私の好きな My favorite life

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Diario:10.4  50年ぶりの同級生と二人飲み会

2021-10-04 16:29:58 | 日記


 彼とは高校1年時に同じクラスだったでけでした。それ以来、約50年ぶり、時にクラス会で顔を合わし声を掛け合う程度でした。それが、急に軽井沢でゴルフをした後、こちらに来るので軽く夕食でも一緒に取ろうということで会うことになった。 はて?何の要件なんだろうといぶかしんでいた。実は同じクラスの時より、それほど相性が良い間柄では無かったと、私は思っていたのだ。
 さて、いざ会ってみると実に如才ないと言って良いのか、何のわだかまりもなく彼が話を進めてくる。
彼は大学を出てから商社に入り、世界の様々な土地を巡り、また多くの部下を率いるようになり、そして今は退職し、いくつかの子会社の顧問をして小遣いを得ていると。話は、彼の実家の状況から、大学受験、初恋、海外生活、妻との出会い、息子たちの件、そして今の状況と、たまに私が相槌を入れながらも、彼が決して自慢でもなく正直に話しているのが、聞き手にもわかる。
 4時から8時半まで、ほとんど彼が話していたように思う。。コロナで人と会うこともできずにいた時にこの様な出会いが、とても楽しかった。 これだけの時間、話し続けたのは彼にとっても楽しかったのであろう。
 彼がわざわざ、長野まで足を運んだのは私の仕事に関連したことについてちょっとしたアドバイスを聞きたかっただけようだ。
 私は、3人ほどの従業員と細々と仕事をしているのだが、50年前には同じ教室で学んだものが、その後のそれぞれの生き方でこれほどまで違う人生を歩んできたのかと、何か胸に来る思いがあった。
彼の生き方は、彼の話し方からして、彼にあった人生送ってきたように思う。
わが身に振り返ってみると、大きなことは出来なかったけれど、自分らしく、それに満足しながらこれまでやってきたと思える。
人の人生は、人それぞれに一番ふさわしい生き方があるのでしょう。  
以前、ブログで教えてもらった言葉を実感した。

Diario 10.1 最近気づいたこと

2021-10-01 17:00:29 | 日記





バックの湖は 木崎湖
さてこれは何でしょう?
これは8月の原子感覚芸術祭で展示された 小林テイさんの作品  放置されままで面影は無いが。  展示された当時は最初の展示物には紅白の帯が巻き付けられており、何かを感じさせてくれそうであった。



 ちょうど1週間前か、お袋がショートステイで入所している施設から、Spo2が 77%まで低下したので 酸素吸入を始めましたと連絡が入った。月曜日に酸素ボンベをお供に帰宅し、酸素生成器につながれた生活に戻ってしまった。これは1月退院してから約2か月同じ状況で、その後外すことができた。今回もそうなって欲しいと願っている。
 昨年までは、私は仕事場まで片道15分間の歩きでしたが、母の自宅介護が始まってからは、毎日介護サービスの方が来られ、駐車スペースが他に無いので私は車で通勤するようになった。9か月経ち、ふと気付いたことは、なんと自分の脚の衰え。 まだまだ母の介護は続きそうだし、どのようにリカバリーしようか?思案中。
 7月にプレドニンを10から9ミリに減らしたのだが、8月に入り痰の増加、足の痛みなどが出てきて また振り出しに11ミリの服用。
 明日、高校時代の同級生が会いに来る。これまで、同窓会少し言葉を交わした程度だったのが、なぜか不思議な縁?を感じる。 この件については後日書き込みたい。