと思われる。今日、さまざまな駄洒落が流布して実際の言語活動となっていることから顧みても、疎慮してはならないであろう。言語とは使用されるものであり、その実態を措いて言葉や歌謡、文学の研究などあり得ない。
(注3)拙稿「「明日香皇女挽歌」について─特異な表記から歌の本質を探って─」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/254e3749a17832176d6c239f871fd5e0など参照。
(注4)木下2000.は古い写本のほう(宵晝不知)が誤りであるとしている。「宵晝不知」であれば「夜昼の別もなく」(大系本)、「夜昼のわかちも知らぬばかりに」(注釈)となるが、「しかし、「夜昼知らず」のままで果たしてそのような解釈ができるものだろうか。店員急募の広告なら「男女不問」と書くこともあるかも知れないが、それでは舌足らずで、正しくは「男女の別は問わず」と言うべきではないか。」(木下323頁)とし、集中に「夜昼といはず」の例が多いからそちらが正しいとしている。
(注5)「夜昼」ではなく「昼夜」という転倒した言い方が行われていなかった理由も垣間見られよう。通い婚を前提とした造語なのに、歌謡に関して間抜けな言い方が行われることはない。

(引用・参考文献)
阿蘇2009. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第5巻』笠間書院、2009年。
金田1983. 金田禎之『日本漁具・漁法図説 改訂版』成山堂書店、昭和58年。
木下2000. 木下正俊『万葉集論考』臨川書店、2000年。
狩猟図説 農商務省編『狩猟図説』東京博文館、明治25年。国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/993625
堀内1984. 堀内讃位『写真記録 日本伝統狩猟法』出版科学総合研究所、昭和59年。

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