私の好きな My favorite life

写真付きで my favorite life
を書く

Diario 8:3 私にとってのボルタンスキー

2021-08-03 07:49:05 | 日記



写真は 先日チーズを買いに行ったとき 立ち寄った麦峠のスナップで。
 先日 クリスチャン・ボルタンスキーが 亡くなった。私が初めて新潟県妻有トリエンナーレに行ったときに、衝撃!と言ってよいほど心に残った作品がこのボルタンスキーの”最後の教室”という作品であった。何年前であったろう、息子が まだ中学生の頃であったから 15年以上前である。新潟県の奥の僻地で開かれていた現代アート作品展である。観客も少なく廃校になった体育館の入り口で、入場料が500円!高そうだなと思ってもじもじしていると、前の展示で一緒になった方から良い作品だから それだけの価値はありますよと言ってくれて、入ってみた。 入って、先ずは暗い体育館、床一面に藁が敷き詰められて、多くの扇風機が首を振っている。田舎くさい藁の匂いが充満している。どこからか ざわめきが聞こえてくる。  これを過ぎると長く狭い通路があり、両脇に額縁が掲げられている。 その先には明るい電気がこちらを照らしている。二階から不気味なドックン ドックン ドックンという音が聞こえてくる。何だろう? 2階に上がりその音のする部屋にゆくと、真っ暗な部屋で電球が一つ、たまに明かりがついて、その部屋が理科の実験室であることがわかる。ドックンの音はますます大きく響いて聞こえる。  過ぎて3階へ、ここは一転して多くの棺桶が置かれており、白いレースで一面覆われている。 もう昔のことなので実際とは少し異なるかもしれないが、この作品は今もその地に展示されている。  この作品に出合ってから、わたしは現代アートのインスタレーションという部門い強く惹かれるようになった。 
 今朝の新聞に”生と死への限りない愛情”という題で 北川フラムさんの ボルタンスキーへのコメントが記載されていた。  戦争の影響を強く受けた体験から、“死”を見つめ続けたボルタンスキー。その作品は、偶然地球に生を受け、やがてはまた宇宙のカオスの中に霧散し、何かになって漂う一人一人の"生と死”に対する限りない愛情の表現だったと思う。と。
 先日息子のブログに、親父に連れて行かれて初めて見たこの作品により、自分のアートへの関心が生まれたと書かれていた。
 まだ、直島の作品を見てないので、コロナが終息したら、真っ先に訪れてみたく思っている。