古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

神代紀第七段一書第二の白和幣(しろにきて)・青和幣(あをにきて)について

2023年06月05日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 和幣にきてという語は、古事記上巻や神代紀上巻に見られる。榊の枝に麻やこうぞ(榖)の布帛を取りかけたもののことで、神に祈るときに用いられる。後には絹や紙が用いられ現在に至っている。
豊受大神宮で大麻おおぬさと称されるもの(ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/大麻(神道)
 上代の文献例は次のとおりである。

 ……あめ香山かぐやま五百津いほつさかを根こじにこじて、上枝かみつえさか勾璁まがたま五百いほつのすまるの玉を取りけ、中枝なかつえあたのかがみを取りけ、しづしら丹寸手にきてあを丹寸手にきてを取りでて、此の種々くさぐさの物は、布刀ふとたまのみこと、ふと御幣みてぐらと取り持ちて、……〔天香山之五百津真賢木矣根許士爾許士而自許下五字以音於上枝取著八尺勾璁之五百之御須麻流之玉於中枝取繋八尺鏡訓八尺云八阿多於下枝取垂白丹寸手青丹寸手而訓垂云志殿此種々物者布刀玉命布刀御幣登取持而……〕(記上)
 時に、八十やそよろづのかみたちあまの安河辺やすのかはら会合つどひて、其のいのるべきさまはからふ。かれ思兼おもひかねのかみ、深くはかり遠くたばかりて、遂にとこ長鳴鳥ながなきどりあつめて、たがひ長鳴ながなきせしむ。亦、手力雄神たちからをのかみを以ていはとわきかくしたてて、中臣連なかとみのむらじとほつおや天児屋命あまのこやねのみこといみの遠祖、ふとたまのみことあまの香山かぐやま五百箇いほつさかねこじにこじて、上枝かみつえにはさかの五百箇の御統みすまるとりかけ、中枝なかつえにはたのかがみ あるはく、真経まふつのかがみといふ。を懸け、しづにはあを和幣にきて 和幣、此には尼枳底にきてと云ふ。しろ和幣にきてとりしでて、あひとも致其祈祷のみいのりまをす。……しかうして後に、もろもろかみたち罪過つみ素戔嗚尊すさのをのみことせて、おほするにくらおきを以てして、遂にはたる。髪を抜きて、其の罪をあかはしむるに至る。亦曰はく、其の手足の爪を抜きて贖ふといふ。すでにしてつひ逐降かむやらひやらひき。〔于時八十万神会合於天安河辺計其可祷之方故思兼神深謀遠慮遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴亦以手力雄神立磐戸之側而中臣連遠祖天児屋命忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇真坂樹而上枝懸八坂瓊之五百箇御統中枝懸八咫鏡一云真経津鏡下枝懸青和幣和幣此云尼枳底白和幣相与致其祈祷焉……然後諸神帰罪過於素戔嗚尊而科之以千座置戸遂促徴矣至使抜髪以贖其罪亦曰抜其手足之爪贖之已而竟逐降焉〕(神代紀第七段本文)
 すでにして罪を素戔嗚尊におほせて、其の祓具はらへつものはたる。是を以て、手端たなすゑよしきらひもの足端あなすゑあしきらひものり。亦、つはきを以てしろ和幣にきてとし、よだりを以てあを和幣にきてとして、此をもち解除はらをはりて、遂にかむやらひことわりを以てはらふ。……祓具、此には波羅閉都母能はらへつものと云ふ。手端吉棄、此には多那須衛能余之岐羅毗たなすゑのよしきらひと云ふ。……逐之、此には波羅賦はらふと云ふ。〔已而科罪於素戔嗚尊而責其祓具是以有手端吉棄物足端凶棄物亦以唾為白和幣以洟為青和幣用此解除竟遂以神逐之理逐之……祓具此云波羅閉都母能手端吉棄此云多那須衛能余之岐羅毗……逐之此云波羅賦〕(神代紀第七段一書第二)
 ここに、思兼神おもひかねのかみふかおもとほたばかりて、はかりて曰はく、「太玉神ふとたまのかみをして諸部もろとものをの神をて、和幣にきてを造らしむべし。仍りて石凝姥神いしこりどめのかみ 天糠戸命あめのぬかとのみことの子、作鏡かがみつくりとほつおやなり。をして天香山あめのかぐやまあかがねを取りて、日のかたの鏡をしむ。長白羽神ながしらはのかみ 伊勢国の麻続をみおやなり。今のに衣服をしらと謂ふは、此のことのもとなり。をして麻をゑてあを和幣にきて 古語ふるごと爾伎弖にきてといふ。と為さしむ。天日鷲神あめのひわしのかみ津咋見神つくひみのかみとをしてかぢ種殖ゑてしろ和幣にきて これ木綿ゆふなり。已上かみの二つの物は、ひとおひしげれり。を作らしむ。天羽槌雄神あめのはづちのをのかみ 倭文しとりとほつおやなり。をして文布しつを織らしむ。天棚機姫神あめたなばたつひめのかみをして神衣かむみそを織らしむ。所謂、和衣にきたへ 古語に爾伎多倍にきたへといふ。なり。……其の物既に備はりて、天香山あめのかぐやま五百箇いほつ真賢木まさかきさねこじのねこじて 古語に佐禰居自能禰居自さねこじのねこじといふ。ほつには玉をとりかけ、中枝なかつえには鏡を懸け、しづにはあを和幣にきてしろ和幣にきてを懸け、太玉命ふとたまのみことをして捧げ持ちほめまをさしむ。〔爰思兼神深思遠慮議曰宜令太玉神率諸部神造和幣仍令石凝姥神天糠戸命之子作鏡遠祖也取天香山銅以鋳日像之鏡令長白羽神伊勢国麻続祖今俗衣服謂之白羽此縁也種麻以為青和幣古語爾伎弖令天日鷲神与津咋見神穀木種殖之以作白和幣是木綿也巳上二物一夜蕃茂也令天羽槌雄神倭文遠祖也織文布令天棚機姫神織神衣所謂和衣古語爾伎多倍……其物既備掘天香山之五百筒真賢木古語佐禰居自能禰居自而上枝懸玉中枝懸鏡下枝懸青和幣白和幣令太玉命捧持称讃〕(古語拾遺)

 記・紀本文・古語拾遺と、紀第七段一書第二とでは、話の上において内容が異なっている。前者では、アマテラスが天の石屋いはや(石窟)に籠ってしまったのを、何とか出てきてもらおうと神々が参集して算段をほどこしていたときに、小道具の一つとして「青和幣・白和幣」は出てくる。一方、後者では、スサノヲを追放するときの祓の具として扱われている。この神代紀第七段一書第二の叙述は手が込んでいて、スサノヲから手の爪、足の爪を切ってそれぞれ吉棄物、凶棄物にし、さらに、唾、洟をもってそれぞれ白和幣、青和幣にしたと言っている。この言辞はたいへん興味深い。以下、集中的に検討してみよう。
 スサノヲの「手端吉棄物」、「足端凶棄物」については、手足の爪を祓のための代償物としていて、前者は吉事を招かんと願って差し出す祓具、後者は凶事を除こうとして差し出す祓具であるとされている(釈日本紀)。目的の違いはありつつ、爪という具体物がとり上げられていて、形あるものとして代償たる要件を満たしているように見せているとわかる。対して、唾や洟を和幣にしたという意味合いは不可解である。液体状のものを固体状のものに当てている点について、これまでのところ認識は深まっていない。古語拾遺の記述から、穀の樹皮の繊維で作ったものは色が白いので白和幣、麻で作ったものは多少青味がかっているから青和幣と呼んだのであろうと推測されている。その説は、延喜式・大殿祭祝詞に、「……斎玉作いみたまつくりどもが、持斎もちゆまはり、持浄もちきよまはり、造り仕へまつれる、瑞八尺瓊みづのやさかに御吹みふきの五百いほ御統みすまるの玉に、あかる和幣にきて 古語に爾伎弖にきてと云ふ。てる和幣にきてを附けて、……〔……斎玉作等持斎波利持浄麻波利造仕礼留瑞八尺瓊御吹支乃五百御統明和幣古語云爾伎弖曜和幣気弖……〕」とあって、明和幣、曜和幣は色彩光沢による名づけで、それらは絹製のものであろうという点から補強されるに至っている。眉唾な説である。穀と唾、麻と洟の間に結びつくところがない。神代紀第七段一書第二の述作は、他の記、紀本文、古語拾遺には見られない飛躍したレトリックを弄している。
 それを示唆する言葉づかいは「洟」字の使用に見えている。この「洟」字については、すでに平安時代の講書のときから疑問視されていた。日本書紀私記を引く釈日本紀に次のようにある。

 問。案、玉篇。自鼻曰洟、自目曰涕也。然則、此洟者、非口出之名也。何読与多利哉。当波奈太利。答。案、古本云与多利。然則、此所用者、自口所出之液也。故、古本云爾。今後作者、改作洟字、其意相違。然則、遠尋古本、其義不違。若従後本符、其説不該。凡、書者、以本意宗。何得字破_意哉。故、先師不雑本、遠用古辞。今亦依用耳。(釈日本紀・巻第十六・秘訓一)

 字書を見ると「洟」は鼻水のこととある。説文にも「洟 鼻液也。从水夷声。」とある。だから、学生は「洟」をヨダリと訓むのはおかしいという。先生は、書いた人がヨダリのつもりで書いたと伝えられているからそのままヨダリと訓んでいるのであって、それでいいのだと教えている。
 この状況に対して、我々にはとるべき態度が二つある。第一は、漢語の訓詁とヤマトコトバを照合するときに奥深さを嗅ぎ取って、漢字の字義に必ずしも囚われず、意を汲み取れば正解であるとする立場である。第二は、平安時代の訓読は逐一見直して、漢語の字句に立ち返って理解すべきであるとする立場である。なぜなら「倭訓」が「本意」を表すということは、書いてある漢文の向こう側に、漢文自体とは別物で、ともすれば恣意的に理解すべき地平が存在しているということになり、それはまさに幻想の産物と呼べるものだからだと言うのである(注1)
 筆者は、そもそも、こういった区分けが厳密にできるのか定められないと考える。例えば、「楓」という字は、日中で異なる樹種に当てる字である。そのような例は枚挙に暇がない。言葉の利用法、語義の範疇は、漢和二つの言語で似ているところも多いが、全部が全部オーバーラップするものではない。日本のなかでもハルという季節は、サクラが咲く頃と考える人もいれば、雪が融けて見えなくなる頃と捉える人もいる。スプリングというカタカナ語を使う人は発条ばねの意味で用い、春や泉の意では常用されていない。だが、漢字は表意文字である。そこで意思疎通の道具として特別に多くのことが期待され、おそらく上代の人もかなりの程度そのように思っていて、よって漢文風に書くことを覚えたのであろう。とはいえ、絶対的な一対一対応が得られているとは考えられない。オリジナルの文字ではないからである。すなわち、日本書紀の古訓については、本当だろうかと疑いを持ちながらも慎重に検証に努めることが大事で、それなりの合理性が認められた暁には、おそらくそれは日本書紀の執筆者が筆を舐め舐め思索をめぐらせた成果なのだと素直に認め、その古訓に従うのが我勝ちにならない真の賢明さだと心得る必要がある。彼らの言語感覚は、我々が行う漢文訓読とはレベルが異なっている可能性が高い。
 今、問題にしている「洟」についても、本邦においてヨダリと訓まれていた形跡があり、往時の人々の字義の捉え方について確認することができる。

 洟 ススハナ、ヨタリ、ナミタ、ハナタリ(名義抄)
 其れよだりつはきの猶し。(石山寺本大唐西域記・長寬元年点)

 義浄・南海寄帰内法伝・巻一の八、朝嚼歯木に、「凡棄歯木、若口中吐水、及以洟唾、皆須弾指経三。或時謦欬過両。如不爾者、棄便有罪。」とある。歯木は噛むタイプの木の歯ブラシのことである。この「洟唾」は、玄奘・大唐西域記と同じく「よだりつはき」のこととしなければ歯科衛生の話にならない。「凡そ木をて、若し口の中より水及以および洟唾を吐かむとき、皆弾指すること三たびをべし。或る時には謦欬することふたたび過ぎよ。しかせずは、棄つるに便ち罪有り。」と訓まれて正しい。後段に、「要須熟嚼。浄揩令涎癊流出、多水浄漱、斯其法也。」とあり、「かならく嚼むべし。浄くりてよだりつはきをして流出せしめて、多く水をもて浄くすすく、斯れ其の法なり。」と訓まれている。「癊」字について別の解釈もあるが、石山寺所伝天理図書館蔵本に「ヨタリツハキ」と傍訓があり、上の「洟唾」(その個所では「洟-唾」の「洟」字にイ・テイと字音が振られている)に対応していると見たほうが理解に容易である。
 すなわち、中国の漢籍系統の字書に「洟」字を鼻水のこととしていても、仏典系統の記述によだれのこととして書き表した一派がいたらしいと知れる(注2)。日本書紀の執筆者が「洟」字を使おうとして依った出典は、大唐西域記か南海寄帰内法伝なのではないか。状況証拠として、遠いところへ旅に出ている話に出ているものだから、スサノヲを追放して遠いところへ遣ることに合致している。
 ところで、スサノヲの正体については、筆者はモグラをイメージした造形であると考えている(注3)。モグラが前足と後足の爪を切られて「手端吉棄物」、「足端凶棄物」とされて遠くへ放逐されたら、悪さをしに再度近づくことはなかろうと思われる。そしてまた、つはきよだりをもって和幣にきてにしたというのも、モグラの口の中にあるものを幣帛に見立てたということに他ならない。それが白かったり青かったりするものといえば、モグラが好物としているミミズが思い起こされる。グロテスクな形容をしておもしろがっているのである。モグラがありがたがり大切にする品とは、布帛ではなく白ミミズや青ミミズである。それを榊の枝にぶら下げてみた。そのほうが人間でなくモグラを「解除」するのに合っている。だから、「以神逐之逐之」と言っている。
 「以唾為白和幣、以洟為青和幣。」と「以……為……」形式にもったいぶって言っている。「以和為貴」という言い方は、「和」をもちいることで「貴」の状態にする、ということと、「和」をもちいることは「貴」いことである、という二つの意味合いをドッキングさせ、大原則たる事柄を提示する用法として使われた。同様に、スサノヲの「唾」をもちいて「白和幣」に仕上げたことと、スサノヲの「唾」をもちいることとは「白和幣」そのものであること、という意味を合わせたものである。むろん、唾や洟をそのまま榊に懸けることはできない。スサノヲが出した唾や洟の先にあるものとは、モグラが食欲をそそるものこそ印象づけられていると考えられる。すなわち、それはミミズである。大麻おおぬさに取りでてお祓いをしたのだとひどく戯れた表現となっており、“話”として見事に完成している。
左:青和幣用(シーボルトミミズ、kamataryo氏撮影https://www.inaturalist.org/observations/143868104をトリミング回転)、右:白和幣用(ドバミミズ、joshuamorris氏撮影https://www.inaturalist.org/observations/19972775をトリミング)
 このように神代紀第七段一書第二が理解された時、はじめて“よめた”と言える。上代の人の感性と一つになり、彼らのジョークが理解できたのである。そのための条件として「洟」はヨダリと訓まなければならず、当時の字書に見える字義に拘って古訓を蔑ろにしていては、理解の糸口をみすみす見失うことになる。我々に求められている古訓の検証とは、現代の視点から捉えたときに「幻想」に思えるものを打ち破る方向に向かうことではなく、上代の視点における「理」をいかに共有し得るかにかかっている。問いの立て方を間違えてはならない。

(注)
(注1)前者は神田喜一郎氏の立場、後者は福田武史氏、新釈全訳日本書紀の立場である。誤解を恐れずに言えば、前者は講書の時代の先生の解説に従うもの、後者は生徒の疑問から出ないものである。
(注2)宮林・加藤2004.では、「洟唾」の「洟」を鼻水、「涎癊」は「涎(唾)・(痰)癊」と解している。「歯木」が噛み歯ブラシであるのに、痰が出てきて口腔がきれいになるという文章はあり得ないであろう。先立つ小野1936.は、それぞれ「……若くは口中より水を吐き、及び洟唾せんとするときには、……」(60頁)、「かならず須らく熟く嚼み浄くみが(ママ)て涎癊をして流出せしむべし。」(61頁)と訓読している。英訳本(Li Rongxi 2000.)に、"When discarding the tooth wood, or spitting out water or saliva, one must snap one's fingers three times, or cough more than twice."(33p.)と訳されている。 但し後者は、"One must chew the tooth wood well and wipe one's teeth clean. Let all the saliva and oozing blood come out of the mouth, and then rinse it clean with a large quantity of water. Such is the way of cleansing the mouth."(Loc.cit.)となっており、歯茎からの出血を「癊」としている。
(注3)拙稿「「八雲立つ 出雲八重垣」について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/21dc1a26b1fff042b89ad2c33aea8dce、同「スサノヲはなぜ泣くのか(改訂版)」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/3ee102433e708b0a08ee6c697b02da7f参照。

(引用・参考文献)
小野1936. 小野玄妙訳「南海寄帰内法伝」『国訳一切経 和漢撰述部 史伝部十六下』大東出版社、昭和11年。
神田1983. 神田喜一郎「日本書紀古訓攷證」『神田喜一郎全集 第二巻』同朋舎出版、昭和58年。
新釈全訳日本書紀 神野志隆光・金沢英之・福田武史・三上喜孝校注『新釈全訳日本書紀 上巻』講談社、2021年。
福田2016. 福田武史「『日本書紀』の訓読をめぐって」『国語と国文学』第93巻第11号、平成28年11月。
福田2022. 福田武史「神田喜一郎『日本書紀古訓攷証』初版・改訂版の研究」『武蔵大学人文学会雑誌』第53巻第3・4号、2022年3月。武蔵学園学術情報リポジトリhttp://hdl.handle.net/11149/2396
宮林・加藤2004. 宮林昭彦・加藤栄司訳『現代語訳南海寄帰内法伝─七世紀インド仏教僧伽の日常生活─』法蔵館、2004年。
Li Rongxi 2000・ Li Rongxi trans., A Record of the Inner Law Sent Home from the South Seas : in BUDDHIST MONASTIC TRADITIONS OF SOUTHERN ASIA. Berkeley, Numata Center for Buddhist Translation and Research, 2000.

この記事についてブログを書く
« 日本書紀冒頭部の訓みについ... | トップ | 聖徳太子薨去後の高麗僧慧慈... »