<小乗仏教と大乗仏教は何が違うの?>
・仏教は2500年近く昔にインドで誕生。開祖は釈迦です。当時は出家者が己の悟りを目指して修行を積むのが主流。しかし、釈迦の没後数百年して、改革運動が起こりました。出家していない在家の一般人も救済対象に、という仏教の運動です。出家者のみを救済対象とする仏教を小さな乗り物(小乗)に、後発の自分たちの仏教を大きな乗り物(大乗)にたとえて、区別したのです。
<生きとし生けるものを救いたい。思いを向けつづけると如来になれる>
・大乗仏教の如来には、阿弥陀さま以外にも、薬師さま、お釈迦さまなどたくさんの如来がいます。
どの如来も、如来になる前には修行をつづける菩薩の時代がありました。50年、100年の話ではありません。何億回と生まれ変わる輪廻転生のあいだ、ずっと「いつか必ず如来になるぞ」と、志を持ち、如来の方向に心を向けて、仏道を歩みつづけたのです。
如来とは、「生きとし生けるもの(衆生)を幸せにしたい」と思い、また、幸せにできるだけのパワーを身につけた存在です。如来になりたいといっても、いつなれるか、本当になれるかどうか、誰もわかりません。
<私たちも必ず如来になれると信じることが大事>
・如来は、試験をクリアしたらなれるような簡単なものではありません。ゴールは自分ではわかりません。ただ、歩みつづけるほど、如来に必要な衆生救済パワーは強くなります。阿弥陀さまは如来になるまでに、五劫(ごこう)かかりました。何億回も生まれ変わっています。その間も如来への強い思いを持ちつづけるため、悟ることができました。思いを向けつづける、この信じる気持ちが大事なのです。
<一国の王子が菩薩、如来へ変化。五劫という時間、思惟しつづけた>
・阿弥陀さまの前身は、法蔵(ダルマーカラ)という名の、ある国の王様でした。法蔵は「生きとし生けるもの(衆生)を漏れなく救いたい」という誓願をたてて、出家。法蔵菩薩となります。
・そして、いまから十劫の昔、法蔵菩薩は真理を悟り、阿弥陀如来になりました。如来になったということは、誓願が現実になったということ。阿弥陀如来にはあらゆる人を救うパワーがあるのです。
<どんな人にも生まれたときから、阿弥陀さまがついている>
・でも、阿弥陀さまの存在意義を考えればわかります。阿弥陀さまは衆生を漏らさずに救う不可思議パワーを持つ仏です。私たちは、それぞれが阿弥陀パワーによって救われます。私には私を救ってくれる阿弥陀さま、あなたにはあなたを救ってくれる阿弥陀さまがいます。阿弥陀さまは、大昔に出現されたと同時に、私の阿弥陀さまでもあり、あなたの阿弥陀さまでもあるのです。
<“阿弥陀”に秘められた「量らない」ふたつの意味>
・次は名前から、阿弥陀さまの存在を説明していきましょう。阿弥陀というのは、サンスクリット語でアミターユスとアミターバ、ふたつの意味を持ちます。
アミターユスはアミタ・アーユス、アミタは無量、アーユスは寿命。つまり無量の寿命を持つ仏さまです。次にアミターバのアーバは光。無量の光を持つ仏さまです。
無量とは「量れない」という意味です。これは「量らない」とも解釈できます。
・阿弥陀さまを考えるうえで、「量らない」は重要語。私たちは、つねに物事を量ります。いくらあるか、いい子か悪い子か………などと量り、比較、差別します。
<阿弥陀さまの光で満ちた浄土には苦しみもなければ、喜びもない>
・阿弥陀さまの名前に込められた「量らない」「無量の光」というふたつの意味は、そのまま阿弥陀さまの主宰する極楽浄土の概念にもなっています。
この世では、光が当たれば必ず影ができます。一方、極楽浄土は光だけの世界。影がありません。
・光ばかりになると、ものは見えません。あれこれと量ることもありません。比較も存在しない。それが極楽浄土です。
この世は影があり、ものを見ることができます。見えれば量りたくなり、比較や差別も生まれます。極楽浄土の光の世界に対して、この世は苦しみを生む影の世界。
<極楽浄土から覗くこの世は、喜怒哀楽いっぱいの遊園地>
・「遊於娑婆世界(ゆうをしゃばせかい)」――娑婆世界に遊ぶ――これは「観音経」というお経に登場する言葉。娑婆で遊ぶのは、観音さまです。
・観音さまは、阿弥陀さまの勧めによってそんな娑婆に遊びに来るのです。
・阿弥陀さまは提案します。「観音よ、娑婆世界には苦しみがたくさんある。それらを体験すると、よい修行になりますよ」。極楽浄土から覗く娑婆はいわば喜怒哀楽の遊園地。観音さまは娑婆に遊学しに来ているのです。
<観音さまは変身してやってくる。あなたも、隣の人も、全員観音さま>
・観音さまは、娑婆世界に遊学に来るとき、33の姿に変身します。
・33の姿を全部覚える必要はありません。大事なのは6つ。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・童男・童女です。比丘・比丘尼は男と女の出家者、優婆塞・優婆夷は男と女の在家信者、そして男の子と女の子……この6つの姿で、すべての仏教者を指しています。
ひょっとするとお隣さんやあなたの子どもは観音さまの化身かもしれません。仏教に関心を持ち、いま仏教を学ぼうとしているあなたもまた観音さまなのです。
<人ごみのなかで観音さまを見分けるには………>
・この世の娑婆世界において、あらゆる人に観音さまの変化身の可能性があるのなら、街ゆく人々の誰が観音さまなのか気になるでしょう。
どこで見分けたらいいか、わかるでしょうか?
・だからこそ阿弥陀さまの極楽浄土では良し悪しを「量らない」のです。観音さまを見分けるには、阿弥陀さま方式で「この人は観音さま」「この人は観音さまではない」と量ってはいけないということです。
あなたも私も観音さま、みんなが観音さま。そう思ってみてください。すると人の見え方が変わってくるはずです。
<対立修行のためにやってきた。ゴキブリもムカデもみんな観音さま>
・しかし極楽浄土視点では、それは有意義な「対立修行」のチャンスともいえます。観音さまは、苦しむためにこの世に遊学に来ています。自分も観音さまとして、苦労を与えられているのかもしれません。お姑さんも観音さまで、お嫁さんに修行させてくれているのかも…………。修業中はしっかり憎んでおきます。やがて寿命が尽きて、極楽浄土に戻ったあかつきには「お疲れさまでした」と言い合えればいいのです。
<第2講 まとめ>
・私たちはみんな極楽浄土から娑婆世界にやってきた観音さま。倶会一処と言った通り、この世での修行がおわると、ふたたびふるさとである極楽浄土に帰っていくのです。この世の苦しみは観音さまにとっての楽しみであり、修行なのです。この世で対立した者同士でも、あの世で再会したときにはお互いあのときは大変だったね、と笑いながらねぎらい合うことができるでしょう。
<第3講 お念仏で欲を捨てる>
<阿弥陀さまの救済を説く3つのお経。極楽浄土と往き方が記されている>
・阿弥陀さまの救済を説いた代表的な経典「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」を浄土三部経と称します。
・ここから西のほう、10万憶の仏さまの国々を過ぎたところに、極楽という国があります。極楽には阿弥陀という仏さまがいらっしゃいます。極楽に暮らす衆生には、苦しみがなく、楽しみがあるので極楽と呼ばれるのです。
<阿弥陀経は「そのまんま経」。色と光に秘められたそのまんま思想>
・あなたは、そのまんまで、あなた自身の光を放っている。
<南無とは「お任せします」の意味。阿弥陀さまにすべてを任せる>
・最初に「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀さま、どうか極楽浄土に生まれさせてください」という願いの言葉と説明しました。
・具体的な目標を実現するために阿弥陀さまにお願いをするわけではありません。目標があっても「私はこういう願いを持ってはいますが、阿弥陀さまがよきにはからってください」……これが「南無阿弥陀仏」です。
<欲をつかって判断してはいけない。念仏は損得勘定を捨てる祈り>
・「南無阿弥陀仏」の語源をたどると、「(わからないことを)阿弥陀さまにお任せすること」。
この世はわからないことであふれています。不可思議なのに、比較や差別を持ち込み、良し悪しを“量ろう”とするから、苦しみが生まれます。
・私たちは目先の利益に目が眩み、損得勘定をしてしまいます。思い込みで良し悪しを判断して、勝手に苦しんでいるのです。真の損得はわかりません。「南無阿弥陀仏」で阿弥陀さまにお任せしてしまうほかに、方法はないのです。
<祈りには、請求書の祈りと領収書の祈りの2種類がある>
・祖母は、仏さまに請求書をつきつけるような祈りはいけない、と言っていたのです。請求書の祈りは、欲から起こるもの。仏さまに対して失礼でしょう。祖母の言う通り「ありがとうございます」と領収書の祈りをするべきです。
<よい欲などない。困った偽善者ほどいいことをしたがる>
・絶対に悪いことをしていないという人が、もしいるとしたら、その人は、悪いことをするチャンスがなかっただけです。人は誰しも、悪いことをする可能性を秘めています。自称「善人」の多くは、他人と比較し、差別して「私はそんなに悪いことはしていない」と、自分自身に言い聞かせているだけでしょう。
<医者にも僧侶にも任せてはいけない。任せていいのは、阿弥陀さまだけ>
・日本で「先生」と呼ばれる職業の人たちは、ほとんどが専門技術者です。人生の問題を相談する相手ではありません。
人生相談は、わからないことの集大成。それに答えられる人など、この世にはまずいません。阿弥陀さまに任せるのでなければ、せめてこの世で苦しみ、修行を積んだ人、生き方の総合力があり、人生経験が豊富な人に相談を。
<頼りたいときは「枯れた人」に。欲が少ない人ほど阿弥陀さまに近い>
・名僧と呼ばれ、私自身も尊敬していたお坊さんが、98歳になったときのこと。「私は108歳まで生きたい、あと10年生きたら21世紀。19世紀生まれだから、ホップステップジャンプで3世紀生きたい」と話したときには、年をとっても欲は枯れないのだと驚き、呆れました。
でも、まあ生き方に迷い苦しんだときは、医者よりも隣のおばあちゃんに相談するほうがマシでしょう。結局は「南無阿弥陀仏」で阿弥陀さまにお任せするしか、その苦しみを消せないのだと理解しておきましょう。
<第3講 まとめ>
・私たちは欲があるから、ああなりたいこうしたいと思います。それが叶わないと、すぐに不安や苦しみを感じます。「南無阿弥陀仏」というお念仏は「阿弥陀さまにお任せします」という意味です。私たちの不安や苦しみを阿弥陀さまにお任せし、「よきにはからってください」という祈りの言葉。お念仏をとなえると不安や苦しみは阿弥陀さまのもとへ。するとどうでしょう。あなたはあなたそのまんま、いまの自分を幸せだなぁと感じることができるはずです。
<第4講 極楽浄土に往きつく方法>
<「南無阿弥陀仏」なら最短で極楽浄土に往くことができる>
・「南無阿弥陀仏」で阿弥陀さまにお任せすることができるようになると、必ず阿弥陀さまのいる極楽浄土に往くことができます。
・さらに大乗仏教には、自力と他力の2分類があります。
・小乗仏教では、人間の力で100%物事の解決ができると考えます。大乗仏教では、自分の力だけでは救われません。仏こそが救済パワーを持っていると考えます。
<自力と他力は、子猿と子猫ほどの違いがある>
・自力でも他力でも、基本的には仏力によって救われます。その仏力を得るため、しがみつく子猿のように、自分の努力が必要とされるのが、自力。何もしない子猫のように、一切の努力が不要なのが他力なのです。
日本の阿弥陀信仰(浄土教)のはじまりは平安後期。それまでの仏教では、仏力獲得に何らかの地力が必要とされてきました。それが「南無阿弥陀仏」という念仏の登場で、自力不要となりました。浄土教が庶民にまで広まったのは、それが他力だったからです。
<いつでもどこでも誰でも救われる。苦しみの時代に広まった浄土思想>
・阿弥陀さまを信仰する仏教を浄土教と呼びます。浄土教誕生以前、平安中期までの仏教は、功徳を積まなければ救いはありませんでした。仏力があっても、自分も努力しなければならなかったのです。
・金持ちや権力者は、お布施をし、寺をたてたり、仏像をつくったりと、よい(と思われている)ことができます。浄土教以前の仏教では、そういう人は「善人」であり、救いの対象となりました。
でも、貧乏人のほうが圧倒的に多い時代です。貧乏人は悪いことをしないと生きていけませんでした。それではほとんどの「悪人」は救われないことになります。
・ところが、阿弥陀さまは最低辺にいる人までも救うと宣言しています。誰でもできる「南無阿弥陀仏」という念仏を、自国の極楽浄土に招く条件としていることからもうかがえます。すべての人が救われる浄土教。悪人も救いの対象にすることは、この世のヒエラルキーを逆転させる世界観でした。
<法然は、誰もが救われるもっとも簡単な方法に気づいた僧侶>
・浄土教という教えが、他力の要素を強めていったのは、平安末期に活躍した浄土宗の開祖・法然登場以降。それ以前はまだ自力の要素が強かったのです。念仏は仏教の修行のひとつで、2種類あります。「南無阿弥陀仏」と口に出してとなえる「称名念仏」と、阿弥陀さまの姿や極楽浄土をイメージしながら精神統一をする「観想念仏」です。
最初は「観想念仏」が主流。
・そして「称名念仏」が誰もが救われる教えで、誰でもおこなえる容易さゆえに「観想念仏」より優れていると気づきます。ひたすら念仏をとなえる「専修念仏」こそ阿弥陀さまの願いにかなう修行だと確信したのです。
<「阿弥陀さまが選んでくださる」疑いを捨ててただとなえる>
・法然の主著に『選択本願念仏集』があります。66歳のとき、法然に帰依していた公卿・九条兼実に懇願され、念仏の教えをまとめたものです。
題名にある「選択」とは、法然が選び取った教えという意味ではなくて、阿弥陀さまによって選択されたという意味です。いろいろな行があるなかで、法蔵菩薩(阿弥陀さまの前身)は念仏によって人々を救う方法を選び取られて、その実現のために厳しい修行をしました。修行の末に、如来となりました。だから、私たちはその本願を信じ、念仏だけをすればいいのです。それなのに、写経や座禅などをするのは、阿弥陀さまを疑うことになります。法然はそれゆえ、ほかの行をする必要はないと書いています。
<法然の弟子・親鸞。疑問を捨て、法然の理論を煮詰めた>
・法然の弟子が浄土真宗を興した親鸞。親鸞は「法然上人にだまされて念仏して地獄におちたとしても後悔しない」と言うほど、師を敬愛しました。
しかし、ふたりの考えは同じわけではありません。親鸞が法然のもとにいた期間は約6年。その後は互いに流罪となり、会うことはありませんでした。法然と別れたのは35歳ですから。親鸞はその後50年以上も、ひとりで思索したのです。
「悪人正機」として知られる「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉があります。親鸞の言葉として有名ですが、法然の伝記にも残されています。この解釈も、ふたりは少し違います。
<「非僧非俗」は生涯をかけた実験だった>
・浄土宗への弾圧で越後に流された親鸞は、僧侶資格をはく奪されましたが、俗人に戻ることをよしとせず、自らは非僧非俗(僧侶でも俗人でもない)を名乗りました。
念仏さえできればどんな生活でもよいと言った法然は、戒律を守り通した僧侶でしたが、親鸞は日本の僧侶としてはじめて結婚に踏み切り、子どもをもうけ、俗世のなかで仏教を実践するという実験に生涯をかけたのです。
<『蜘蛛の糸』でわかる開祖による浄土への往き方>
・法然なら、糸を腰に巻きつけて、阿弥陀さまに「南無阿弥陀仏」と合図を送るだろう。あとはすべて阿弥陀さまにお任せする。
・親鸞は、もし自分でのぼろうとすれば、すぐに凡夫と同じ気持ちになってしまうだろうことを自覚している。自分の愚かさがわかるから、何もしないで阿弥陀さまの救いを待つ。
<悪いことをせざるを得ない。生きづらさが信心を生む>
・親鸞の考えは、法然の教えを哲学的に深めたものです。親鸞にとって「悪人」というキーワードが、阿弥陀さまの救済、極楽浄土への誘いを理解するために必要でした。
善人、悪人の善悪とは、合法・非合法の問題とは次元が違います。勝ち組・負け組、優劣とは別物。でも、そのような比較や差別を生む世の中を、生きなければならないという自覚があって、はじめて善悪の観念が生じます。
・そう考えたとき、私たちは悪いことをせずに生きられないのだと気づきます。この世は生きづらく、誰もが悪人なのです。
法然や親鸞の時代、庶民の多くは、自分など救われない悪人だとあきらめていました。「悪をせざるを得ないあなたたちこそ救われる」と、生きる勇気を与えてくれたのが「南無阿弥陀仏」。悪人の自覚が生まれたとき、阿弥陀さまを信じる心も生まれるのです。
<第4講 まとめ>
・将来、阿弥陀さまの極楽浄土に往きつくためには、阿弥陀さまを信じてすべてお任せする気持ちが重要です。阿弥陀さまを信仰する浄土教は平安時代末期、庶民が絶望し苦しみ抜いた時代に登場しました。「南無阿弥陀仏」で極楽浄土往生できるという教えは、貧しくしいたげられていた人々に希望を与えました。仏を信じる気持ち(発心)は自らの立場を客観的に理解して娑婆世界(この世)での生きづらさを自覚するところから生まれるのです。
<第5講 いつも心に極楽浄土を>
<「厭離穢土 欣求浄土」忸怩たる思いが浄土を求めさせる>
・浄土教に「厭離穢土 欣求浄土(えんりえど ごんぐじょうど)」という言葉があります。この世の娑婆世界を穢れた国土とし、それを厭い離れたいと思い、清浄な極楽浄土を切望する。娑婆世界を穢土だと認識することが、念仏をするのに大切です。
<穢土はこの世、地獄そのもの。競争と欲望と勤労の世界>
<資本主義社会こそ穢土。競争原理が支配する世界>
・人と比べて(競争原理)、よりよい生活をしたいと思ったら(欲望原理)、私たちの暮らす社会は資本主義社会なのでお金が必要になる。馬車馬のごとく働く(勤労原理)……。がんばることがすばらしいと称賛されるいまのこの社会こそ地獄そのもの。
・穢土とは言い換えれば、地獄・餓鬼・畜生の世界です。これらは人間の世界よりも下層にあるものだと考えられていますが、実際、日々の生活のなかで起こることを見てみると、この世は、そのまま地獄・餓鬼・畜生の世界だとわかります。
・競争原理は、私たちが生きる資本主義社会を支えるものでもあります。資本主義は地獄をつくり出しているおおもとだと思ってください。
・餓鬼の世界は、欲だらけの世界です。餓鬼に3種ありといわれています。無財餓鬼は財産のない餓鬼。小財餓鬼はちょっと財産を持っている餓鬼。多財餓鬼はいっぱい財産を持っている餓鬼です。
・じつは餓鬼というのは、財があるかないかで決まるものではありません。自分の持ちもので満足できない人のことを餓鬼と呼びます。
・畜生の世界とは、勤労原理の世界です。文句も言わずに、一生懸命働く者が畜生。すると日本人はみんな畜生になります。
がむしゃらに働くことはよいことだと思う人が多いようです。がむしゃらに働けば、他人の仕事がなくなり、大迷惑。働くことは立派でもなんでもありません。
<地獄の正体をあきらかにすると、極楽浄土が具体的に見えてくる>
・仏教には如実知見という言葉があります。目の前のことを偏見や思い込みを持たずに、ありのままに見ること。これが仏教者の姿勢であるという意味です。
私たちの生きる娑婆世界をありのままに見て、徹底的に正体をつかもうとすることが大事です。すると穢土である娑婆世界の本質が見えてくるでしょう。
競争原理が支配する地獄、欲望原理が支配する餓鬼、勤労原理が支配する畜生、この3つの世界が穢土たらしめている本質だとわかるはずです。本質があきらかになったら、「人間らしく」生きるにはどうすればいいのか、考えてみましょう。
<「人間らしく生きたい」そのために仏教がある>
・仏教は、人間が人間らしく生きる道を教えてくれるものです。
しかし、現在の日本には地獄の生き方しかありません。この世を少しでも極楽浄土に変えたいなら、生活の発想そのものを、変えていくことが重要です。
・大事なのは「小欲知足」。欲をなくせとは言いません。欲を少なくして、ほどほどで満足する。みんなが幸せになれる方法です。
<老い、病気、死の延長線上に極楽浄土が存在している>
・「小欲知足」を実践していけば、この世を少しだけ極楽浄土に変えることができると言いましたが、欲を少なくしていくと、いずれは「死」に近づいていきます。
この世の娑婆世界に対して、極楽浄土はあの世にあたります。あの世の別の意味は「死後の世界」。死が訪れたとき、欲は消え去り、心がしずまり、ろうそくの火が消されたような涅槃という境地に入るといわれます。
<老病死にむしばまれるほど、自分のなかの極楽浄土が育っていく>
・生きることはさまざまな欲望を満たしていくことでもあります。その根底には生きたいという欲があるからです。
しかし、私たちは生まれたときから死をかかえています。一日一日と老いて、やがて病気になり、死100%に近づいているのです。これは見方を変えれば、老病死が人生そのものだともいえます。
この世は穢土。そこで生きなければならない私たちでも、心のなかにほんの少し極楽浄土を持てるようになれば、生き方が変わっていきます。
<四苦八苦は普遍的な苦しみ>
・お釈迦さまは人間の苦しみを「四苦八苦」にまとめました。四苦とは産道を通るときに味わった生苦、年老いていく老苦、病気になる病苦、死を迎えねばならない死苦。八苦は、さらに、愛する人と別れねばならない愛別離苦、憎い人と出会わねばならない怨憎会苦。求めても手に入らない求不得苦、成長過程で心身に苦しみを感じる五蘊盛苦(ごうんしょうく)を加えたもの。誰もが味わう普遍的な苦です。
<浄土の存在に気がついたとき、「信心」が生まれる>
・つらいこと、悲しいことなど、思い通りにならない現実にぶつかればぶつかるほど、私たちは、自分の弱さや愚かさに直面せざるをえません。
でも、娑婆世界が穢土であることを徹底的に認識すると、極楽浄土が思い出されるようになります。心のなかには、この世と反対の世界である極楽浄土の存在が大きくなっていくのです。
しかし、自分の力では、極楽浄土を生きながら実現することはとても困難です。
・極楽浄土を思い、阿弥陀さまに「どうか私をお救いください。南無阿弥陀仏」と手を合わせるのは、すなわち、「量らない」ということです。人生は思い通りにならない。だからこそ阿弥陀さまにすべてを任せます。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏………」ととなえて、自分の判断、選択を手放したとき、阿弥陀さまは「あなたは、そのまんまでいいのだよ」と救ってくれるのです。
<絶対他力・親鸞の念仏は最初から最後まで「ありがとう」>
・自らの無力さは徹底的に見つめた親鸞にとっての「南無阿弥陀仏」はつねに感謝の念仏。「阿弥陀さま、お助けください」と思ってとなえる念仏は、自力の要素があるからです。親鸞は、念仏を阿弥陀さまが私にとなえさせているのだ、とも。だから最初に念仏をしたときに阿弥陀さまが己を救ってくれていることは決定しています。すべての念仏は阿弥陀さまへの感謝の表明なのです。
<この世で涙を流せば流すほど、その人の瞳は美しくなる>
・法然に臨終が近づいてきたときのことです。弟子が「極楽往生は確実でございますか?」と質問しました。法然は、「我もと居せし所なれば、さだめて極楽へ帰り行くべし」と答えました。私は、もともと極楽浄土にいたのだから、きっと故郷に帰るだろうというのです。
私たちはいま、すでに仏教を学んでいます。この時点で、あなたも私も、仏教徒。みんな観音さまなのです。観音さまは、極楽浄土から姿を変えて、この娑婆世界に修行をしに来ています。苦しみ楽しむために来ています。もし、悲しみや苦しみに遭遇したときは、このことを思い出してください。
<第5講 まとめ>
・「南無阿弥陀仏」は本当に極楽浄土に往きたいと願ったときに本物になります。極楽浄土を心底求めるには、まずあべこべの世界であるこの世の娑婆世界をしっかり見つめなければいけません。この世は苦で満ちています。でも、苦と向き合い修行することで極楽がはっきり目の前にあらわれるのです。
そもそも私たちは、極楽浄土からこの世にやってきた存在。苦を味わう修行によっていつか帰る故郷を思い出しているのです。耐えられないほどつらい修行もあるかもしれません。そんなときもやっぱり「南無阿弥陀仏」。「阿弥陀さま、元気ですか?」「阿弥陀さま、こんなことがありました」「阿弥陀さま、ありがとう」「阿弥陀さま、助けてください」故郷にかける長距離電話だと思って何回も何回もとなえてみてごらんなさい。
(2019/7/12)
『ひろさちやの「日蓮」を読む』
佼成出版社 2004/7/1
<日本仏教における戒の歴史>
・授戒とは、出家しようとする者に戒を授けること、あるいはその儀式を指します。そして、その授戒を行なう施設を戒壇といいます。
・しかし、日本へは当初、仏像しか入ってきませんでした。お坊さんが日本にいないゆえ、日本ではお坊さんをつくることができなかったのです。
それはなぜかというと、授戒は「三師七証」といって、三人の師匠と、七人のお坊さんが証人として臨席していないとできない決まりだったからです。
ですから日本では、仏教が入ってきてしばらくの間、寺院は建てられても、授戒している僧侶がいませんでした。中国からお坊さんが一人二人と来日しても、まとまって十人いないことは授戒できないのですから。
・その後、戒壇は東大寺のほかに、筑前(福岡県)の観世音寺と、下野(栃木県)の薬師寺にも造られ、日本の三大戒壇ができました。
<最澄の戒壇、日蓮の戒壇>
・ところが最澄は、「日本の仏教は大乗仏教なのだから、小乗仏教の二百五十戒を授けるのはおかしい」と主張します。
最澄は、「そんな小乗仏教の戒律にこだわると、日本の仏教は小乗になってしまう。だから比叡山には大乗仏教の戒を授ける戒壇に建立を許可して欲しい」と、朝廷に願い出たのですが、最澄の生きているうちには実現されませんでした。
・そういう現状でしたから、日蓮は最澄の大乗戒からさらに一歩踏み込んで、『法華経』の精神に基づいた戒壇をつくりたかったことでしょう。天上で授戒するという『法華経』の精神に基づいた「心の戒壇」は、日蓮の願いでした。
いっぽうで前半生においては「心の戒壇」以外に、現実の戒壇をつくりたかった……、そういう思いもやはりあっただろうと思うのです。
・日蓮が『法華経』に帰依したその先には、「この世での民衆の救済」がありました。その実現のための現実的手段として、『法華経』に基づく戒壇の設立を切望していたのではないかと思います。
<『立正安国論』>
<日蓮の目指したもの>
・日蓮が安房の地頭東条景信から清澄寺を追われて鎌倉に上ったあと、数年の足どりはわかっていません。当時続いた災害の原因を、仏教者の立場から調査していたのではないかと思います。その調査結果をまとめたのが『守護国家論』『立正安国論』だったわけです。
・日蓮は、すべての実践の先に「安国」を置いていました。
この安国とは、「この世に浄土・仏国土を実現する」ということ。この浄土・仏国土は、『法華経』に基づいて実践すれば、かならず実現できるはずだと日蓮は考えていました。
その理論に沿って、あの世へ往生してからの成仏より、この世の中に浄土を打ち立てたい、ほとけさまの国の建設という『法華経』の理想を、この世で実現しようとしました。
決して、仏教思想や『法華経』の精神をもって日本という国を治め、栄えさせようとしたわけではありません。
あくまで、すべての人々を、この現世において救済する。安穏に暮らせるようにしようとしていたのです。それが安国の意味であると解釈すべきでしょう。
あの世ではなくてこの世――。
・このときの日蓮の視点は、いまこの現世にあるからです。これは、国家や権力者に翻弄される民衆と同じ立場、同じ目線で世の中を見ていたということです。
それゆえ、現世での救われをあきらめ、極楽浄土への往来を説く浄土教を厳しく批判しますし、この世での浄土実現のためには「武装闘争をもってしても」とさえ考えました。でもこれは、仏教者としての目線ではありません。
この視点がまさに日蓮の前半生の視点であり、『法華経』観でした。これが、佐渡への流罪を契機に一気に転換していきます。
<『立正安国論』>
・文応元年(1260年)、日蓮は『立正安国論』を著し、幕府の実権を握っていた前執権北条時頼(1227~1263年)に奏上しました。
・一言で言えば、「災害や戦乱によって国が乱れ、民衆が苦しむのは、幕府が邪法に帰依していることに起因する。それゆえ、国家を平安にし、民衆を安穏ならしめるために、その邪法を禁止して『法華経』に帰依することこそ、幕府のとるべき道である」ということです。
しかしながら、日蓮の『立正安国論』は、幕府から完全に黙殺されます。
・それは、当時の幕府にとってもっとも重要なことは、国内の治安維持でした。それゆえ、既成の仏教教団、とりわけ民衆にまで根を下ろし、深く浸透しつつあった法然の浄土教の禁止を求める日蓮の主張を聞き入れることは、どうしたってできませんでした。
<法然の念仏から日蓮の『法華経』へ>
・当時大流行していた念仏は、日蓮にどのような影響を与えたのでしょうか。
・また、最澄ののちに唐に渡った円仁は、密教思想とともに五台山で行なわれていた念仏を持ち帰り、比叡山における浄土教の基礎を築きました。こういう下地のある比叡山の流れから、法然独自の念仏である、
――専修念仏(ただ念仏だけで救われる)――が生まれます。
ひるがえって、念仏が主流を占めていた天台宗寺院で出家した日蓮が、『法華経』ひとすじ、『法華経』以外では成仏できない、ほかの経典では救われないという考え方を導き出した背景には、この法然の「専修念仏」の考え方がなんらかの影響を与えていたのではないかと思います。
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