加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「クール・ビズ」は服飾文化史の中では中途半端

2005-08-08 00:11:12 | Weblog
 「クール・ビズ」に関しては何回も取り上げてきましたが、服飾文化史を専攻する東京家政大学の能沢慧子教授によると、きわめて中途半端なものだそうです(7月22日付朝日新聞14面「私の視点」)。
 まず、「クール・ビズ」のノーネクタイに関しては、「ネッククロス(ネクタイの前身)の高みから投げるのでなければ、彼の嘲罵はどのような効果があっただろうか」という文学者、ジャック・ブーランジュの言葉を紹介して、痛烈に批判しています。
 彼とは、18世紀末から19世紀初頭にかけて英国紳士のオシャレの基礎を築き上げ、ダンディの神様とあがめられたジョージ・ブランメルのことです。彼が一回の市民でありながら英国の皇太子、後の国王ジョージ4世ら上流社交界の憧れを一身に集めた理由は、そのスキのない身だしなみと才気に満ちた会話術によるものでした。
 ネッククロスをあごをうずめるほど高々に結んだ姿、そしてそのすぐ上に位置する口から冷ややかに発せられる皮肉に満ちた言葉こそ、ダンディの精髄だったということです。
 以来、ネクタイは紳士のドレス・コード、つまり信頼のおける、教育を受けた文化人の記号となって今に至っているというのです。
 能沢慧子教授は「クール・ビズ」が実行に移された翌日テレビを見たそうです。そのときの印象を次のように書いています。
 「上着とネクタイなしのワイシャツ姿の男性がいすから立ち上がって話し始めるのを瞑したとき、私は手っきり裁判所で弁明をする、形勢不利な被告人であろうと直感したが、実は国会中継で大臣の答弁を放送していたのであった。傍らに、これもネクタイなしで、のどぼとけもあらわに語る病み上がりと見れば、こちらもやはり閣僚であった」
 服飾文化史から見れば、ネクタイを省いたシャツスg多は、紳士の誇りと尊厳、そして他人への敬意のしるしを失わせ、ややもすると被告人か半病人の気配を生んでしまうのだそうです。
 現在のワイシャツの襟型はブランメルの時代から、ネクタイを結ぶことを前提に生み出されているといいます。そうすると、ネクタイなしのワイシャツは着替え途中の半端な姿なのだと結論付けられるそうです。能沢慧子教授は、旧来のワイシャツから安易にネクタイをとる前に、ネクタイなしを前提とした襟のデザインを考えることを提案しています。
 「クール・ビズ」の2番目の要素は背広のないことですが、この点も批判の対象となっています。
 現代の背広の歴史は比較的浅く19世紀後期生まれだそうですが、中世末期依頼5百数十年にわたって洗練され続けた上着の伝統を踏まえているということのようです。
 適度なボリュームと堅さと独特の襟形を持った背広とネクタイの組合せは、着る人の内面の獣性を抑制し、弱さを隠し、体形を引き立て、現代社会人としての自信を与えるものだと能沢教授は言います。
 「それは複雑化する現代社会で活きていくにはもってこいの鎧なのだ。ネクタイを取り、背広の上着を脱いだとき、男性は涼しさという「快」を得ることだろう。しかし同時に失うものは少なくない」
 私も、「クール・ビズ」の是非に関してこのような深みのある議論が伴うことに関しては、考え込まざるを得ませんでした。

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