今日は『他』競技の話。『野球』の話をしよう
私は野球ファンではないが、日本で生活しているとスポーツニュースで野球のことが話題にならない日はないので、そんなに興味がなくても野球の情報は自然に入ってくる。
ちなみに私の応援する球団は、二転三転し、その都度まさに信念など全くないファンであった
最初に応援を始めたのは広島カープ。理由は簡単。帽子の色が私の好きな『赤』だったから
ちなみのその当時兄が西部ライオンズの『青』の帽子を持っていたので、じゃあ私は『赤』という感じで広島の帽子を買ってもらいなんとなく応援するようになっていた。
そういえば阪神を応援していたときもあったなぁ。その理由は父がアンチ巨人でその反対に阪神を応援してたからつられて・・・
その他にも辻選手がいたころの西部ライオンズやら、吉村選手がいたころの巨人やら、なんともその当時の流れにまかせて応援する球団が変わっていた
ちなみに野球というかキャッチボールは結構好きな方
あのグローブにボールが『パシィッ』と入るあの音と感触が好きなのです。なぁんとなくサッカーのリフティングやシュートの時にインステップキックがきれいにミートする感触が気持ちよく感じる感覚に似ているような気がするのは私だけだろうか
さてさて、ながぁ~い前置きはここまでにして、今日の本題は今話題の『巨人軍 来期監督に原辰徳氏就任』ニュースでの一言。
この言葉は会見での言葉ではなく、特集を組んでいた某テレビニュースの中で原監督が現役時代に発した言葉。
思い出しながら書くので少し違う部分もあるとは思いますが、ニュアンスは間違ってないと思うのであしからず。。。
当時の原選手が(多分年齢によるものだと思うが)試合出場機会が少なくなってきた時のことば。
自分はジャイアンツにどれだけ感謝することがあるのか。(感謝することは数え切れない)
そのジャイアンツに対してお前(自分)は失礼なことができるのか。(できるわけがない)
じゃあ(たとえベンチにいても)応援しよう。(できることをやろう)
私の心に響いたのは自分のチームに対して『失礼なことはできない』という言葉。
原氏が前回監督をしていたときもしきりに口にしていた『ジャイアンツ愛』という言葉。テレビの朝番組などで面白おかしく取り上げられていたりしていたが、自分のチームを『愛する』ということはとても大切だと感じる。
チームを『愛して』いれば、チームに対して『失礼なこと』などできるはずがない。そのときの原監督は出場機会が少なくなってきていた時期で、スター選手、それまで主力選手だった人間にはかなり酷な状況だと思う。
しかしそこでくさったり、あきらめたりすることはチームに対して『失礼なこと』。(これは私の解釈)
自分の言動、が原因でチームにマイナスの影響を及ぼすこともチーム対して『失礼なこと』。(これも私の解釈)
愛するチームの為にそんなことはできない。だからベンチにいてもチームを応援しようと思ったそうである。
スポーツをしていればいろいろなことがある。良いこともあれば良くないことも。
うまく時期もあればうまくいかない時期も。
自分が陥るおまりよくない時期、うまく行かない時期。
そこでも踏ん張れるかどうかは『何をすべきか』ということを理解しているかどうか。でも本当に追い込まれたらそれさえもわからなくなったり、たとえ解っていてもできない、という状況陥ることもあるかもしれない。
そんなぎりぎりの場面で踏ん張れるかどうかはチーム(チームメイト)に対して『失礼なこと』をしないこと。
チームを『愛する』心やチームへの『誇り』を最後まで持っていられるかどうかだと思う。
そしてそれを最低限の行動に示せるかどうかだと思う。
そして何が何でも『チームメイトには迷惑をかけない』というある種の『意地』をはれるかどうかだと思う。(迷惑を掛けても支えあうのがチームだと思うが、それは結果的に迷惑をかけてしまった場合であり、そしてそれをフォローする体制をまわりが持っているかどうかであって、個人で努力する前から迷惑をかえて当たり前と甘えた考えは持つべきではないと思っている。)
野球もサッカーもチーム競技。
チームに対しての『想い』『誇り』はかなり大切だと思う。
そして、チーム(チームメイト)を大切にする人間はチーム(チームメイト)からも大切にされる。
そんなところからチームメイトからの信頼がうまれる。
サッカーのプレーの能力が高いというそれだけで、チームから大切にされる、チームメイトから信頼されている、そんなチームにはしたくない。
チームから大切にされる、信頼されるファクターはもっと他にたくさんあるはず。
そしてそのたくさんは試合などの特別なときだけではなく、練習やチームでのその他の活動の中にもたくさん含まれている。
その『たくさん』を知って欲しいと願いながら、A型(実はA型ではないのですが)のように細かく、蛇年のようにしつこく言い続けて行こう
私は野球ファンではないが、日本で生活しているとスポーツニュースで野球のことが話題にならない日はないので、そんなに興味がなくても野球の情報は自然に入ってくる。
ちなみに私の応援する球団は、二転三転し、その都度まさに信念など全くないファンであった
最初に応援を始めたのは広島カープ。理由は簡単。帽子の色が私の好きな『赤』だったから
ちなみのその当時兄が西部ライオンズの『青』の帽子を持っていたので、じゃあ私は『赤』という感じで広島の帽子を買ってもらいなんとなく応援するようになっていた。
そういえば阪神を応援していたときもあったなぁ。その理由は父がアンチ巨人でその反対に阪神を応援してたからつられて・・・
その他にも辻選手がいたころの西部ライオンズやら、吉村選手がいたころの巨人やら、なんともその当時の流れにまかせて応援する球団が変わっていた
ちなみに野球というかキャッチボールは結構好きな方
あのグローブにボールが『パシィッ』と入るあの音と感触が好きなのです。なぁんとなくサッカーのリフティングやシュートの時にインステップキックがきれいにミートする感触が気持ちよく感じる感覚に似ているような気がするのは私だけだろうか
さてさて、ながぁ~い前置きはここまでにして、今日の本題は今話題の『巨人軍 来期監督に原辰徳氏就任』ニュースでの一言。
この言葉は会見での言葉ではなく、特集を組んでいた某テレビニュースの中で原監督が現役時代に発した言葉。
思い出しながら書くので少し違う部分もあるとは思いますが、ニュアンスは間違ってないと思うのであしからず。。。
当時の原選手が(多分年齢によるものだと思うが)試合出場機会が少なくなってきた時のことば。
自分はジャイアンツにどれだけ感謝することがあるのか。(感謝することは数え切れない)
そのジャイアンツに対してお前(自分)は失礼なことができるのか。(できるわけがない)
じゃあ(たとえベンチにいても)応援しよう。(できることをやろう)
私の心に響いたのは自分のチームに対して『失礼なことはできない』という言葉。
原氏が前回監督をしていたときもしきりに口にしていた『ジャイアンツ愛』という言葉。テレビの朝番組などで面白おかしく取り上げられていたりしていたが、自分のチームを『愛する』ということはとても大切だと感じる。
チームを『愛して』いれば、チームに対して『失礼なこと』などできるはずがない。そのときの原監督は出場機会が少なくなってきていた時期で、スター選手、それまで主力選手だった人間にはかなり酷な状況だと思う。
しかしそこでくさったり、あきらめたりすることはチームに対して『失礼なこと』。(これは私の解釈)
自分の言動、が原因でチームにマイナスの影響を及ぼすこともチーム対して『失礼なこと』。(これも私の解釈)
愛するチームの為にそんなことはできない。だからベンチにいてもチームを応援しようと思ったそうである。
スポーツをしていればいろいろなことがある。良いこともあれば良くないことも。
うまく時期もあればうまくいかない時期も。
自分が陥るおまりよくない時期、うまく行かない時期。
そこでも踏ん張れるかどうかは『何をすべきか』ということを理解しているかどうか。でも本当に追い込まれたらそれさえもわからなくなったり、たとえ解っていてもできない、という状況陥ることもあるかもしれない。
そんなぎりぎりの場面で踏ん張れるかどうかはチーム(チームメイト)に対して『失礼なこと』をしないこと。
チームを『愛する』心やチームへの『誇り』を最後まで持っていられるかどうかだと思う。
そしてそれを最低限の行動に示せるかどうかだと思う。
そして何が何でも『チームメイトには迷惑をかけない』というある種の『意地』をはれるかどうかだと思う。(迷惑を掛けても支えあうのがチームだと思うが、それは結果的に迷惑をかけてしまった場合であり、そしてそれをフォローする体制をまわりが持っているかどうかであって、個人で努力する前から迷惑をかえて当たり前と甘えた考えは持つべきではないと思っている。)
野球もサッカーもチーム競技。
チームに対しての『想い』『誇り』はかなり大切だと思う。
そして、チーム(チームメイト)を大切にする人間はチーム(チームメイト)からも大切にされる。
そんなところからチームメイトからの信頼がうまれる。
サッカーのプレーの能力が高いというそれだけで、チームから大切にされる、チームメイトから信頼されている、そんなチームにはしたくない。
チームから大切にされる、信頼されるファクターはもっと他にたくさんあるはず。
そしてそのたくさんは試合などの特別なときだけではなく、練習やチームでのその他の活動の中にもたくさん含まれている。
その『たくさん』を知って欲しいと願いながら、A型(実はA型ではないのですが)のように細かく、蛇年のようにしつこく言い続けて行こう
美穂さん、こんばんは。
ブラインドサッカーは美穂さんのおっしゃるとおり、信頼で成り立つサッカーですね。
私は練習にたまに加わって一緒にやる程度で、ブラインドサッカーのゲームには加わったこともないので、偉そうなことはいえませんが、あの視覚情報をシャットダウンした状況で、一歩を踏み出しトップスピードで動く勇気、そして自分の感覚を信じてボールをコントロールする技術、仲間を信頼し合いコミュニケーションをとって連携を図る、ブラインドサッカーにはスポーツにとって重要なことが全て含まれているように思います。そしてそれができなければ、通用しないという過酷さもあり、そしてそれに挑戦するメンタリティ、選手の皆さんは本当にすごいと思います。
でもそんな過酷な競技であっても本質は他のスポーツと変わらないと思います。
私はスポーツの本質は楽しいかどうか、そしてその楽しさを自分自信が味わいたいと思い、自発的に活動するかどうか。勿論チームであればそれぞれに役割があり、競技であれば教える側と教えられる側がありますが、そんな役割の中でも自分が楽しいと感じ、自分がやりたいと思うからこそ、きついことも頑張れるのだと思います。
スポーツの中で、サッカーは「足」で扱う競技。そして自分だけではなく、チームメイトがいて相手がいる。肝心なボールは言葉で意思を伝えることもできないので、思うように動いてくれないことばかり。
そう、うまくいかないこと、自分の思うようにいかないことばかりなのです。
そんな中で、自分の意思で頑張って、何かできるようになったときの喜びはかなりのものだと思います。
みんなそんな一瞬の喜びを味わう為に頑張っているのかも。
そしてそれだけでなく、みんなで何かを頑張るということ自体が楽しいことなのかも。
私はそんな風に思います。
まずは自分の気持ちに正直に「やりたい」と思うことをやって、そして「やりたいこと」を決めたら、それを一緒にやってくれる人と精一杯楽しんで、そして少しでも何かできるようになるように努力すると有意義な活動になるかもしれませんね。
>>ロンゲパパさん
ロンゲパパさんこんにちは。
私もミーハーな方なので、Jリーグ開幕前後はカズのファンでした。その当時うちで飼い始めた犬にも『KAZU』と名づけたほどです。
プロ選手やその道のトップの人達は、同じ道を志す子供たちに夢を与えることのできる限られた人達です。
そんな立場にいる人たちが見せ掛けだけではなく、本当の意味で夢をあたえ、人とはこうあるべきだ、と示してくれると大変嬉しいですよね。
これは子供たちの身近にいる大人たちにも言えることですが。
まずは人のことはさておき、自分がしっかり導ける存在であらねばと思う今日この頃です。
最後に、僕は君が誰かは分からない、僕には君の目のことも、生活のことも、全く分からない、君がどうしたらいいかなんて分かんない、でも、同じサッカーにかかわるおじさんとして・・・僕はもっとやっとけば良かったと思ってます、後悔先に立たず!案ずるより生むがやすし!「がんばれ~美穂さん」
何だかだらだら長くなってすみませんm(__)m変なおじさんの独り言でした。
ブラインドサッカーを始めてから
思うことがあります。
私は盲学校にいた時、まだ視力があったため
サッカーを始めました。
視力が弱い私をクラブに入れてくれた
監督にとても感謝しています。
それでも視力と言うのは落ちてくるものです。
最近は相手のゴールが見えなくて
ブラインドサッカーを始めました。
Lリーグの運営をしていても、
あ~、やっぱりサッカーやりたいなって
思います。
やっぱりサッカーが好きです。
ブラインドサッカーをやって一番思ったのは
みんなを信頼しないと、パスや得点は
ないってことですね。
これだけ信頼で成り立つサッカーもないなと
思います。
ただ、やっぱりアイマスクをして
やるとドリブルすらできない
自分に苛立ちます。
自分は見えているしとかいろんな気持ちを
持ちました。
ブラインドサッカーを続けるかどうか・・・。
信頼・・・・チームメイト。
考えてしまいますね。
ってここで独り言みたいで、すみません。