私の好きな My favorite life

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Diario 9;5   祭り2件

2021-09-05 17:26:22 | 日記






 昨年はコロナが始まったばかりで、見に行かったけれど、今年はワクチン接種も済み、息子が多少なりともかかわっているので見にゆきました。
8月22日 17回松代現代アート祭
8月29日 信濃の国原始感覚美術祭

 松代の方は妻の友人が、アートパーフォーマンスに出演しているというので見にゆき始めた。しかし始まった当初は、長野市の観客はエコールド松代という地域おこしの政策にのっとり、かなり賑やかに行われていたが、約10年間経っても観客はそれほど増加はしなかった。その後会場松代文武学校から小さな会場となったようで、その頃から私も足が遠のいてしまっていた。 今回は昨年から息子が作品を出展し始めたので、まぁどんなものかと出かけた次第です。    1枚目の写真
今回は展示のほかに、ベリーダンス、安土早紀子さんのギターソロ、昔の着物を繋ぎ合わせての獅子舞といったところです。 観客もほぼ関係者ばかりといったさびしいものでした。道行く人も、遠くから眺めて過ぎ去ってゆくばかり。  昔の賑やかさは全く感じられなかった。  来年は?という感じ。

 さて、次の原子感覚美術祭は私は15年くらい前か、木崎湖畔に西丸震哉美術館というのが地図にありこれは何だろうという好奇心で訪れたところ、ここがこの美術祭の事務所でこの祭りを知ったわけである。当初はこの地域の廃屋などに、作者が寝泊まりしながら作品を作成した展示がおおかった。車で会場を探しながらぐるぐる回ったものでした。最終日に講演があり、田口ランディさんとか、冒険家の関野さん、茂木健一郎さんとの話が聞けました。そのうち、タテタカコさんの歌、どなたかのダンス、も。 こちらにも息子の作品が 2枚目、3枚目の 土塀に埋め込んだ壁画
 こちらも久しぶりに行ってきたのですが、以前よりますます賑やかにパワフルな祭りになっていました。 この原始感覚 というのがミソですね。  町にある金の掛ったようなチャラチャラしたものではなく、素朴な心に響くダンス、公演が多く、これを期待した若いスタッフが元気に活躍していた。我が息子もその一人として。  祭りが終わり、来年の祭りに向かってこれから1年頑張りたいといってる。

Diario 8:3 私にとってのボルタンスキー

2021-08-03 07:49:05 | 日記



写真は 先日チーズを買いに行ったとき 立ち寄った麦峠のスナップで。
 先日 クリスチャン・ボルタンスキーが 亡くなった。私が初めて新潟県妻有トリエンナーレに行ったときに、衝撃!と言ってよいほど心に残った作品がこのボルタンスキーの”最後の教室”という作品であった。何年前であったろう、息子が まだ中学生の頃であったから 15年以上前である。新潟県の奥の僻地で開かれていた現代アート作品展である。観客も少なく廃校になった体育館の入り口で、入場料が500円!高そうだなと思ってもじもじしていると、前の展示で一緒になった方から良い作品だから それだけの価値はありますよと言ってくれて、入ってみた。 入って、先ずは暗い体育館、床一面に藁が敷き詰められて、多くの扇風機が首を振っている。田舎くさい藁の匂いが充満している。どこからか ざわめきが聞こえてくる。  これを過ぎると長く狭い通路があり、両脇に額縁が掲げられている。 その先には明るい電気がこちらを照らしている。二階から不気味なドックン ドックン ドックンという音が聞こえてくる。何だろう? 2階に上がりその音のする部屋にゆくと、真っ暗な部屋で電球が一つ、たまに明かりがついて、その部屋が理科の実験室であることがわかる。ドックンの音はますます大きく響いて聞こえる。  過ぎて3階へ、ここは一転して多くの棺桶が置かれており、白いレースで一面覆われている。 もう昔のことなので実際とは少し異なるかもしれないが、この作品は今もその地に展示されている。  この作品に出合ってから、わたしは現代アートのインスタレーションという部門い強く惹かれるようになった。 
 今朝の新聞に”生と死への限りない愛情”という題で 北川フラムさんの ボルタンスキーへのコメントが記載されていた。  戦争の影響を強く受けた体験から、“死”を見つめ続けたボルタンスキー。その作品は、偶然地球に生を受け、やがてはまた宇宙のカオスの中に霧散し、何かになって漂う一人一人の"生と死”に対する限りない愛情の表現だったと思う。と。
 先日息子のブログに、親父に連れて行かれて初めて見たこの作品により、自分のアートへの関心が生まれたと書かれていた。
 まだ、直島の作品を見てないので、コロナが終息したら、真っ先に訪れてみたく思っている。

Diario 7:26 久しぶりの出会い

2021-07-26 08:00:39 | 日記

 長野県奈川村と高山市との境あたりにある清水牧場チーズ工房
人里離れたところに お店がありました。 夏空が大きく青く懐かしく広がっていました。

 久しぶりのドライブです。  松本サービスエリアでは、大勢の子供連れの家族で賑わっていました。
下手な一首
  夏休み はしゃいぐ声響く サービスエリア 久しぶりの 自由があった

 目的地は 奈川村奥にある 清水牧場のチーズ工房です。
 やっとのことでたどり着いたのですが、チーズは既に全て売り切れ。 お店の人に聞くと、全てネット販売で売り切れて、ここには無いとのことでした。 購入できたのは、しぼりたて牛乳とヨーグルトかな。
けれど 本当に丁寧に作られているのが、よく分かります。 少々値段が高いのも頷けます。
 さて、元来た道を戻るのですが、妻が昔息子の友人だったA君が、松本市内でお店を開いているのでそこに寄ってみたいというので行ってみました。 実は我が息子は、小学校、中学校と不登校でした。(今は大町市のNPO職員と、演劇関係、並びにアート作家) A君はその時にフリースクールに一緒に通っていた仲間だったそうだ。今年齢は25歳。実家から離れて、市内でゲストハウスと喫茶を開いている。今の時期、経営が大変だったようだが、手作りのワイングラスを作っており、それが評判良くまぁまぁ売れて、何とかしのげているとのこと。どこで知り合ったのか、パートナーは ペルー人のやや年上の女性。  このA君、不登校といってもいやいやながら学校にというのではなく、自ら僕は学校にはゆかないと宣言し自由にすごしてきた。 喫茶のマスター姿も立派なもんである。 更に 将来はスペインで暮らしたいと。 まぁ、なんと自立していること。
 そういえば、昨年末同じ仲間で助産師をしているK子も息子や彼の仲間だったそうだ。 彼女も学校には行かないといって、通信で高校を卒業し助産師になったようだ。彼女は、今まで大学病院に勤務していたけれど、配置転換になり、ここは私のやりたい部署ではないといって 退職してしまった。
この二人を見て、今の不登校は昔の不登校のいやいやながら通わそうとしていた時代ではなくなってきたのだな、親の理解もできてきたのだなと、 そして子供たちも自分気持ちに正直であり行動力があるなと感心しました。
 久しぶりに楽しい人との出会いを味わった!  充実した一日だった。

Diario 6:26 最近の雑感

2021-06-26 07:54:00 | 日記


 このコロナ禍の時代、自粛自粛を求められ、日々の日常の中ふと感じるのは人と会えない、ということである。 そんな中先日、妻の友人で近くの菅平高原(家から車で50分位)にてペンションを営んでいる人から気晴らしに泊まりに来ないかとお誘いが。ペンションも宿泊客が少なく、退屈していたのでしょう。昔の友人を誘っていたのかな?
叔母さん(85歳位かな?)と妻の友人(妻と同じ歳)の二人でやっている。開設して47年目だそうです。私は妻と一緒になって以来、数年に一度くらい遊びに行ってます。 そうもう35年以上の交流が続いていることになります。 
 たった一晩でしたが昔話から、今のコロナ、また料理や 畑仕事など様々に4人でよくよくしゃべりまくりました。 あーお互いに誰かと話たがっていたのだなとつくづく感じた。
 翌朝は、あまり長居せずに午前中に家に戻り、いつもの生活に。
コロナの流行がこれから更に懸念される中、自粛自粛を求められ、その上オリンピックを開催などと、一市民からすると全く別の世界のことのように思える。
 マスクくらいは我慢するが、もっと自由に出歩けて、人と交流出来るようになればと祈るような気持ち。

もう一軒、先週塩尻短歌教室に出席してきた。コロナワクチン接種も済んでいるので大丈夫かな?と思い切って。いつもは定員100名でしたが、この時代は50名だそうです。会が終わっても、なんだか皆いそいそとあまり会話もなく退席してゆきました。誰もがが、気持ちの底にコロナを抱えているのだなと。
昨年は全部不参加でしたので、久しぶりの講義、楽しかった。毎日一首と思っても 三日坊主でした。アハハ!

 

Diario 5.26 今年の我が家のバラ達

2021-05-26 08:15:18 | 日記


 この時期は、バラの咲き具合が気になりやきもきします。 私の自宅では主に妻が管理して、私の仕事場では私が世話をしてます。 近年では 家内の手入れのほうが格段に良い。 痛んだり枯れたしした株は一本もなく、更に株が年々大きくなってきています。 ここにアップしたバラは全て 家内の愛情に籠ったものです。
さて私の方は、今年2本抜き 新たに3本購入して養生中です。
バラは 購入するときに様々なきっかけをを持っていたように思います。そして 今そのバラを見るときに その時の思いを振り返り思い出します。
我が家の最古のバラは 35年位かな。衰えながらもこれから咲いてくれるでしょう。いつも最後に咲くのです。
ここは私の老後、これからの居場所になるでしょう。35年以上我が手を掛けてきたわがバラの庭です。